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映画「ただいま、つなかん」を観て

今日は3.11。東日本大震災から12年。
東京にいて日常を送りながらも、東北にも思いを寄せてみています。

3月1日に映画「ただいま、つなかん」を観て来ました。
2013年、仲間の「気仙沼の民宿に面白そうな女将さんがいるから、会いに行こうぜ!」から始まった、『勝手に復興支援ツアー』。
毎回メンバーが変わりつつも、必ず年に1~2回は気仙沼の“つなかん”に行く旅を、10年続けて来ました。

「ただいま、つなかん」は、私達が常宿としている“つなかん”の女将の一代さんと、彼女を取り巻く心温かい人達の物語。
映画を観ての所感を、まとまらないながらに綴ってみようと思います。

“つなかん”との出会い

上にも書いた通り、私が“つなかん”を知ったのは、大学時代からの仲間の一人の提案からでした。
彼は糸井重里さんの通称“ほぼ日”(ほぼ日刊イトイ新聞)を読んで一代さんの存在を知り、気仙沼に会いに行きたい!とインスピレーションを感じたそうです。

私自身は、東日本大震災後にいてもたってもいられず深夜バスで山田町へのボランティアに参加したことはありましたが、その後その他の被災地には行ったことが無かったので、シンプルに「被災地がどうなっているか見てみたい」という気持ちと、「私達が行って寝泊まり・飲食・買い物することで、少しでも復興支援に繋がるなら」という思いもあって、前のめりで参加することにしました。

でも実は初年度は1日目南三陸、2日目が気仙沼宿泊という旅程で、私はグロービスの講義があって2日目の朝に泣く泣く帰りました。
それで、後日仲間のみんなに“つなかん”がどんな感じだったか聴くと、みんな「つなかん、サイコー!一代さん、サイコー!」と。
それで、行けなかった後悔と、あまりにも楽しそうに盛り上がっている仲間たちにジェラシーを感じたのを覚えています。笑。それが2013年のこと。
なので、2014年に第二回ツアーをする時は、「今度こそ絶対“つなかん”泊まるぞー!」と、万難排して調整したのを覚えています。

毎年必ず行く場所に

前置きが長くなりましたが、そんな感じで始まった、“つなかん”を中心とした勝手に復興支援東北ツアー。
その後、南相馬・石巻・女川・陸前高田・釜石・宮古・・・など、もう一都市は行き先を変えつつ、気仙沼“つなかん”には10年間行き続けています。
映画の中にもありますが、“つなかん”は「旅行に行く場所」というよりも第二の故郷みたいな感覚になってきて、いつも到着した時は「ただいま!」と行って入っていって一代さん達とHugし合い、「お帰りー!」と出迎えてもらっています。

最初は独身ばかり10名前後で行っていたのが、仲間が広がったり、結婚して子供を連れてくる人も加わったりで、直近では大人13人、子供6人の合計19人での大ツアーでした。

子供達も、お腹の中にいる時から0歳の時も。

息子を妊娠している時も、仲間のツアーは臨月にかぶりそうだったので、夫と二人で時期を調整して安定期に“つなかん”に行きました。
一代さんに大きいお腹をなでてもらい、ほぼ日の腹巻きをプレゼントしてもらい。
産まれた後は0歳の息子を連れて行って抱っこしてもらい。(“やっさん”にも抱っこしてもらいました・・・。)

一代さんに抱っこしてもらう、生後半年の息子


一代さんのお孫さんとうちの息子の歳が近いので、息子はいつも“つなかん”に行くと母屋に行って、お孫さんのおもちゃで遊んでいます。笑
本当にもう、親戚の家に遊びに行くような感覚です。
気仙沼の復興の進捗も、唐桑・鮪立の防波堤が作られていく様子も、1年に1~2回しか行かないからこそ、「去年よりこんなにキレイになった!」とか、「前は無かったこんな建物が建った!」と肌身を持って感じています。

“つなかん”での出会い

毎回大人数で押しかけている私達ですが、“つなかん”に行くとそこでのまた新しい出会いや絆が産まれたりします。
一時期“つなかん”で料理長をしていた竜介さんとは、東京でも飲んだりする仲になりました。

“つなかん”での出会いが仕事に繋がったこともあります。
私達と同じように“つなかん”を常宿にしていた組織開発系の会社さんと、その場で意気投合して名刺交換。
その後、その会社主催のセミナーで出会った方が、HRとしての私の心のメンターとなっているし、そこから外資内資いろんな会社の人事の方とネットワークが広がった・・・みたいな、そんな繋がりもあります。

映画「ただいま、つなかん」

知らなかった“つなかん”の物語

そんなこんなで勝手に第二の故郷と慕っている“つなかん”が、映画化される。当時テレビ報道の現場にいた現役ディレクターの風間研一さんが追ってきた10年間のドキュメンタリー映画。これは見ないわけにはいかない!ということで、夫と一緒に見に行きました。

10年以上行っていてすっかり“つなかん”を知っている気になっていた私達ですが、実は震災当時の、民宿に生まれ変わる前の“つなかん”は知らなかったので、今回、当時の映像も見ることができて、また思いが深くなりました。
当時の学生ボランティアだったみなさんや、若き移住者・仲間たちの姿も心を打たれました。

自分たちの姿も

10年前から行っているので、「この年は私達は何月頃行ったよね」とか、「この頃子供を初めて連れて行ったね。」など自分たちのストーリーも重ね合わせながら夫と耳打ちしながら話していると・・・
なんと!私達の仲間が「ひゃっほーい!」と移動式サウナではしゃいでいる姿や、私自身と息子(当時1歳10ヶ月)の後ろ姿も・・・!!
そういえば、撮影班と同時期に泊まった時もあったなぁ。あの時か。と懐かしい気持ちになり、より、映画に自分たちのストーリも重なりました。


パンフレットにも載っていた、私と息子の後ろ姿

本人登場!舞台あいさつ(オンライン)

そして、胸いっぱいで映画が終わったところ・・・
監督の舞台挨拶。・・・に加え、なんと、気仙沼にいる一代さんご本人とオンライン通話で繋げで、生の声を聴かせて頂けるというサービス!!
いつも見ている一代さんの顔がスクリーンに大きく映し出され、興奮してしまいました。
一代さんだけでなく、気仙沼に移住した方たちも一緒に映っていて、唐桑・鮪立の物語のリアルさが強まり、実話・ドキュメンタリーだからこその味わい深さが更に深まりました。

つなかんTシャツ、つなかんマスクでスクリーンの一代さんと写真を撮る私達夫婦

終了後は、もちろんパンフレットを買って風間監督にサインをもらいに。
「私達、10年間ずっと“つなかん”通ってるんです!」「私もちらりと映像映ってました!」と伝えると、「ああ、perv(私達仲間のコミュニティ名)のみなさんですね!」と。監督にも認識してもらっていたことがわかり、また喜びも一入。
「是非またつなかんでお会いしたいですね!」と言葉を交わしました。


映画終了後、風間監督とパチリ。

そんなこんなで、参加する子どもたちも年々増えているこの“勝手に復興支援ツアー。”
この後も何年続くかわかりませんが、行ける限りは毎年行こうと思っています。
何年か後には、もう“復興支援”なんてものではなく、シンプルに純粋に一代さんに会いたいから・気仙沼が好きだから(今でも既にそうですが)行くという旅になるんだろうな。。。
子どもたちは大きくなった時、気仙沼をどういう場所として認識するのかな。。。なんて思いを巡らせながら、次回の“つなかん”訪問を楽しみにしています。


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