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簒奪者の守りびと 最終章 【7,8】

最終章は10シークエンス構成です。5日連続更新。
<4,200文字・目安時間:8分>

簒奪者の守りびと
最終章 帰還

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【7】

 閲兵場と離宮がともに陥落したとの報は、受ける側にとってさほど新鮮なものではなかった。その証拠に、商工会議所代表と国営放送の局長は王宮内から姿を消していた。非公式の脱出経路から逃げ出し、いまは家族と共にミハイ軍の保護下にいるのだろう。想定していなければ、これほど速やかな行動がとれるはずもない。クリスチアン三世は驚きこそしなかったが、不愉快であることを隠そうともしなかった。
 砕け散ったウィスキーグラスが、床のあちらこちらで照明を受けて輝いている。執務室で、青年は八つ当たりできる対象を探していた。アウレリアンもバラン儀仗長ももはやいない。壁に刻まれた勇者アルセニエの紋章。彼はそれに目をつけた。装飾用の剣を手に取ると、その中心に突き立てる。
「……俺が出るしかない」
 中央兵と近衛兵が敗退したいま、王の指揮下にはドロキアの部隊しかない。王宮に籠城したところで、左右からの攻勢に耐え続けることは不可能だった。形勢を逆転させる方法はただ一つ。
「アルセニエの血を絶やす。俺が直接、戦場で」

 王宮から出撃した敵が丘を駆け下りているという報告は、あまりにも荒唐無稽に思えた。ミハイ本軍では当初その信憑性を疑ったが、その場にあるすべての網膜が同じものを映したことで、真実であることを認めた。
 弱兵として知られるドロキア兵が、ミハイ本軍に挑んでくることはあり得ない。そう考えていたからこその誤算が生じた。
 初動がわずかに遅れ、そのわずかな時間差が、斜面に砲撃を加えるチャンスを失わせた。砲兵が初弾を放つころには、クリスチアン軍の先頭は丘を下りきり、前衛と刃を交わしていた。
「あまり前に出過ぎないようお願いします」
 トマ上等兵がミハイを制する。銃声はもはや目と鼻の先だ。
「開始と同時にこの乱戦です。あまり良い展開とは言えません」
 テントの支柱が銃弾を弾き、火花を散らす。
「エマはどこにいる?」
「厩舎です。使いを出しますからご安心を」
 敵は次々と斜面を下ってくる。整然さとはかけ離れた単なる突撃だった。だからこそ、小手先の対処法が通じない。
 丘の中腹からどよめきのような歓声があがった。つられるように視線を向けると、そこに大旗が二旒たなびいていた。ひとつはドニエスティアの国旗、もう一旒はネデルグ家のものだ。
「来たか。クリスチアンよ」
 ミハイは拳を握りしめた。
「いいや、違う。お前はただ王宮から出ただけだ。来たのは、私だ」
 王宮を追われ、国中を走り続けた。川の向こうへ渡り、戦い、南部で仲間を得た。そして今、慕う者たちとともに、ここにたどり着いた。
「お前が翳すことのできない旗を、私が掲げよう」
 勇者アルセニエの紋章がミハイの上に翻った。丘から吹き下ろす風に乗って、大旗が力強くたなびく。ひとまわり小さい旗がその左右に立ち昇り、その数は次々と増えていった。
「迎え撃て」
 旗が前進する。
 一方、ドロキア兵たちも勢いを増していた。クリスチアン三世の盾となるのは自分たちしかいない。転がるように坂を駆け下りる者、わずかな障害物に拠って味方を援護する者、銃を乱射する者が入り乱れた。仲間が倒されても次の兵士がとって替わり、弾を撃ち尽くした者は戦友の死体からそれを補填する。二旒の大旗は着実に丘をくだっていった。
 戦場の密度が増してゆく。
 銃声も怒声も、どちらの陣営が発したものか、もはや分からない。ミハイへの至近弾が増えるたび、トマ上等兵は後方へさがることを勧めたが、ミハイは首を振った。
「クリスチアンも同じ状況だ。引いた者が負ける」
 銃声に手榴弾の破裂音が混じる。もはや両者は白兵戦の距離だった。砲は使うことができなくなり、砲兵たちも小銃を手に取った。
 アルセニエの紋章がさらに前進する。ネデルグ家の大旗も同様だった。
 ミハイの前に躍り出たドロキア兵が、胸を撃ち抜かれて膝をつく。彼の目はジョンブリアンを捉えていたに違いない。トマ上等兵に頭部を撃ち抜かれる瞬間まで、その両眼は大きく見開いていた。
 すぐ隣では、弾を撃ち尽くした兵士が拳を振り上げて守備兵に殴りかかった。守備兵は銃口を向けるが残弾がない。止むを得ず銃身を握り、棍棒の要領で敵の側頭部を殴りつけた。地に伏した敵の頭部に二度三度と追い打ちをかける。守備兵は雄叫びをあげたが、そこに流れ弾が突き刺さった。殴り合いを演じた両者は重なるようにして死者となった。
 ミハイの至近にグレネードが投擲され、いち早く気づいたトマ上等兵が少年に覆いかぶさった。炸裂音とともに舞い上がった湿った土が、ふたりの背中に降り注ぐ。一発ではない。破裂音が続き、そのたびに黒土の雨が降った。
 どれだけ密度の濃い戦場でも、空白が生じることがある。この瞬間、ミハイの周りに起きたことはそれだった。ドロキア兵も守備兵も倒れ、トマ上等兵はミハイの背中で意識を失っている。ほんのわずかな時間だけ、彼の周囲に動くものはなくなっていた。
 ミハイは上等兵の下から這い出し、上体を起こした。銃声が遠く聞こえる。鼓膜が能力の限界を超え、麻痺しているのだ。風に流れる硝煙。火薬の匂い。血と黒土の混じり合った味。ミハイの感覚は徐々に戻ってきたが、彼が立ち上がるよりはやく、煙の中から敵兵の軍服が現れた。
 少年の姿を認めたドロキア兵は、弾薬の切れた小銃を捨て、拳銃を抜いた。髭に囲まれた口元が割れ、汚れた歯が露出している。それは怒っているようにも、笑っているようにも見えた。ミハイはトマ上等兵のホルスターに手をかけ、銃を抜こうとする。が、うまくいかない。敵兵の銃口がこちらを向く。ジョンブリアンを照星に収めているに違いなかった。少年は、弾が命中しない確率に賭けた。
 突然、太陽が遮られた。踊るようにして現れたのは、鹿毛馬だった。
 鹿毛馬はドロキア兵を押し倒し、前足でその肋骨を踏み潰した。兵士は悲鳴をあげることもできず、ただ自慢の髭を赤黒く染めた。少年は賭けに勝ったことを自覚することなく、夢中で立ち上がり、馬の背を見上げた。
「ひょっとしたらピンチを救ったのかな?」
 聴き慣れた声。
「そんなことはない。余裕だった」
「戦場では素直になったほうがいいと思う」
「来てくれてありがとう。顔が見たかった」
「顔だけでいいなんて謙虚すぎ」
「よくここが分かったな」
「それ本気で言ってる?」
 馬の背で、エマは微笑んだ。
「この旗の下にあんたがいる。そんなの当たり前じゃない」

【8】

 クリスチアン率いるドロキア部隊が優勢だったのはさほど長い時間ではなかった。熱狂がピークを越えたあとは、砂の城が波に飲まれていくように、端から崩れていった。
 丘の裾で包囲されたドロキア兵たちは、それでも中心にあるネデルグ家の大旗を守っていたが、そこにクリスチアン三世がいないことを知ると動揺を広げた。旗を掲げる若年兵は、先輩兵たちに主君の居場所を問われるたび、涙目で首を振った。次々と命を散らす戦友らを横目に、将兵は忠誠の対象を探し回った。無論、彼らは主君の落命を恐れていたが、それ以上に受け入れがたいことがひとつだけあったのだ。
 突如、怒声と悲鳴の両方が止んだ。丘の中腹で、一般兵の軍服を身に付け、戦死者の下に隠れていた若者が見つかったのだ。土埃に汚れた彼の短髪は、もはやゴールデンイエローと形容することを躊躇わせた。血染めの軍服は、黒土と砂でコーティングされている。咳き込みながら立ち上がるその背は、丸まっていた。
 まるで静止画像のように戦場の動きが止まる。
 敵も味方も、若者の一挙手一投足から目を離すことができなかった。
「……なにが悪い」
 突き刺さる全ての視線を振り払うように、クリスチアン三世は口を開く。
「王が身を守るのは当然のことだ。俺が死んだら国はどうなる」
 王は、軍服の襟元を掴んで声を張り上げた。ネームタグには名もなき兵士のファミリーネームが刻まれている。
「こいつもだ! こいつも俺を守って死んだ。立派なことじゃないか。それだけの価値が俺にはある。そういうことだ!」
 兵士たちは互いに顔を見合わせた。その相手がどちらの陣営かなど、もはや関係なかった。
「俺は死ぬわけにはいかないんだ! お前らとは違うんだぞ!」
 肩で息をしながらクリスチアンは叫んだ。静かな戦場に、その声だけがよく響いた。
 大旗を掲げるドロキアの若年兵に、ミハイ軍の兵士がゆっくりと近づき「まだ、やるかね」と声をかけた。若年兵はしばらくのあいだ主君を見つめていたが、ため息とともにに膝を折った。
 ネデルグ家の大旗が傾き、戦場の景色から消えた。
 ドロキア兵たちの腕から、小銃がずり落ちてゆく。地面に転がる武器は瞬く間にその数を増やしていった。
「クリスチアンを捕えよ」
 ミハイはそう命じるだけでよかった。王の盾になろうという者は、いまや一人もいない。連行されるあいだ、クリスチアンは大声で呪いの言葉を発していたが、そのほとんどは味方であったドロキアの将兵たちに向けられていた。

 クリスチアン三世が拘束されたとの報は、たちどころに王宮に届いた。残兵たちも抵抗の意欲を見せることなく降り、ほどなく王宮の全施設がミハイ軍の支配下に入った。
 左右両翼から進んだラドゥとブルンザ中佐は、中庭で再会を果たした。
「良い戦いぶりだったじゃないか」
「相手に恵まれただけです」
「そうは言うけど簡単じゃなかったはずだよ」
「ショッピングモールでカーチェイスするよりはね」
 ふたりは硬い握手を交わした。
「さて、家は取り戻した」
「ええ。あとは住人のほうです」
「クリスチアンはバラウルの審判を求めているそうだな」
「はい。それも公開で」
「馬鹿馬鹿しい。化石が応えるわけがない」
「ですが、儀式として必要なのは確かです」
「クリスチアンの腹はわかるだろ」
「バラウルが反応しなかったことを声高に主張して、ミハイを貶めようというのでしょう」
「なにか手はあるのかい?」
「化石にものを言わせる手ですか?」
 ラドゥは小さく首を振った。
「そんなもの、ありませんよ」
 ふたりの耳に、鐘の音が届いた。それはバラウルの背骨が安置されているホールにて、儀式が執り行われる合図だった。

つづく

ヘッダー画像は安良さんの作品です!Special Thanks!!


電子書籍の表紙制作費などに充てさせていただきます(・∀・)