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第八話 叱責のない面会室

この記事はシリーズものです。
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面会室の扉についた小窓を覗くと、そこには母がいた。

やつれた暗い顔をしながら、アクリル板の向こう側で椅子に座っている。

僕がここから見ていることに、気づいていない。

今、なかに入ったら、母はどんな表情をするのだろう。

数ヵ月ぶりに会えた嬉しさと、親子の縁を切られるのではないかという恐怖が、心のなかにじわりと広がっていった。

「お母さんで間違いないか?」

右横から看守が声をかけてきた。

すぐに返事をしようとしたけれど、それができない。緊張で喉の奥が渇いたせいで、酸欠の金魚みたいになってしまう。

慌ててごくりと唾を飲み込み、自分でも驚くほど小さな声で「はい」と答えた。

看守がドアノブに手をかけて、扉をギギギと開ける。

僕は先に面会室のなかに入れられた。おそらく逃走防止のためだろう。

入室するのをためらう気持ちが、僕の足取りを重くした。

パイプ椅子が、ギギイと鳴る音が聞こえてくる。

母が顔を上げて僕を見た。

満面の笑みだ。

それは見慣れた母の顔だった。

―― 母さん、どうして……。

コンクリートの壁に囲まれた無機質な面会室の空間で、母の周りだけが明るくあたたかそうに見える。

―― どうして、叱らない?

普段どおりに母は僕を笑顔で迎えた。

僕は気まずい雰囲気に耐え切れず、母の笑顔を遮るように視線を床に落として、目の前にある椅子に座った。

静寂。

それは面会室の扉が閉まった途端、僕と母に訪れた。

真綿で首を絞められるように、だんだんと呼吸が苦しくなっていく。

何から話せばいいのか。

いきなり「ごめんさない」と言うのも変だなと思いながら、僕は頭のなかで言葉を探した。

けれど、どんな言葉も、この場に相応しくない気がしてしまう。

「元気だったかい?」

母の声だ。

「ああ、うん」

俯く顔を上げながら、僕は答えた。

「大変なことになっちゃったね」

「そう、だね……」

また、会話が止まった。

というか、僕は言葉を失った。

母の両目から涙がこぼれ落ち、さっきまで微笑んでいた顔が歪んでいったからだ。

過ちを犯して母を泣かせるほど、親不孝なことはない。

結局、母は僕を叱らなかった。

親子の縁を切るとも言わなかった。

叱責のない面会室。

そこにあったのは、母の愛だった。

「罪を犯しても、我が子は我が子」

言葉にはしなかったけれど、いつものように愛を注ぐ母を見て、それを感じた。

母の顔を思い出すたびに、心を貫く後悔が僕を襲う。

馬鹿だった。

あんなにも母を泣かせた、僕が馬鹿だった。

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