つながるための贈り物
飛行機型の凧が、ぐわんと空に舞った。
予測不能な凧の動きに翻弄されながら、僕は父の顔を見る。少し離れた場所にいた父は、黙って僕らを見ていた。
父が突然買ってきた飛行機型の凧。
その凧で一緒に遊ぶと言った父は、結局、傍で見ているだけだった。足の裏からぶっとい根が生えたように、ただそこに立っている。
―― 一緒に遊ぶんじゃなかったのかよ。
僕の隣で妹と弟が「早く貸して!」と騒いだ。
父、妹、弟。
忙しく視線を動かしているうちに、凧は、すとん、と地面に落ちた。
しばらくして両親の離婚が決まり、父は親権を放棄した。
親権を放棄するとはどういうことなのか、13歳の僕にはわからなかった。
でも、信頼していた中学の担任の先生に、心の内にある苦しさを打ち明けたとき、なんとなく理解した。
先生から何かを言われたわけじゃない。
親権放棄という言葉を僕が口から放った瞬間、先生の顔は悲しみを堪えるように歪んだのだ。
その表情を見たとき、僕は子どもながらに、親権を放棄されるということは、とても悲しいことなのだと知った。
生まれてこなければよかった、と思った。
僕は、大切な人を喜ばせたいと感じたとき、何らかのプレゼントを贈ることがある。
誕生日でも、クリスマスでも、記念日でもない日に、プレゼントを贈るのだ。
どうしてそういう行動をとるのか。これまで、そんな自分を理解できないところがあった。
でも最近になって、わかり始めたことがある。
僕は父に似たのだ。
大切に想う人を、喜ばせたいだけ。
その表現が、プレゼントを贈るという行為だったということ。
それに、僕は気づいたのだった。
ああ、そうか。
僕たちを喜ばせたい。つながりを大切にしたいという思いが、父にはあったのかもしれない。
そう感じた瞬間、なんだか泣けてきた。
言葉にして言わなきゃ、わからないよと思った。
今の僕は、当時の父の年齢を超えている。
13歳の僕にはわからなかったこと、見えなかったことが、わかり、見えるようになってきた。
飛行機型の凧は、ふたたびつながることの象徴だったのかもしれない。
あの日、公園にいた、父、妹、弟、そして僕は、心の深いところで再びつながることを試みていたように感じる。
結果的に、それはうまくいかなかった。
でも、それは悲しい出来事ではなかったと、今の僕は思っている。
僕は自分の習性に気づいてから、ふと、これまで父に買ってもらったものは何だったかと思い返したくなった。
わざわざ幼い頃のアルバムを出してきて、ゆっくりとページをめくっていった。
ミルクやオムツ、ベビーベッド、抱っこ紐、僕が生まれた日の新聞からはじまり、学習机、きょうだいのなかで一番高かったランドセル、自転車、ブタミントン、人生ゲーム、ファミコン、飛行機型の凧、バスケのシューズ、バスケの練習用に買ってくれたボール、パソコン……。
あれも買ってもらった、これも買ってもらった。
ずっと忘れていたあらゆるものが鮮やかに蘇り、僕の頭のなかを埋め尽くしていった。
視界が歪んでアルバムに雫が落ち、それをティッシュで拭いながら、写真を通して事実だけを受け取っていった。
僕はちゃんと、父から愛されてきたじゃないか。
アルバムから、それが伝わってきた。
長いあいだ、ずっと僕は父から愛されていないと思ってきた。
真相はどうなのかわからない。
でも、そんなことは、もうどうでもいい。
僕は、たくさん愛されてきた。
それでいいじゃないか。
すっと胸が晴れていくのを感じながら、バルコニーに出て外の空気を吸った。
ゆっくりと息を吐きながら、もう全部ゆるそうと思った。
僕に対してしてくれたこと、すべてにありがとうと思った。
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