【殺人被告事件】審理不尽の結果、重大な事実誤認をした顕著な事由
講談社元編集次長が、妻に対する殺人罪で起訴された事件で、最高裁判所は、2022年(令和4年)11月21日、東京高等裁判所の有罪判決を破棄し、審理を差し戻しました。
東京高裁が改めて公判を行うことになります。元編集次長が無罪となる可能性もあります。
今回の最高裁判決はこちらをご覧下さい。
元編集次長を有罪とした第1審判決(東京地裁)と控訴審判決(東京高裁)は第一法規などの判例データベースで見ることができます。
事実関係の争点は多岐にわたるので紹介は最低限とし、この記事では、最高裁の法律判断とフレーズに注目したいと思います。
【1】判決の概要
事件概要(判決文に基づく)
被告人が、2016(平成28)年8月9日、自宅内で、妻であるA(当時38歳)に対し、その頸部を圧迫し、窒息死させたとして起訴されています。
死亡したAには、前額部に挫裂創がありました。
Aが頸部圧迫で死亡したこと、自宅には当事者のほか幼児しかいなかったことに争いはありません。
検察側は、被告人が寝室でAを窒息させたあと、Aを階段から落下させるなどの偽装工作を行い、その際に前額部挫裂創を負わせたと主張します。
被告人側の主張は全く異なります。被告人は包丁を持ったAともみ合いになって子供部屋に待避したが、ドアの外から「ドドド」などという物音がし、子供部屋から出ると、Aが階段の手すりに被告人のジャケットを巻き付け、それに首を通して自殺を図っていたと主張しています。
第1審・控訴審判決の概要
第1審は、Aの窒息の痕跡が寝室に揃っていること、Aの血痕が付着した箇所が限定的であることなどから自殺の可能性は乏しいとし、被告人を有罪(懲役11年)としました。
控訴審判決は、新たな証拠調べの結果、Aの血痕がさらに13箇所存在する可能性があることなどから、現場血痕の不整合を主たる根拠として自殺の可能性を排斥した第1審判決は不合理である、としました。
しかし、Aが自殺したとすれば、Aは前額部挫裂創を負ったあとも意識を保っていたことになるので、自殺する前にAは血を拭うか、Aの顔面に血が流れたはずである。ところがAの手などには血を拭った痕跡がなく、前額部挫裂創の周囲を除くAの顔前面にも、血が流れるなどした痕跡がない。Aの前額部挫裂創の出血量や出血態様等が明らかでないことを考慮しても、Aが自殺した可能性は乏しい。第1審判決は結論において相当であって、事実誤認はない、としました(被告人の控訴を棄却)。
最高裁判決の概要
最高裁は冒頭でこのように述べ、さらに原判決の問題点を指摘しました。
・弁護側と検察側は、当初、Aの前額部の血痕を問題としていなかった
・検察官が控訴審で提出したAの顔の写真は、範囲不十分か色調不鮮明であるため、Aの顔前面の血痕の有無を判断することは困難である
・そもそも、Aの前額部挫裂創からの出血量や出血態様等は明らかでない上、Aの行動には多様な想定が可能であり、Aがどの時点で前額部挫裂創を負ったのかも不明である
裁判員裁判の有罪判断を維持した2審判決の破棄
今回の第1審(東京地裁)は、裁判員裁判の上、被告人を有罪とし、控訴審(東京高裁)でも有罪が維持されました。
ところが、今回、最高裁はこれを破棄しました。
裁判員裁判で被告人が有罪と判断され、控訴審もその判断を維持したのに、最高裁が判断を覆したのは今回が初めてと言われています。
【2】最高裁の判断とフレーズが示すこと
刑事訴訟法411条1号と3号の適用
近年、最高裁が事実認定に関連して原判決を破棄した事例は、
①「原判決は審理不尽である」というもの、
②「原判決は第1審判決が論理則・経験則等に照らして不合理であることを十分に示しておらず、刑訴法382条の解釈適用を誤った」というもの
が多いです。
いずれも刑事訴訟法411条1号による破棄となります。
一方、今回の最高裁判決は、刑訴法411条1号及び同条3号に基づいて、控訴審判決を破棄すべきとしました。
最高裁は、原判決の審理が不十分であったというに留まらず、重大な事実誤認をした疑いを指摘しています。
その踏み込みに、近年の最高裁判例との違いが看て取れます。
「審理を尽くさず・・重大な事実誤認をした疑いが顕著」というフレーズの判例
最高裁判所が、刑事訴訟法411条1号と同条3号を同時に適用して原判決を破棄した事例はいくつか存在します。
最も近いのは、2009年(平成21年)の判例があります。
フレーズを紹介します。
そのほかには、
・最高裁第一小法廷判決 平成元年6月22日 刑集43巻6号427頁
・最高裁第二小法廷判決 昭和45年7月31日 刑集24巻8号597頁
などがあります。用いられたフレーズはほぼ同じです。
これまでの判例のフレーズは今回の判決と似ているのですが、今回の判決は「顕著な事由」と言い換えており、そこに独自性があらわれています。
「重大な事実誤認を疑うに足りる顕著な事由」というフレーズの判例
「原判決の審理不尽」には言及がないものの、「重大な事実誤認を疑うに足りる」として刑訴法411条3号が適用された事件は、相当数あります。
ただし、筆者の知る限り「顕著な事由」というフレーズは昭和期の最高裁判例しか見当たらず、平成以降は用いられていませんでした。
今回の判決(2022年11月)が、久々に「顕著な事由」というフレーズを復活させたものと思われます。
最も古い用例は、1953年(昭和28年)の二俣事件と呼ばれる以下の判例です。
最高裁第二小法廷判決 昭和28年11月27日 刑集7巻11号2303頁
その後、戦後最大の冤罪事件とされる松川事件の最高裁大法廷判決において以下のフレーズが使われ、広まったと思われます。
なお、刑訴法411条3号が適用された事例ではなく、少年事件になりますが、以下の判例でも「顕著な事由」のフレーズがみられます。
まとめー最高裁のスタンスは変わるか
最高裁は、裁判員裁判の有罪判決を維持した高裁判決を破棄しました。
そして約13年振りに刑訴法411条1号と3号を適用し、昭和期の判例で用いられた「顕著な事由」というフレーズを復活させました。
最高裁が、刑事上告審で新しいスタンスを示す兆候かもしれません。
最後に、体験談に留まるものの、筆者はこの数年の刑事上告審に以下の傾向を感じています。
・前提となる事実に深刻な争いがないと考えられるケースは、法律解釈や量刑が争われていても、一部例外を除いて早々に上告棄却される(上告趣意書提出から1か月足らずの棄却も多い)。
・前提となる事実に深刻な争いがあるケースは、長めに審理されている(数か月以上)。
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