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第六話 愛と現実の狭間で
この記事はシリーズものです。
最初からお読みになりたいかたは、こちらから。
胸が上下するほどの荒い呼吸で目が覚めた。
僕の心の不安定さが、そうさせているのかもしれない。
目の前は、まだ薄暗かった。
今、何時なんだろう。
寝返りを打って周囲を見回してみたけれど、近くに時計がないからわからない。
そこで気がついた。
僕は留置場にいるのだ、と。
あるときから、寝つきが悪くなっていた。
原因は自分でわかっている。
美紀から「待っている」と書かれた手紙が来てからだ。
いや、正確に言うと、彼女の手紙のせいではない。
移送前、栗刑事が最後の取り調べのときに僕に言った言葉が、たびたび夢に出てくるせいだ。
「迷惑をかけないためにも、美紀さんとの付き合いはやめろ。おまえは女性に言い寄るとき、自分の生い立ちや病気のことを話して、同情させてきたんじゃないのか? だからその女性は、本当におまえのことが好きで付き合ったわけじゃないと思うぞ。美紀さんにも同じ手を使ったんだろ?」
「いや、そんなことはないです」
「まあ、おまえはそう言うだろう。相手の女性に、本当の気持ちを聞いたことはあるのか?」
「それは……」
「だろ? ふつうは、おまえに言わないと思うけどな」
「……」
「それに、おまえが女性と付き合ってもうまくいかなかったのは、おまえ自身がいろんな場面で自己主張ができなかったり、自分というものを持っていなかったりしたことが原因だったと思うけどな」
「……」
「あのな、誰もこんなこと言ってくれないだろうけど、そもそもセックスはどうやってするんだ? ふつうの男とは違うだろ。ようするにレズプレイしかできないわけだ。正直に言うぞ、女の人はやっぱりチンポを挿入して欲しいと思っているはずだぞ」
「……」
「ああ、あと、あれだ。おまえは自分のことを『僕』と言うけれど、周りの刑事たちはみんな、おまえのことをちょっと頭がおかしいと思ってるぞ。俺もそう思っているしな。ホルモン注射を打たなければ生理もくるし、マンコだってついているのに、それのどこが男なんだ?」
「……」
いつも、そこで目が覚めた。
これは作り話でも、たんなる夢でもない。
事実、栗刑事は僕に確かにそう言った。
取調室には、呼吸ができなくなるような、苦しく冷たい時間が流れていた。
誰も僕を助けてはくれなかった。
当然と言えば、当然だ。
僕と栗刑事しか取調室にはいなかったのだから。
あのとき僕は、彼に何を言われても言い返さなかった。
ここから早く出るためにも、反論してはいけないと思ったからだ。
だからじっと黙って椅子に座っているしかなかった。
―― 罪を犯すとは、こういう目にも遭うということだ。我慢しろ、俺。
そうやって自分に言い聞かせながら、栗刑事の話が終わるのを静かに待ったのだった。
コツコツと誰かの足音が聞こえてくる。
きっと、看守が見回りにきたのだろう。
僕は目を瞑り、寝たふりをした。
どろっとした気持ち悪い汗が、脇の下から腹にすっと流れ落ちてくる。
僕は、女性を好きになろうとして、そうしているわけではない。
子どものころからずっと、好きになるのはいつも女性だった。
こればかりは、どうしようもなかった。
僕は、人を愛してはいけないのだろうか。
こんなふうに生まれてしまった以上、その権利を一生与えられないのだろうか。
ふつうの男性で生まれた人しか、女性を愛してはいけないのだろうか。
僕がどうしても女性を愛してしまうのであれば、社会の片隅で同じ悩みを抱える人と出会い、そこで愛を育んでいけばいいのだろうか。
なあ、栗野郎、僕は思うんだよ。
そんなのなんだか、おかしくないか?
僕は、ふつうの男性とは違う。
チンチンだって、ついていない。
だから、男女がするセックスなんてできるわけがない。
そこを指摘されたところで、僕にはどうすることもできないんだよ。
手術するしか方法はないとはいえ、それをしたからといって必ずチンチンを挿入できる保証なんてないわけだし。
美紀が手紙に「待っている」と書いてくれたことは、間違いなく僕の心の支えにはなっていた。
その反面、どうしても栗刑事の言葉が心に引っかかって、これ以上、美紀を好きになってはいけないと悩むようになった。
美紀は、僕より十一歳、年上だ。
子どもが二人いる。
彼女の手紙のなかで、旦那さんと離婚したことはわかっていた。
わかっていたけれど、これからも彼女と連絡を取るのか、取らないのか。
心が揺いでしまう。
一日だって彼女のことを忘れた日はない。
元気にしているのか、何か困っていることはないか、仕事は決まったのか……。
そんなことを僕が気にしたところで、ここにいるかぎり何もできないし、人のことより自分の心配をしろよという感じなのだけれど。
僕は、誰もいない独房の暗闇に呟いてみた。
美紀を好きになってはいけないのはわかっている。
でも、やっぱり僕は好きなんだ。
こんなとき、どうしたらいい。
いったい僕は、どうしたら。
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