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カササギは薄明に謡う 【19,20】

全21シークエンスを11日間にわけて連載します。
<3,000文字・読むのにかかる時間:6分>

前回

【19】

「姉ちゃん! もうやめろ!」
 少年の叫びが媒介者に届いたとは思えない。ただ、瑠華にのしかかっていた触手は引っ込んでいった。
「瑠華、無事か」
 俺はすぐに駆け寄った。というのは気持ちだけのことで、俺の肉体はそれを実行できなかった。脚を引き摺り、期待の何倍もの時間を費やし、ようやく近寄る。
「巽ちゃん。それはあんたこそでしょ」
「俺はこのとおり、無事だ」
「その状態を無事とはいわない」
「まだ戦える。だが、どうだろう。この先も耐え凌げるかはわからないぞ」
 瑠華は頷く。視線は媒介者を向いた。
「いつまで、待つつもりだ?」
 風が、髪をなびかせた。瑠華の美しい黒髪が持ちあがり、チョーカーと、そこに刻まれた印が露わになる。
「ヒロトの許しが出るまでだよ」
 言い残すようにして、瑠華はまた走り出した。風に乗った彼女の長い衣服が軍旗のように棚引き、白銀色の巨大な鉤爪に翼を与えているかのようだった。

 気づけば、媒介者の姿がひとまわり小さくなったように思える。触手を切断することで、多少なりとも黒い粉末を地中に還したことが奏功しているのかもしれない。SDIRの白銀弾の効果もないとは言い切れないが、それを撃ち込む人間はもうずいぶんと減ってしまった。
 野球のバックネットがひしゃげ、倒れていくのが見える。名取一佐がその下敷きになった。死んだのかどうかはわからないが、嫌な奴ほど生きながらえるから大丈夫だろう。無論そうでなくても一向に構わない。
 残された遊具はただ一つ、ジャングルジムだけだ。
 媒介者はなぜかそれだけは傷つけようとしなかった。
 いまだ生き残っている隊員たちもそれに気づいたようだ。互いにハンドサインを送り合い、動ける者は移動をはじめている。その途中でさらに命を落とす者がいたが、幾人かは辿り着いた。
 いま、ジャングルジムの金属パイプ構造の内側には、四名の自衛隊員と三脚架を取り外した二挺の96式自動擲弾銃が存在している。彼らのすべきことは、ただひとつしかない。
 二門のノズルが火を吹き、間断なく十字杭弾を発射する。集中的に打ち込まれた弾が、たちまち白銀色の模様を媒介者の一部に描き出す。その部位の動きが明らかに鈍くなっていった。彼らは呼吸を合わせて照準をスライドしてゆき、模様の領域を広げていく。根元を固められたある触手は、空中で円を描くことしかできなくなっていた。
「……やるな」
 俺のつぶやきに、ヒロトが反応する。
「この調子なら、ヤツらは成功するかもしれない」
「成功って、なにに?」
「捕獲にだ」
 またもう一本、触手が無効化された。それでも媒介者は彼らを攻撃しようとしない。
「捕獲して、どうするの?」
「言ったろ、研究用の素材にするんだよ。ヤツらは発生メカニズムを突き止めるのが目的だからな」
 ヒロトはふたたび校庭に視線を向けた。その先では、為すすべもなく十字杭弾を打ち込まれていく媒介者が喘いでいる。やはり、ひとまわり小さくなったのは気のせいではないようだ。
「あれは、やっぱり姉ちゃんだ」
「どうしてそう思う」
 少し離れたところに瑠華が立ち、背中で俺たちの会話を聞いている。
「だって。ジャングルジムだけは攻撃しないじゃんか」
 少年は力の入らないはずの左手で拳を握っている。
「偶然かもしれない」
「そんなわけないよ。俺と颯太が、しょっちゅうあそこにいたから。姉ちゃんはいつも迎えに来てくれた」
 顎の先から水滴が落ちて、Tシャツの胸のあたりに染み込んだ。
「なんであんな姿になったのか、わけわかんないけど」
 動かせる触手の方がもはや少なくなっていた。
「還して」
 少年の言葉に、瑠華が振り返る。
「ヒロトくん」
「還してよ。瑠華さん。できるんでしょ?」
「キミの元には還せない。でも、本来いるべき場所になら還せる」
「それでいいよ」
 俺と瑠華は、無言で頷きあった。
「姉ちゃんが研究材料になるなんてイヤだ! あんなになっても、あれは姉ちゃんだ! あそこに。ジャングルジムに俺と颯太がいると思って、待ってるんだ! このままじゃあいつらに捕まっちゃう! それはイヤだ!」
「ヒロトくん」
「姉ちゃんを還して!」
 少年は叫んだ。

 強い、一陣の風が通った。
 校庭の砂が舞い上がって土煙となり、
 樹木が枝を鳴らし、青い葉がちぎれ飛んだ。
 雲が走り、月のまわりから追い払われる。
 その月光の下。
 瑠華が、微笑んだ。

「ヒロトくん。よく言った」

 取り外されたアルタートゥム・クラレが、重い音を立てた。 


【20】

 そして瑠華は、自由になった右手をチョーカーにかけた。
 強い風が彼女の髪をなびかせている。そのせいで、首筋にある印がここからでもよく見える。
 かすかな破断音とともに、それは真っ二つに割れた。

「地に、おくり還す」

 少年はなにかを感じたようだ。揺れているのは、大地か、それとも大気か。
 その鳴動は、96式自動擲弾銃の射撃音を霞ませてしまうほどだった。
 瑠華はこうべを垂れる。しかしそれは、俺たちが知っている神流瑠華という実像の、ひとつの所作に過ぎない。また別の存在にとっては、異なる意味をもつ動作なのだ。

 彼女の髪が逆立つ。まるで叫びのように。
 露わになったうなじに、赤黒い横一線がはしる。
 それが異音を立て、上下に裂けてゆく。
 内側の色は緋。躍り出るものは、舌。
 満ち満ちた肉をふるわせ、その緋色がうねる。
 裂け目が捲れ、膨らんでゆく。それは唇。
 両端が持ち上がり、笑う。
 上下に現れた卯花色。それは歯。
 歯列に沿って、舌が移動する。
 粘液が垂れる。

「え? こ……これって」
「これが瑠華だよ。君が知らないほうの」
 彼女は両手を地面についた。いや、それは瑠華としての表現だ。もうひとつの存在から見れば、前足を地につけたに過ぎない。髪より長い舌をだらりと垂らし、一歩、また一歩と媒介者へ近づいてゆく。舌先から滴る粘液が、まるでナメクジの通った後のように彼女の股下に残る。
「関東北部に伝わる伝説がある。聞いたことないか」
「なにを?」
「民話さ。美しい黒髪をもった美人の嫁さんの話」
「知らない」
「その民話は、比較的平和な話だ。伝わっているものはな。しかし、本当の姿は、いま目の前にいる彼女だ」
 ヒロトの視線は、ずっと瑠華に釘付けになっている。
「彼女の家系は、貞観よりさらに昔、地中より湧き出てきたものから始まっている。どこかで人間と混ざったらしい。それ以来、人間の側についている。彼女は生まれながらにして役目を負っているんだ。地中から、人間に厄災をもたらす存在が上がってきたときは、それを地中に還す。そういう役目を」
 唇も舌も歯も、巨大化している。本体である瑠華の身体とはバランスがとれない大きさだ。ゆっくりと媒介者との距離を詰めてゆく。
「彼女の母親も、こうやって人間を守ってきた。彼女の先祖は、ふたくちおんなだ」
 巨大な口が吼えた。雷鳴のようなその低音はSDIRに銃撃をやめさせるには十分だった。銃の反動よりも激しく痺れた彼らは、動けなくなった。

 媒介者はまだ残っている触手を振り回し、ふたくちおんなに向かって叩きつける。しかし卯花色の歯がそれを受け止めた。まるで落雁でも砕くかのように容易く噛み潰し、触手はあっけなく消滅した。

 ふたくちおんなは再び、吼えた。
 それは山腹で反響し合い、増幅しながら天を震わせる。
 そのこだまが消えるよりはやく、彼女は媒介者に躍りかかった。

 噛み砕かれてゆく姉の姿を、月明かりが少年に晒し続けている。

 東の空が、わずかに群青を纏っていた。

つづく


この作品は、第2回逆噴射小説大賞にエントリーした「夜明けにカササギが鳴いたら」を改題し、中編に仕上げたものです。

電子書籍の表紙制作費などに充てさせていただきます(・∀・)