見出し画像

簒奪者の守りびと 最終章 【5,6】

最終章は10シークエンス構成です。5日連続更新。
<3,000文字・目安時間:6分>

簒奪者の守りびと
最終章 帰還

前頁総合目次次頁

【5】

 セントラルパークからの砲撃は、閲兵塔の三階に正確に着弾した。詰めていた銃撃手と観測手たちは、死ぬという自覚のないまま瓦礫の一部となった。二階にいた者たちは階段を駆け下り、屋外に転がり出た。直後に次弾が炸裂し、先ほどまで彼らの立っていた床が、砂礫となって頭上に降り注いだ。
 中央兵はこの方面で意図的に膠着状態を作ろうとし、ここまで成功していた。精密砲撃の恐れはあったが、勇者アルセニエの家に対して砲弾を送り込むような不敬者がいるとは思えず、警戒していなかった。その読みが甘いものであったことを、彼らは戦友と閲兵塔を失うことで学んだ。
 ブルンザ中佐は突撃を命じた。部隊は一斉に塀を乗り越え、閲兵場へ侵入した。中央兵が混乱から立ち直るころには、ブルンザ隊は広場の中程に達していた。ここから先は力技であり、南部の兵の得意とするところだ。防御用の障害物をひとつひとつ攻略してゆけばいい。
「焦る必要はないよ。丁寧にいきな」
 中央兵が反撃態勢をとるのは速かった。優秀な指揮官が残っていたのかもしれない。ブルンザ中佐は手綱を引き締めた。単独の作戦であれば押し切ることもできるだろうが、これは協働作戦なのだ。
「タイミングは合わせたつもりだよ、ラドゥ・ニクラエ。そっちはそっちでうまくやっておくれ」
 閲兵場を制圧すれば、王宮は目と鼻の先だ。

 温室のガラスが激しく砕け、陽光を乱反射させながら崩れ落ちた。
 ラドゥ隊は各所に開けた穴から次々に侵入する。敵は一階だけでなく、キャットウォークにも潜んでいた。植物に身を隠し、上下から獰猛な銃撃を浴びせてくる。互いの銃声が混じり合い、反響し、温室全体を轟音の圧力釜に変えた。
 いち早く橋頭堡を築く必要がある。ラドゥは後続を呼び入れ、銃弾の数で圧倒する戦術をとった。銃口の数を次々に増やし、近衛兵を後退させてゆく。反撃の銃声もより一層激しくなるが、樹々に護られているのか、敵味方にかかわらず、倒れた兵士は見当たらなかった。
 永久に続くかのような銃火の応酬。だがそれも終わりつつあった。近衛兵たちが小単位に分かれて撤退を開始したのだ。まるで申し合わせていたかのように、それぞれの退却口から去ってゆく。それはラドゥに追撃を躊躇わせるほどの整然さだった。
「被害を確認しろ」
 ラドゥの命を受け、ひとりの兵士が駆け出した。
「退却の仕方が不自然だな」
「珍しい用兵だと思いますよ。ほとんどが奥に隠れていましたし」
 オリアの言うとおり、戦い方そのものが不自然だった。防御に徹するにしては厚みが足りず、いくつかあった逆撃の機会を活かそうともしていなかった。
「ご報告します」
 駆け戻った兵士が敬礼をする。
「味方に被害はありません」
「なんだって?」
「味方に被害はありません。軽傷者が数名だけです」
「そんなバカな」
 あれほど激しく銃火を交わしたというのに、敵はおろか味方の死体もない。銃弾はいったいどこへ行ったのか。
「推論をお話ししてよろしいですか?」
 オリアはキャットウォークの真下に向かって歩きつつ、言った。
「もちろんだ」
「音に違和感は感じていましたが、ガラスによる反響が激しく、断定しかねていました」
 長い脚を曲げ、オリアは地面から薬莢を拾い上げた。
「近衛兵が撃っていたのは、空包です」
 彼女の指にあるそれは、確かに訓練用のものだった。

【6】

「飲むかね」
「……いただきます」
 近衛兵の指揮官は、両手に金属のマグカップを持ってやって来た。珈琲の香りが、硝煙の残り香をたちまちに駆逐する。
「教え子との再会だ。本来ならばワインがふさわしいがね」
 バラン儀仗長は単身でやってきた。ラドゥ隊が支配下に置いたこの温室に、副官すらも連れてこなかった。
「用意させましょうか」
「それには及ばない。……ラドゥ・ニクラエ。見事な指揮ぶりだった」
 声色が教育者のそれなのはわざとだろうか。そう思いつつも、反射的に背筋を伸ばしてしまうラドゥに、儀仗長は微笑みを向けた。
「勝者なのだから、そんなに萎縮するな」
「どうも……なにぶん、我々が勝者なのかどうか確信が持てませんので」
「教えておけばよかったな。謙遜も度が過ぎると士気に関わると」
「近衛兵が退いたから我々がここに立っている。これは事実です」
「不満かね?」
「そうではありません。死者を出さずに済みましたから」
 バラン儀仗長がマグカップを傾け、ラドゥもそれに倣う。戦場の珈琲は砂のような味がした。
「学校で、先生には擬装を教わりました」
「理論だけではないことを証明しようと思ってね」
「その目的は達成されたように思います。騙されたのは我々だけではないでしょうから」
 ふたりの視線は王宮のほうを向いた。激しく交わした銃声は、王の元に届いた違いない。マグカップの縁から立ち昇る湯気が、ゆらいでは消える。
「……私はずっと迷っていた」
 温室の樹々を眺める仕草をしてから、バラン儀仗長はラドゥに背を向けた。モスグリーンの長髪が、白い軍服の背で、馬の尾のように揺れる。
「王に仕える身なのか、それともアルセニエの子孫に仕える身なのか。歴代の儀仗長らは、そんな悩みを抱えることはなかっただろう。これまで両者は同一の存在だったのだから。諸先輩方が羨ましいと思ったよ」
 儀仗長は振り返る。
「君のことも同じだ。羨ましく思う」
「そんなことは」
「もう結論を出しているじゃないか。もちろん、そこに至る道のりが平坦だったはずはないだろうが」
「それは……その通りです」
「老いとは嫌なものだ。すべてにおいて鈍くなる。これほどまで時間を要するとは思わなかったが、私も私なりに結論を見つけたのだよ。『私ごときが決めるようなことではない』という結論をね」
 眼鏡の奥。ラドゥはそこから目を逸らすことができない。
「決めるのは、バラウルの背骨だ。私ではない」
 儀仗長の胸の高さにあったマグカップが、自由落下を始めた。
 傾きつつ落ちるその縁が床面に衝突すると、反動で逆方向へ跳ね返った。珈琲がバラン儀仗長の靴を汚しつつ、地面に広がってゆく。儀仗長の右手はそのとき背中にあった。ホルスターから銃を抜いた右手は、身体の中心線をなぞるようにして銃口を下顎まで運び、彼の脳幹を確実に破壊する位置で停止した。同時に、人差し指がトリガーを絞り始める。
 銃声は一発。この距離でオリアが外すことはない。彼女の放った弾丸はバラン儀仗長の右肩を撃ち抜き、彼が彼自身を殺すのを阻止した。
 衝撃で片膝をつきそうになる儀仗長の身体を、ラドゥが支える。
「……先生」
 白い軍服に赤黒い染みが広がっていく。
「余計なことを……」
「すみません」
「王を裏切った儀仗長など、存在して良いわけがないだろう」
「それは、王を裏切ったのが誰か、によると思います」
 待機していた衛生班が駆けつけ、両者を引き離した。
「決めるのはバラウルだと、先生はさきほど仰いました。その言葉に私は賛成です。なにも、我々が勝手に結論を急ぐことはないでしょう」
 バラン儀仗長は、眉間のシワを解かないまま小さく唸った。ただ、衛生兵が身体に触れることを拒絶しなかった。

つづく

ヘッダー画像は安良さんの作品です!Special Thanks!!


電子書籍の表紙制作費などに充てさせていただきます(・∀・)