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簒奪者の守りびと 最終章 【3,4】

最終章は10シークエンス構成です。5日連続更新。
<3,900文字・目安時間:8分>

簒奪者の守りびと
最終章 帰還

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【3】

 右翼を担うブルンザ隊は伏兵に悩まされたため、翼をさらに広げる必要を認めた。斜面に点在する建築物やその奥の林を制圧しながら、線を押し上げてゆく。抵抗は頑強であり、無視できる水準の出血ではなかった。中央兵の集団にもっと兵数があれば、どれだけの損害を覚悟しなければならなかったか。ブルンザ中佐は空恐ろしさを感じるとともに、彼らの主力を引き剥がしているスミルノフに対し、敬意をおぼえた。
 陽の射し込まない林を抜け、ひらけた空間に出る。傾斜はほとんど水平に近くなっている。
「閲兵場に着いたね」
 遺跡のような石造りの塀に背中を押しつけ、ブルンザ中佐は言った。塀は胸ほどの高さしかない。将兵たちは這うようにして上官に倣った。
「楽しい遊園地も、いよいよクライマックスですかね。中佐」
「ここまでのはお遊びさ。ようやく入場ゲートってところだろう」
 石の亀裂から遠くを窺う。この広場が閲兵場の役割を果たしたのはもう過去の話だが、姿形だけは当時のまま残っていた。遠く、広場の反対側に三階建の塔が見える。王族が兵たちを見下ろすために建てた閲兵塔だ。広場を隅々まで見渡せるそこには、中央兵たちの姿があった。こちらを監視しているに違いない。
 ブルンザ中佐の近くにいた兵士が、迂闊にも塀から頭を出した。たちまち至近弾が着弾し、兵士は尻餅をついた。銃撃はしばらく続き、砕かれた積み石が湯気のように舞う。中佐の、土で汚れた三角巾が赤茶色の化粧でうっすらと上書きされた。
「さて、どうしたもんか」
 左翼のラドゥ隊と呼吸を合わせる必要がある。塹壕を掘っている時間はなかった。
「こういう古いところには排水路があるはずだ。土中に埋めてないやつが」
「地図によれば、北側の縁にそって溝があります」
「向こうからはちょうど死角になるね」
「途中までは。接近してみせるにはちょうど良いかと」
「いいだろう。さて、我々は客側だが、これからキャストを騙す仕事をしなければならない。待っているのではなく、攻めあぐねていると思わせるんだ。しばらく夢を見てもらおうじゃないか」

 銃撃戦を繰り返しながら、ラドゥの部隊は進軍する。
「損害は?」
「軽微」
 俯瞰視点を持つことの難しさを実感する。スモールグループに慣れているラドゥにとって、この戦闘単位の指揮は冷や汗をかく思いだった。
「後続はついてきてるか」
「ついてきてますよ。ご心配なく」
 しきりに損害を確認するラドゥに対し、オリアは即答するようにしていた。確認のために兵を走らせたのは最初の数回だけで、すぐに自分が求められていることを理解したからだ。守ることに特化してきたラドゥは、損害を出してまで攻めることに慣れていない。自身の行動がミハイや兵士たちを守っていると実感し続けることが、ラドゥには必要だった。
 斜面が緩くなり、バラ園の全景が見えてきた。名称とは異なり、実態は植物園に近い。意図して編まれた幾何学的模様は、まるで緑の迷路のようだ。死角が多いわりに遮蔽物が少ないそのエリアを、丁寧にクリアリングしつつ進んでゆく。敵との遭遇頻度は低いが、それはつまり、相手が戦力を温存していることを示唆していた。
 遠く、温室のガラスが陽光を反射して輝いている。ダイヤモンドカットのようなその建物は、白く塗装された骨組みと、南洋の植生らしい大ぶりな葉を透かせていた。そのやや東側、王宮と同じデザインをした小さな建物がある。百年ほど前、引退した王族が余生を送ろうと建てた離宮だ。そのエントランスから屋根付きの回廊が一直線に伸び、ちょうど温室の手前まで繋がっている。回廊には腰の高さの塀があり、柱の位置に合わせてところどころで切れている。待ち構えるには絶好の環境だった。
「まずは温室を陥さなければな」
 ラドゥはそう判断した。回廊を横切らなければ進めないが、迂闊に交戦を始めるわけにはいかなかった。右の離宮と左の温室から部隊を送られ、挟み込まれてしまうからだ。まず温室を制圧し、回廊を通って離宮を支配下に置かなければならなかった。
 離宮からの別働隊に備える一方、主戦力をもって温室を包囲した。その輪を徐々に縮めてゆく。温室はガラス張りだ。敵はこちらの動きを手にとるように掴めるだろう。いまだ撃ってこないのは、余裕の現れに違いなかった。
 双眼鏡を手繰るラドゥの手が一瞬止まる。
「どうしました?」
 オリアの問いかけには応えず、無言で双眼鏡を手渡すラドゥ。温室の二階部分、ナツメヤシの鋭角に尖った葉の隙間から、白い軍服に身を包んだ兵士の姿があった。
「あれは……」
「近衛兵だ」
「ということは、指揮官はバラン儀仗長ですね」
「……可能性としては考えたが、実際に目にすると嫌なものだ」
「儀仗長と面識がおありですか?」
「以前、教鞭を執っておられたからな。出来の悪い生徒のことを覚えておいでとは思えないが」
「お察しします」
「察さなくて結構。我々は進むしかない」
 左翼のラドゥ隊の到着が遅れれば、右翼のブルンザ隊がそれだけ負担を強いられることになる。この作戦の成否は、彼らが左右同時に丘の上に到着することにかかっていた。

【4】

 食卓を囲むのは、名士と言われる人物の中から、クリスチアン三世が選りすぐった者たちだった。
「今ここにいる者たちは特に忠誠心厚い者たちだ。卿らの顔を見ていると、王国の未来が盤石であると確信を持てる」
 明日にも王宮が包囲されるとなった昨夜、クリスチアン三世は二十八人の名士たちを呼び出した。目的は裏切りの防止であった。ミハイ軍に益する行動を取らせないために、王宮に閉じ込めて一蓮托生を強制するためだった。
 十六名は理由をつけて参上を辞し、四名はこれを契機にとミハイに翻った。招集に応じた者はわずか八名。無論、彼らのなかに昼食会という名目を信じる者はいなかった。
「南部の田舎者どもがいくら徒党を組んだところで、我らの敵ではありますまい」
 ドロキアの小領主が口火を切った。クリスチアン三世の大叔父にあたる男だった。
「それはそうだと思いますが、慎重になるに越したことはないのでは」
 商工会議所の代表が血色の悪い笑顔を向ける。ヴィクトル一世によって任じられた小柄な人物だ。
「慎重は悪いことではありませんが、臆病は恥ずべきですわ。私が見るかぎり、烏合の衆です。そのうちティラスポリスとの間にヒビが入り、瓦解するでしょう」
 肩をすくめながら、胸の前で手のひらを広げて見せる。国営放送の局長を前任者から引き継いだばかりの女だ。
「小職が恐れているのは敵ではありません。経済が停滞することですよ」
「ええ。それはそうでしょうとも。一日も早い勝利のほうが望ましい」
「そういう意味では……」
 ワイングラスを空にしてから、若き王は言葉を続ける。
「敵がここに集結している今こそ、好機ということだ」
 参席者が口々に同意するなか、末席にいた男が一際大きく叫ぶ。
「陛下は、この状況をあえておつくりになられたのではありませんか」
 ガネアの後任として、ドロキアの防衛司令官に任じられた少将だった。髭に白いものが混じる年齢でありながら、実戦を経験したことがない。跳ねるようにして席を立ったせいで、彼と彼の隣席の食器が耳障りな音を立てた。
「南の不平分子どもと、王族の資格を失った小僧を結託させ、こちらの陣地に引き寄せる。守るよりも攻めるほうが難しいのは道理。奴らにそれを強いる一方で、我らは戦力を温存しながらそれを待ち、一網打尽にする。おそれながら、それこそ陛下のお考えではございませんか」
 クリスチアン三世はそれには答えず、グラスをただそっと持ち上げた。
「なんたる大戦略!」
「王宮そのものを誘惑物にしてしまわれるとは!」
「敵はまんまと罠にかかったわけですな」
 口々に称揚するが、多くのものはそれが願望に過ぎないことを自覚していた。だからこそ酔いが必要だった。酒と、連帯と、強い指導者。不安が大きいからこそより強くそれらを求めたくなる。
 クリスチアン三世はあえてゆっくりと立ち上がった。
「閲兵場方面は、王国の精鋭である中央兵が守備している。防御に適した地形であり、ここが抜かれることは考えられない。反対側の離宮方面は、バラン儀仗長指揮下の近衛兵団が固めている。選ばれた者しか任につけない王国の最強部隊だ。敵は無数の屍をさらすことになるだろう。そして王宮そのものは、我が故郷から連れてきたドロキア兵が守る。最も忠誠心の高い、決して裏切ることのない者たちだ。諸君はここでゆっくりと過ごしていれば良い。今日中に全て終わるだろう」
 拍手が湧き起こる。それらがおさまると同時に、給仕たちが新しいボトルを持ってやってきた。フランスワインの銘品だった。連帯感がワインの酔いを加速させ、肉料理から立ち上る香辛料の刺激がそれに加わる。一同は快感に身をよじらせた。
 放送局長はグラスを持ち上げ、その重厚な赤を照明に透かせていた。ふと、遠い雷鳴が耳朶をうった気がして、思わず呟いた。
「あら、雨でも降るのかしら」
 次の瞬間、卓上の全てが跳ね上がった。皿とカトラリーは甲高い不協和音を立て、ワインクーラーの縁で叩かれた銘品のボトルが噪音を奏でた。グラスが倒れ、赤い液体が侵すようにテーブルを染めてゆく。不安げに振動していた生花から花びらが剥がれ、その水溜りに伏した。
 閲兵塔が破壊されたことを一同が知るのは、二分後のことだった。

つづく

ヘッダー画像は安良さんの作品です!Special Thanks!!


電子書籍の表紙制作費などに充てさせていただきます(・∀・)