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カササギは薄明に謡う 【1,2】

全21シークエンスを11日間にわけて連載します。
<2,800文字・読むのにかかる時間:6分>


【1】

 その災害は、深夜に発生した。
 俺のもとに連絡が来たのは、1時を少し回ったころだ。現場はここから60キロほど南にある田舎街だそうだ。発生から20分。ちょうど住民たちのパニックも最高潮だろう。
 俺はひとまず仕事道具をトランクに積んだ。愛車の傍らに立ち、タバコに火をつける。煙はすぐ闇に溶けていく。
 遠く、ヘリのローター音が聞こえる。重みのある双発のそれは、おそらくCH-47だろう。南へ向かっている。陸上自衛隊の部隊を積んでいるはずだ。いつもならば後手に回るはずの奴らが、今回はなぜか手際が良い。
 吸いガラを靴底ですり潰して事務所に戻る。プレハブに毛の生えたような建物だが、俺のような稼業にはちょうどいい。

「ちょっと。私、試験勉強中なんだけど」
 薄暗い部屋に、相棒が立っていた。俺は少々面食らった。
「なんだ。着いたならすぐ言えよ」
「着いたよ」
「おせぇよ」
「こんな時間の呼び出しから15分で対応してるのってすごいと思わない?」
「別に好きでこんな時間に呼んだわけじゃない」
「当たり前でしょ。好きで呼ばれたらキモい」
「キモいとかいうな」
「でもさぁ。タイミング最悪だよ。相手が相手だから仕方ないんだけどさぁ、あさって期末試験なんだよね」
 相棒は前髪をかき上げるようにして頭を抱えた。
「学校のほうは恵子さんがなんとかしてくれるだろうよ。別に気にすんな」
 彼女の母親は、俺の元相棒だ。
 元相棒であると同時に、俺の師匠でもある。代々この家系には女児しか生まれない。そして、それによってこの仕事を継承してゆく。
 幹線道路のほうから地響きが聞こえてきた。おそらくこれも陸自だ。災害派遣の垂れ幕をつけた、73式トラックが列をなしているに違いない。彼らはこれから道路を封鎖する。外からの進入を制限するためではなく、被災地の内側から人々を逃さないためにだ。
「瑠華(るか)。お前も仕事道具を積め。これ以上遅れるとやっかいだ」
「まぁ……そうだね」
「試験のことはいったん忘れろ」
 彼女の視線は、雑にぶら下げてあるだけの壁掛け時計に向いた。
「……大丈夫。24時間で終わらせて帰るから」

 荷物を後部座席に放り込み、瑠華は助手席に身体を滑り込ませた。
 プジョー206のサスペンションが年老いた音を立てる。あまりメンテナンスに精を出しているとは言えないが、こいつも俺の相棒には違いない。それに商売上、多少の改造をしている。
「巽(たつみ)ちゃん。どれくらいかかりそう?」
「普通に飛ばせば一時間くらいだ。だが今回は」
「なに?」
「自衛隊の反応が早い。途中から幹線道路は使えなくなるだろう。たぶん、抜け道を走る」
 エンジンが車体を揺らし、ライトが正面を照らす。ガードレールが浮かび上がり、電柱に括られた眼科の看板がこちらを睨みつけてくる。ここは小さな町工場が集まる、住宅街から外れた区画だ。
「抜け道って?」
「わからない。たぶん、農道かな」
 タイヤに踏みしめられ、砂利が抗議の音を発する。
 ハンドルを回して舗装道路に出ると、レンガ壁やトタン壁が両側に迫る狭い直線だ。こんな時間に出歩く人間はいない。俺は遠慮なくアクセルを吹かすことにした。


【2】

 いつ災害が発生するかの明確な予測は立てられない。しかし、次の発生地がどこなのかはおおよそ見当がつく。それは俺たちのような稼業が蓄積してきた知見に他ならないが、まとめ上げ、予知システム化したのは恵子さんの功績だ。
 今回の災害をそのシステムが予測したのは10ヶ月ほど前だ。だから俺も瑠華も、九州のこの地に移り住んだのは去年の秋。俺は錆の目立つ小屋をみつけてそこを借り、事務所兼住居にした。瑠華のほうは大変だ。転校しなければならないし、一人暮らしを強いられる。もっとも、中学生のころからこんな生活を続けているから、慣れてしまったのだろうが。

「ちょっと寒くない?」
 助手席で、二の腕をさすりながら瑠華が言う。
「そうか?」
「暖房入れてよ」
「七月だぞ。大げさな」
「けっこうさ、朝晩は冷えるよね」
「年寄りみたいなこと言うな」
「いいじゃん。薄着で来ちゃったんだから」
「エアコン調子悪いんだよ。冷房しか入らなくてな」
 そのとき瑠華が見せた表情は、小学生のころ、紫陽花の根元にナメクジを見つけたときと同じ顔だった。
「でもさ、私えらくない?」
「なにが?」
「ちゃんと持ってきたんだよ。羽織るやつ」
 後部座席に上半身を伸ばして、アディダスのスポーツバッグをまさぐる。ライトグレーのロングカーディガンが出てきた。
「前に帰省したときにお母さんにもらったんだ。お守りになるかなと思って詰め込んだんだけど、むしろ本来の用途で活躍するとは」
 袖を通しながら、早口でつぶやく。
 暗くて気づかなかったが、たしかに瑠華は薄着だ。白地のTシャツに、カーキ色のベルテッドショートパンツ。ももが半分隠れるくらいの短さだ。それに底の厚いスニーカー。そして。
「お……おまえ。それ」
「え? なに? へん? 似合わない?」
「そうじゃない。そうじゃなくて」
「丈が長いのはそういうつくりだからだよ」
「いやいやいや、カーディガンの話じゃなくて、髪だよ髪!」
 俺は途端に忙しくなった。瑠華の顔を見て、進行方向を見て、視線がひとつでは足りない。おまけに会話が噛み合わないから脳の電気信号が右往左往している。
「ああ。これ?」
 瑠華は呑気に毛先を手のひらで弾ませている。心なしか頬が上気しているように見えるのは、気のせいだと思いたい。
「気づくの遅くない?」
「切ったのか……」
「切ったよ。どう?」
 まっすぐに揃えられた後ろ髪を、撫ぜるように指を動かす。
「おまえ……なに考えて……」
「ミディアムボブだから大丈夫だよ。ギリ見えないでしょ」
「ギリ見えなきゃいいってもんじゃ……」
 俺は慌ててハンドルを切った。いつの間にかセンターラインを跨いで走行していたのだ。対向車がなかったのは幸いだった。
「気分くらい変えたかったんだもん。いいじゃん別に」
「恵子さんは知っているのか?」
「知らないんじゃない? 言ってないから」
「おまえな……」
 彼女の家系には代々女児しか生まれない。そしてすべからく麗しい黒髪を持つ美女に成長する。しかし重要なのは髪そのものではない。
 瑠華の首には、黒いベルトが巻いてある。何も知らない者が見れば、単なるファッションアイテムにしか見えない。いわゆるチョーカーだ。しかし彼女の母親もそれを身につけていたし、祖母も、似たような首飾りを手放さなかった。もちろん時代によってその形状は変化する。古くは勾玉を用いていたようだ。
「お役目は果たしたい。オシャレもしたい。どちらも守らなきゃいけないのが、女子高生の辛いところですよね」
 短くなった髪がいっせいに揺れる。俺はもう見ないことにした。いまさら考えても仕方のないことだったし、それにもう雑談している暇はなくなった。前方に濃緑色の幌が見えてきたからだ。
「あ、追いついたみたいだね」
 そのとおりだ。あのカマボコ型は73式トラックに違いない。

つづく


この作品は、第2回逆噴射小説大賞にエントリーした「夜明けにカササギが鳴いたら」を改題し、中編に仕上げたものです。


電子書籍の表紙制作費などに充てさせていただきます(・∀・)