見出し画像

簒奪者の守りびと 最終章 【9,10】

最終章は10シークエンス構成です。5日連続更新。
<5,500文字・目安時間:11分>

簒奪者の守りびと
最終章 帰還

前頁総合目次

【9】

 歴史ある王宮のなかでも、ホールは最も古い建物だ。バラウルの背骨を安置するために建てられた最初の建造物と言われている。
 形状は美しい円形。壁は石造り。人々が立つのは土の上だが、長い年月で踏み固められ、石張りと変わりない。天井はドーム型をしており、大きな梁があるほかは装飾の類は見当たらない。円周に沿って、人の身長の倍ほどの高さに周歩廊があり、そこからはホール全体を見下ろすことができる。周歩廊を二階と呼ぶ者もいるが、実態はそのとおりだ。
 そしてホールの中心には、やはり円形に縁取られた台座があった。膝ほどの高さで、それ自体が土でできており、なかば埋まったままの骨が露出している。明らかに大型な脊椎を持つ生き物の化石であった。それこそが、勇者アルセニエが討ち取った竜、バラウルのものだと言い伝えられている。

 鐘の音を耳にした人々が集まってきた。背骨に近い位置には、位の高い聖職者や名家の主人が立ち、その外側にクリスチアン三世の側近たちが並ぶ。ラドゥらは立ち入りを許されたが、同じ土を踏む資格がない。彼らは階段を上り、周歩廊から儀式を見守ることにした。
 小さな明かり取りから入る光はわずかで、ホールは闇に近いほどに暗い。聖職者が燭台に火を灯したことで、ようやくラドゥはオリアの横顔を見ることができた。
 儀仗隊が到着すると、その白服は薄闇の中でよく映えた。儀仗隊は手際良く人々を整理し、この場所の秩序の主であることを印象づけた。バラン儀仗長は右腕を三角巾で吊っているが、服装を儀典用のそれに改めていた。
 ほどなくして、クリスチアンが姿を現した。護衛とは異なる目的を持ったふたりの兵士が彼に付き添っている。燭台の明かりの弱さが、ゴールデンイエローの汚れを隠していることは彼にとって幸いだったかもしれない。若者は円の中心に進み、背骨の台座の前に立った。バラウルは沈黙している。
 クリスチアンは周囲を一瞥したあと、上方へ視線を向けた。彼を取り巻くように周歩廊がめぐり、そこに立つ人々が視線を注いでいる。若き王は反射的に胸を張った。が、それら視線はいっせいに彼から離れ、ホールの入り口を向いた。ミハイが到着したのだ。
 誰もが息を呑み、呼吸を殺した。少年はゆっくりと歩き、ホールの中心に向かってゆく。バラウルの背骨まで数歩を残して、ちょうどクリスチアンと向き合う形となった。
「なんだ」
 先に口を開いたのはクリスチアンだった。
「いまさら戻ってきてなんだというんだ。お前は国を捨てた」
 ミハイは答えない。
「国を捨てて逃げるような人間に、王は名乗らせないぞ」
「そうだな。私もそう思う」
 囁くような少年の声を、人々は聞き逃すまいとした。
「味方を捨てて隠れるような人間に、王を名乗る資格はないと」
 ゴールデンイエローがわずかに逆立つ。
「俺たちは捨てた者同士というわけだ。お互い不名誉だな」
「名誉は取り戻せないが、誤りは正すことができる」
「どんな方法か、ご教授賜りたいね」
「もとの場所に戻ってくることだ。逃げなければいけなかった時より力をつけて」
 クリスチアンは首を左右に振った。
「議論に付き合うにも限度がある。膝をつけ。王は俺だ」
 ミハイは微笑んだ。
「王は名乗るものでも、勝ち取るものでもない」
「いいから膝をつけ」
「選んでもらおう」
「膝をつけと言っている。俺は俺自身を選ぶ」
「民だ」
「なんだって?」
「王を選ぶ者だよ。この国のひとりひとりだ」
 クリスチアンは鼻を鳴らした。
「ご満悦だな。人気に自信があるらしい」
 少年は応えない。
「人気投票もいいが、その前に、審判を仰ぐべき相手がいるぜ」
 若者は視線を台座に移した。
「バラウルの背骨だ。お前が本当に玉座の主人だというのなら、こいつに認めてもらわなきゃな」
 燭台の火がゆらぎ、ホールの石壁に映った両者の影も揺れた。
「いいだろう」
「正気か?」
「必要なことだからな」
「ただの化石だぞ」
 少年は一歩踏み出し、譲るようにしてクリスチアンは一歩下がった。ミハイはゆっくりとバラウルの背骨に近づいてゆく。
「ここは勇者アルセニエの家だ」
 ミハイは台座の傍に立ち、バラウルの背骨を見下ろした。囁くように語りかける。
「おまえを討ち倒した者の末裔がここにいるぞ」
 バラウルはなにも応えない。燭台の光が背骨の凹凸を揺らしているだけだった。クリスチアンは片頬で笑いながら「玉座じゃなくて診察台に座ったほうがいいぜ」と呟いた。

 誰かが声をあげたのはその直後だった。背骨の影に、異変が起きたと。
「見ろ! 光っている」
 よく目を凝らせば、確かにそのとおりだった。暗く窪んでいるはずの影に、微かに明かりが滲んでいる。
「蝋燭を消せ!」
 バラン儀仗長が命じた。儀仗隊が次々に燭台のもとへ行き、火を消して回った。蝋燭消しが足らずに息で吹き消す者もいたが、誰も咎めなかった。
 最後の一本が消えると同時に、人々は息を飲んだ。暗く闇に飲まれるはずのホールで、その中心だけが浮かび上がっていたからだ。光源はバラウルの背骨そのものであった。朧げでありながら、力強くもある。ホタル色のそれは、傍に立つミハイを浮かび上がらせていた。
 バラウルの背骨とミハイ。闇のなか、まるで世界にその両者だけが存在するかのようだ。
 ホタル色に照らされたジョンブリアンは、黄金よりも澄んでいた。存在しないはずの王冠がそこには見えた。王宮の主人が誰であるかなど、確かめるまでもない愚問でしかない。
 最初に動いたのはバラン儀仗長だった。彼はミハイの傍に進み、右胸に手を当てると、ゆっくりと膝頭を地につけた。続いて儀仗隊が上官に倣い、次々にひざまずいてゆく。それは波濤のように広がり、人々は順々に膝を折っては、こうべを垂れ、ミハイに忠誠を誓っていった。そしてその波は周歩廊にも伝わってゆく。
 膝をつくにあたって、ラドゥは右手に潜ませていた小さなマグライトをポケットにしまった。時を同じくしてバラウルの背骨は発光をやめたが、人々の網膜に焼きついた奇跡は消えることがない。この場にいる人間は、ことごとくミハイに服していた。
 ただひとりの例外を除いて。
「こんなのはペテンだ! ふざけるな!」
 振り乱したゴールデンイエローの髪から、乾いた泥が飛んだ。
「お前ら全員馬鹿なのか! 化石が光るなんてあるわけがない。仕掛けがあるに決まっている!」
 石壁が声を反響させる。誰一人、耳を傾けるものはいなかった。
「無効だ。こんな儀式は無効だ」
 バラン儀仗長が立ち上がり、クリスチアンのもとへ進み出る。それを契機に、聖職者たちは燭台の蝋燭に火を灯して回った。
「おいバラン。あの小僧を拘束しろ。王に逆らう反逆者だ」
「できません」
「なぜだ」
「バラウルが認めた者が、私たちの王です」
「俺が認めない。なんと言おうと現王は俺だ。王の存命中に王位を移すなど不可能だ。強行すれば謀反だぞ。どんな手順を踏んでも認めるわけに……」
 クリスチアンは言葉を失った。それこそがまさに、父ヴィクトルが王家に対しておこなった所業だからだ。王位の移行を無効にすれば、クリスチアンは現王である根拠を失う。
 バラン儀仗長は、わずかに口角を持ち上げた。
「あなたの居場所は、ここにはないようです」
 口を開閉するだけで、若者は発するべき言葉を見つけられずにいる。
「もう、ドロキアにお帰りになるといい」
 せめて胸だけでも張ろうとしたクリスチアンは、それにも失敗した。半歩後ろに下がり、体勢を崩して尻餅をつく。人々の視線が降り注ぐが、肩を貸そうとする者はいなかった。若者は胸の内側から溢れるものを抑えることができなかった。
 バラン儀仗長は部下に「お連れしろ」と命じ、すぐあとに「王の居室ではなく、客間にな」と付け加えた。
 クリスチアンは儀仗兵に両脇を抱えられ、去っていった。

【10】

 バラウルの奇跡は瞬く間に人口に膾炙した。
 アルセニエの子孫の帰還を歓迎したのだという説もあれば、恐怖に震えたからだという声もある。なかには、ホールに悲鳴が響いたという話や、バラウルが立ち上がってミハイに膝を屈したという尾鰭がついたものまであった。密室の出来事は自由に類推できるぶん、いっそうに人々の興味を惹き、全土に広がるまでさほど時間を要さなかった。
 クロクシュナの食堂で、客からの質問攻めに疲れたローザが二階に戻ると、ミハイ・ブルンザ少年が待っていた。その背後にいるのは学校の友人たちだろう。子どもたちに取り囲まれたローザは、この日十六回目の「奇跡の話は本当なの?」という質問を浴びせられることとなった。
 ティラスポリス大統領府の中庭では、ウルスラからの報告を受けたスミルノフが、スキンヘッドを撫でながら大笑いをしていた。彼らの頭上で、二羽の小鳥が弧を描いている。ウルスラは厩舎に向かい、ショルネイジリワの背を撫でながら「おまえの主人がもうすぐ帰ってくるよ」と声をかけた。ショルネの濡れた瞳はいつもと変わらなかったが、尾が大きく揺れていた。

「魔女のマグライトねぇ」
 エマは感情を隠そうともしなかった。助手席の窓枠に肘をつき、手のひらに顎を載せている。ティラスポリスへ向かう道は空いていた。
「奇跡なんて別に信じないけど、多少は神秘性があって欲しかった」
「神秘的かどうかはわからないけど、超常的ではあるよね」
 ハンドルを握るオリアの口角は上がっている。
「超常的っていうのが常識外れっていう意味ならね。シオンベリー好きが昂じて、身の回りに物にジャムを塗りたくってたミハイの奇癖はまさにそれ。確かに、バラウルの背骨に塗って叱られたって言ってた」
「微量な成分にも反応するから。肉眼ではきれいに拭き取ったつもりでも、表面に残っていたんでしょうね。ちょうど良くぼんやり光る程度に」
「ラドゥはこうなることが分かってたわけ?」
「さぁ。それはどうだろう。教えてくれなくて」
「なにそれ。隠しているってことが真実を語ってる」
「でも、計算ができるような器用な人ではないから」
「あ」
 エマは身体を運転席に向け、顔を近づける。
「なんか楽しそう!」
 一瞬だけエマと視線をあわせたオリアは、すぐに前を向いた。ゆるやかな登り坂が続いている。
「そう見えた?」
「見えた見えた」
「任務が終わって、ひさしぶりの休暇だから」
「絶対ちがう! それじゃない」
 身を乗り出そうとするエマ。オリアは無言でアクセルを踏み込んだ。高らかに回転数を上げたエンジンが、身体をシートに押しつける。
「ちゃんと座ってないと危ないよ」
「こんなにスピード出さなくてもいいでしょうに」
「あなたの叔父様がこのあたりの橋を全部落としてしまったので、ずいぶん遠回りしないといけないの。舌を噛むといけないから、あまりお喋りできなそうで残念ね」
「ずるい!」
 登り坂が終わり、景色がひらけた。遠く、砂煙をあげる戦闘車両の列が見える。それはミハイの最初の命令に従い、王都に引き揚げてゆく王国軍の車列だった。

◇◇◇

 漂ういくつかの雲は助演に徹し、主役を青空に譲っていた。太陽は高く昇り、王宮を清潔な光で洗っている。それは王の執務室にも差し込み、ふたりの横顔をやわらかく照らしていた。
「表情が穏やかになったな。ようやく任が解けたからな」
 少年の笑顔にはからかいの色がある。
「お言葉ですが、随分前から解任されていたんですよ。特殊警護班としては」
「そうだったな。だが、私が言っているのは仕事のことではない。責任感、とでも言えば良いのかな」
「やっかいな未成年者の保護者としての?」
 ラドゥはわざとらしく両眉を持ち上げ、ミハイは大口を開けて笑った。
「そのとおりだが、勇者の血の守りびととしての、と言い換えたほうが良さそうだ」
「それは大変な栄誉です。いささか過剰な責任感であったように思えますが」
「その過剰さのおかげで、私はここに戻ってこられた」
「クリスチアンに言わせれば、あなたは簒奪者だそうで」
「つまりおまえは、簒奪者の守りびとということだな」
「否定するつもりはありませんよ。なかなかの長旅でした」
 カーテンを揺らした風が、光とともに両者を撫でる。家政婦長がやってきてふたりに飲み物を勧めた。ミハイは少し考えてから、首を横に振った。
「オリアはどうしている?」
 ラドゥは腕時計に視線をやってから「ちょうど北部山脈の岩肌に張りついているころですね」と答えた。
「そうか。では私たちだけで行こう」
 ラドゥは首を傾げる。
「どちらへ?」
 その問いに答える代わりに、ミハイは一枚の銀貨を親指で弾いた。ラドゥは回転しながら飛んでくるそれを、顔の前で掴んだ。
「ずっと借りていたからな」
 ラドゥが記憶を呼び起こすまでの数秒間、少年は待った。
「あの時の」
「そう。あの時のだ」
「よく覚えておいでで」
「忘れるはずがない。今日のように良い天気だった」
 無意識のうちに、ラドゥは銀貨を握り締めていた。
「すぐに行くぞ」
「ええ。行きましょう」

 その日の午後、穏やかな日差しを楽しむ人々で『青い日傘亭』のテラス席は満席だった。並ぶ紺色のパラソル。その下の笑顔のひとつが、アルセニエの末裔のものであるとは誰も気づかない。
 丸眼鏡の老店主がやってきて、ラドゥとミハイのテーブルに料理を置いた。イングリッシュマフィンからは、焼きたての香ばしい匂いがのぼっていた。

簒奪者の守りびと 完


総合目次へもどる

ヘッダー画像は安良さんの作品です!Special Thanks!!

電子書籍の表紙制作費などに充てさせていただきます(・∀・)