生きることは無条件によいことか?

生きることは無条件に良いこと。
言うまでもなくそうなのだから、生きるために必死になって、生にしがみつく。
これが普通の考え方である。
だからこそ、死を認めがたい。死にたくない。死は最大の不幸となる。

確かに生きることの快感はあるにはあるだろう。食べて美味しい、眠って気持ちよい、欲望・願望を成就させれば爽快だ。
ところが人生そうは問屋が卸さない。思い通りにならない。不如意、理不尽こそが人生とも言えるのである。「無条件」に良いわけもないだろう。それでも生にしがみつけるか? しがみつくからさらなる不愉快、悲しみ苦しみが増大する。

辛苦憎悪が増大するしかなくなった生は、もはや無条件によいものではなくなる。死という避難・逃げ道がちらつく。あるいは、実際にからだが蝕まれ病に伏し、そのまま死へと進んでしまう。

このように生を良いこと、死を悪いこと、と人間が勝手に意義付けるから余計に苦しくなる。生死に良いも悪いも、ほんらいないのだと教えてくれるのが(ヒト以外の)動物たちだろう。彼らは甘んじてすべてをあるがまま、受け容れているように見える。死へ、もがき苦しみながら突き進む姿はない。同時に「生まれちまった悲しみに…」などと悲劇的につぶやくこともない。

もっとフラットに考えることはできないだろうか。生まれて死ぬ。その死が自死だろうが安楽死だろうが事故死だろうが病死だろうが問わないし、問う必要はない。生きていて、そして死ぬ。これだけは100%皆、同じであるし、シンプルにそれだけのこと。日中に起き、夜間眠るのと同じ。両者がセットだ。

生にしがみつき、生こそが最高の幸福。これがそもそもの間違いであることは、そろそろ皆が気づいているだろう。これぞ、煩悩の極みであるから。


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