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漫画「チ。ー地球の運動についてー」を読んでのコーチング観点からの感想

何日か前にメルカリ社長の山田進太郎さんがTwitterで「チ。ー地球の運動についてー」のことを呟いていたので、興味を持って大人買いして一気に読んでみました。

私は山田さんのtweetを見るまでは知らなかったのですが、何でも「マンガ大賞2021」の第2位、「このマンガがすごい!2022オトコ編」の第2位、そして「第26回手塚治虫文化賞」の大賞なども受賞しており、シリーズ累計発行部数250万部も突破した話題作だそうです。

今まで漫画のことをSNSに書いたことはないですが、今回の「チ。」は哲学的というか人間の本質を考えさせられることが多く、コーチング的にも深く共感するところが沢山あったので、印象に残ったセリフや考えたことを備忘録的にnoteに書いてみることにしました。
ちょこちょこネタバレ的な内容もありますので、これから読もうと思っている方はご了承頂ければと思います。

「この世の中でうまく動くより、この世自体を動かしたい」

物語のキーパーソンの1人であるヨレンタという女性のセリフです。
彼女は頭脳明晰で努力家で、天文を中心に哲学にもかなり深い造詣を持っていますが、女性だという理由で天文研究所の助手に留まっており、研究会にも出させてもらえません。
執筆した論文も、「女性の論文なんて誰が読むの?」更には魔女狩りさえされていた時代なので、上司には「変に女性が目立って目をつけられたら、君の人生軽く終わるよ?」とまで言われてしまいます。
その上司は決して根っから性悪ということではなく、その時代はそれが真実であり、世の中で上手く動く動き方を示してくれただけ。そう理解してはいても悔しくて涙が出る。(上司の目の前では努めて明るくし、一人になったときに密かに涙します。)

そんな流れの中で、当時異端とされていた地動説を研究しようとする男性2人に会い、恐れおののきながらも、知的好奇心や真理を追究したいという思いが勝り、上司にと話している中で出てくるセリフ。

上司のアドバイスに従い「この世の中でうまく動く」ことは、ある意味楽でconfort zoneにいられるかもしれない。ただ、その分思考停止になったり、自分の信念に反する行動をしなければならなかったり、ヨレンタにとっては「自分らしく生きる」ということを放棄することになる。それよりも、自分の純粋な探究心を深め、結果、この世自体を動かすことをしたい!という、彼女の心からの「願い」が表れており、それが彼女の大切にしたい価値観であり、Being(あり方)であり、「響いている」状態なんだなー、と思いました。

●Being・・・「Doing」に対して、行動ではなく「在り方」。心の置きどころ、願い、気づき。
●響き・・・人が100%その人らしく生き生きしている、目いっぱい自分という存在を表現している状態であり、自分が正しいと信じることを実行している状態の感覚。
Co-Active Coach コーチング・バイブル 他 より引用

「信念」と「疑念」の間に倫理がある

これもヨレンタのセリフです。
ドゥラカという移動民族の女性が、幼い頃に叔父さんから「信念を持て」と言われて「お金を稼ぐこと」を信念として持っていたのですが(彼女の父親はお金が無くて苦労して亡くなった。)、ヨレンタがドゥカラを諭すシーンです。

ヨレンタ「時々、信念なんて忘れさせる何かに出会ったりする。その感情も大切にすべき。」「信念はすぐ呪いに化ける。」
ドゥカラ「でも、信念を忘れたら、人は迷う。」
ヨレンタ「きっと迷いの中に、倫理がある。」
「チ。ー地球の運動についてー」ヨレンタとドゥカラのセリフより引用

このくだりには、グッと来ました。
コーチングは人の感情・思いを扱う職業なので、倫理をとても大切にしています。
全てのプロコーチは国際コーチ連盟の定める倫理規定を理解し、遵守することが求められます。
例えば、クライアントさんがドラッグ、暴力、犯罪に手を染めそうな時、未成年の不特定多数との性行為、メンタル疾患が疑われる時、オーナー(コーチングフィーを出している企業側とか親とか)とクライアント(コーチングを受ける社員や子供)が違う際に、問題が垣間見えた際の守秘義務とのバランス、、、など、かなりセンシティブで難しい問題に対峙する可能性だってあります。

白黒ハッキリせずにグレーな時に、どのように対応するか迷いや葛藤が生じることもあるでしょう。そう言った時にこそ、そこに“倫理”が必要になります。
しかもその時、自分の信念に従うことが大事な時もあれば、もしかしたら信念と思っているものはただの思い込みかもしれず、他の人の意見を聴く必要が出てくることもあるかもしれません。
私は今まで“信念”を持つことが大切だと単純に思っていましたが、このヨレンタのセリフを読んでその時その時にしっかり自分で考えて“信念”は持ちつつも、そこに固執し過ぎずに時には俯瞰的になり、自身をも疑い、迷い葛藤することが大切だと考えが改まりました。

ちなみにシステムコーチング(※)でも「誰もが正しい。但し、全体からすると一部のみ正しい。(Everyone is right, but only partially)」という考えや、人生万事塞翁が馬の「何が良くて何が悪いかなんて、一体誰にわかるというのだ(Who knows what's good and what's bad?)」という考えをベースに置いていたりします。
常に、何かを正しい(良い)と信じつつも、そんな自分をも敢えて少し疑う目で見てみる。その往来を大切にしていきたいと思います。

※システムコーチング・・・クライアント1人ではなく、2人以上の関係性や組織に対して実施するコーチング。


善と悪、二つの道があるのではなく全ては一つの線で繋がっている

これもコーチング、特にシステムコーチングの世界観でベースとなっている重要な考え方と同じです。
戦争・争いが起きる時、犯罪など一方的に1人が悪いと見える時でさえ、誰が1人(どちらか一方の組織)だけが間違っているということは絶対に無い。
世界は全て繋がっていて、犯罪を起こしてしまった人をそのように追い込んだのも世界全体であり、一見無関係に見える遠くの国に住んでいる罪のない人でさえ、遠くの国の争いの原因に一端を担っているかもしれない。(悪いことだけでなく、逆に善行や奇跡の一端を担っているかも。)この世界を形作っているものは全て大海原の波のようなもので、小さくでも繋がっている。

そう考えると、最近で言うとウクライナ侵攻を起こしたプーチン、安倍さんを襲撃した山上氏のことも、一方的に彼らのみが悪の権化という考え方ではなく、彼らをそうさせた歴史や世界全てに原因があり、それらを形作っている私達一人ひとりも自分に矢印を向けて考えるようになります。

ちょっと大きすぎる話を書いてしまいましたが、これはシステムコーチング的な観点で言うと、小さな5~6人のチームで、例えば高圧的な上司のせいでチームに心理的安全性が無い・メンタル不調者が出る、みたいな時にも、その上司だけではなくチームを構成している一人ひとりの行動・意識がお互いに反映し合ってそういうシステム(組織)を作っている、と考えて、お互いを批判するのではなく建設的な解決方法をシステム全体として対話することに繋げていったりします。

「チ。ー地球の運動についてー」の中には他にも、序盤で出てくるラファウという少年のセリフで、これに繋がる考え方があります。

過去や未来、長い時代を隔てた後の彼らから見れば、今いる僕らは所詮、皆、押しなべて“15世紀の人”だ。
今、たまたまここに生きた全員は、たとえ殺し合う程に組んでいても、同じ時代を作った仲間な気がする。
「チ。ー地球の運動についてー」ラファウのセリフより引用

考えてみれば、この長い歴史上で同時代に生きていること自体がとても低い確率のことで、奇跡とも言える。だから、今生きている人類はある意味みんな仲間だというのは、とても興味深い考えだと思いました。

論理ではなく感覚だ。

シュミットという異端開放戦線の隊長のセリフ。C教という宗教が絶対的権威であり、その宗教や戒律をみんなが崇拝していた時代に、彼は聖書や階級制度を全く信じていません。しかし、“神“は自然を作ったものであると信じ、自然を崇拝しています。そこに対するドゥカラ(先述の移動民族の女性)が突っ込むやり取りのシーン。

ドゥカラ「自然を崇拝すること自体が一つの解釈なんじゃ?」
シュミット「私はそれをただ“良い”と感じているだけだからだ。論理ではなく感覚だ。解釈まではいかない。」
シュミット「何かを理解しようとする人の知性とやらを信用していない。」
「チ。ー地球の運動についてー」シュミットとドゥカラのセリフより引用

うーん。これも奥深いし、コーチングやポジティブ心理学に通ずるものがあります。左脳優位でロジックやファクト、数字などで理解したり解釈するのではなく、体で感じる。感覚。
彼は日の出の瞬間を大切にしていて、朝日を目いっぱい体で浴びて、自然を感じます。その感覚は、コーチングの中で時折ジェスチャーや動きで何かを表してみたり、マインドフルネスの中で一旦思考を止めて自身の感覚に集中する行為に通じるものがあります。

「何かを理解しようとする人の知性とやらを信用していない。」というのも、心に残ります。
あらゆる起きている事象を頭で理解しようとしても、人間の理解を超えることは世界中(もっと言えば宇宙)に起きているし、全てを理解しようとすること自体が傲慢なのかもしれません。
コーチングでも、言葉やロジックで説明することはできない“エッセンスレベル”のことを扱ったり、なぜかふっと心惹かれるものを“量子フラート”と呼んで、探究してみたりします。
あまり書きすぎるとまた宗教っぽいというか怪しくなってしまう気がしますが(汗)、思考・論理・知性・理解といったものを超えてある何かを感じることには必ず意味があるし、論理に頼り過ぎるのではなく、体や感覚に意識を向けることは肝要だと改めて腹落ちしました。

ざっくばらんな感想

他にも、「権威の中で生じる思考停止の恐ろしさ」とか、「宇宙からみたら人間なんてとても小さな存在だ」とか、いろいろと感じるところはあったのですが、一旦はここで筆を止めます。
この漫画は全体的に拷問のシーンとかちょっと読むのが辛いシーンも結構あったのですが、哲学的な話が多く、良い意味でズーンと重い読後感でした。

改めて、拷問も迫害も無い今の平和な日本(少なくとも一般市民として暮らしている分には)に産まれてきているということに深い感謝の念が沸いてくるし(漫画はあくまでもフィクションだとしても。)、Diversity and Inclusionの観点でも、女性にも働くこと・仕事を選ぶ権利が認められていること自体、歴史上の数えきれない犠牲の上に成り立っていて、奇跡なんだなー、と思ったりします。(だからと言って今が全く問題無いということではないですが。)

日々悩みや葛藤・思うところはあれど、やはり先ずは今生かされていることに感謝をしたいし、この恵まれた環境に自覚的になり、だからこその自身の使命や責任を果たす覚悟が大事だと感じたりします。

そして、以前から興味はありつつもやはりとっつきにくくて始められていなかった哲学の勉強を少しずつでもしていきたいと改めて思いました。



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