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90年前後の仕事はよくホテルに呼び出され...

て言ってもスキャンダラスな話でも昔はよかったという話でもない。おそらくどの会社も似たようなことをやってきたと思うけど、当時の行動の記録を書いていきたい。

配属先はオーディオ事業部

プロダクトデザイナーとして駆け出しのころは輸出向けのオーディオセットのデザインを担当してました。自分の担当する製品を買うことができないので配属当初はがっかりしたものだけど、すぐに輸出向けが国内向け製品の何倍もの利益を出していてモデル数も圧倒的に多いとわかり、がぜん面白くなっていった記憶がある。
プラザ合意後の急激な円高で輸出産業は打撃を受け始めたころだけど、会社はすぐにドル建てで韓国と台湾に製造を移管し、そこから消費地に輸出したのでまだ事業は順調だった。韓国では外貨獲得企業として表彰もされたというのを社内報で見た。

どんな製品担当だったのか

実際にデザイン担当したのはいわゆるコンポと呼ばれるオーディオ本体やスピーカー、リモコン、それに付随する木製ラックなど。これらが常時カタログで年間数十はあったと思う。
仕様やデザインは大きく
・北米向け
・欧州向け
・アジア向け
に分かれていて、1年の中で順繰りにデザインしていく。
北米と欧州はクリスマス商戦がニューモデルの売り出し時期だけど、北米は流通網が広く延びているので1月のCESに合わせてデザインを決めてしまわなければならない。その次は欧州向けデザイン、欧州向けをベースにアジア向けをデザインしていく。


デザイン決定のプロセス

最終的には現地販売事業の責任者にリーダーがプレゼンしてデザイン決定するわけだが、前打ち合わせで現地責任者が日本にやってきて、そこからデザインプレゼンは始まる。主に数字の積み上げの会議が数日間続くけど、煮詰まると急にデザインが議題になるので油断できない。そして彼らは時差ボケで夜が更けるにつれて元気になるのがくせものだ。
ここであらかじめ用意した20案ほどのスケッチから3~4案程度に絞ってプレゼンするわけだが、この数日間の間に決まらないと大変。その責任者が次の国内事業所を転々としている間、海外拠点に戻るまでの間に決めないといけないのだ。
他の事業所にいる間はそこのスケジュールで埋まっているので、結局宿泊先のホテルに来いということになり、ビジネスホテルの狭い部屋でプレゼン会が始まる。当時の責任者クラスはクセの強い人ばかりで、今ならメンタルがやられそうなひとばかり。
無事まとまればその部屋で缶ビールで乾杯だけど、本当に生きた心地がちなかったものである。

そしてそこでまとまらなければさらにその任地先まで追いかける羽目に...。その話はまた後に。

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