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カササギは薄明に謡う 【13,14】

全21シークエンスを11日間にわけて連載します。
<3,200文字・読むのにかかる時間:7分>

前回

【13】

「来た……かな?」
 群青色の中空を見上げながら瑠華が呟く。その焦点は遠い。
「感じるか?」
「うん」
 俺はやや深めに肺にニコチンを送ってから、点けてほどないタバコに別れを告げた。
「おい。いくぞ」
 車内のヒロトに声を掛ける。残酷かもしれないが、少年を残しておくわけにはいかない。独りになればたちまち餌食にされてしまうだろう。俺たちと行動するしかないのだ。
 太陽の熱が残るいまは気温が高いが、山間の夜は冷える。瑠華は恵子さんのロングカーディガンにふたたび袖を通した。
「あれ。なんだ?」
 歩き出そうとした矢先、ヒロトが指差す。
「トビウオ?」
 確かに動きはトビウオのそれにそっくりだ。しかしここは陸上。しかもサイズが大きすぎる。
 紫紺のトビウオは川を飛び越えるつもりのように見えた。だがこちらに気づいたのだろう、急に方向転換した。正面から見るとただの筒のようだ。左右に開いた翼もほとんど見えない。
 瑠華は腰を落として身構えた。アルタートゥム・クラレの中央の爪が、地面に触れそうなほどだ。筒はバウンドしながらこちらに接近してくる。どうやら筒の中心は暗い穴のようだ。
 俺は瑠華の後ろから右腕を振るった。彼女の身長より高い位置へノインシュヴァンツ・パイチェの白銀色を伸ばす。筒は次のバウンドで捉えられるはずだった。しかしヤツはリズムを変えた。滑空したのだ。
 鞭のすぐ下を潜るようにして、一直線に俺たちに向かってくる。もちろん、そうなるように誘導したのだ。バウンドされていたら瑠華の右手では戦いづらい。
 射程距離内に入った瞬間、瑠華は最大限の瞬発力で逆進し、ヤツのスピードを逆手に取った。すれ違いざまに三本の鉤爪が切り裂く。四分割されたそれは、地面に転がり、溶けるように地中に染み込んでいった。

「……開宴の合図かな」
「さて……忙しくなるね」
 俺は鞭を巻き、瑠華は右肩を回す。
 見れば、路上にはいくつかの影。すでに宴は始まっていた。
「ヒロト。大丈夫か?」
「……うん。でも、ヤツらがいるあたりは……」
「ああ、キミの家がある」
「はやく、追っ払って。もし姉ちゃんが帰ってきてたら……」
 真実を伝えるのは、やはり残酷だ。だがいまはキミの願いを叶えよう。
「そうだな。やっつけよう」
「うん」
「俺たちから離れるなよ」
「わかってる」

 月の近くに、金星が輝いている。
 夜空が、人ではないものたちを、照らしている。


【14】

 ガードレールに巻き付いていた一体を、ノインシュヴァンツ・パイチェが十分割する。その間に瑠華が路上の一体を切り裂く。空中を浮揚している個体には鞭を躱されたが、アルタートゥム・クラレが下から串刺しにした。民家の屋根に現れた一体を、俺が真っ二つにしたと同時に、路地を駆け抜けようとした一体を、瑠華の爪がすれ違いざまに解体する。
 最初の集団はこれで全て還した。だが、こんなものはまだ序盤に過ぎない。

「え? 家がない?」
 角を曲がれば、そこにヒロトの家が見えるはずだった。しかし景色のなかに、それはなかった。もちろん建築物が消滅するはずはない。崩壊したのだ。屋根の残骸が、地面に突っ伏している。
「キミの家にあったあの大穴。あれが地中から這い出るヤツらの出口だ」
「あれが?」
「ああ。穴が広がって建物が崩れたということだろう」
「ど……どうしたら?」
「ヒロトくん。落ち着いてね。私たちの後ろにいて、身を守って。キミにできることはそれだけ。次は、さっきの比じゃないから」
 崩れ落ち、なかば穴に転落しかけている屋根の残骸が、小刻みに震えだす。次第に振幅が大きくなり、月明かりのもとで木材の輪郭がぼやけていく。破片が穴に落ち、粉塵が宙を舞った。
 次の瞬間、屋根の木材が弾け飛んだ。
 紫紺色をした有象無象が吹き出したのだ。大小様々。形状も多様。それらが四方八方へ飛び散るように拡散した。
「瑠華!」
「わかってる!」
 目の前の一体を刻みながら、瑠華は後ずさった。俺も右腕を振りながら、ヒロトの近くへ寄る。数が多過ぎて、もはや狙いを定めてはいられない。横殴りに薙いでいくだけだ。
「いつもこんななの?」
「いや。これだけ爆発的なのは初めてだ」
「もし一匹逃したらどうなるの?」
「集落の外へか? それは最悪だな」
 一体が人間を喰らうといってもたかがしれている。問題はこいつらの吐き出す黒い粉末だ。それを浴びた人間は、結局のところこいつらの仲間入りをする。だからヤツらが鼠算式に増えていくことになるわけだ。逆に言えば、人間が減ってゆく。
 下がってきた瑠華が、俺たちに合流した。
「巽ちゃん。これ、無理だ」
 遠心力で一回転しながら、瑠華が言う。しゃべりながら二体還しているのは流石だ。
「わかってる。しかし、やるしかない」
「ヒロトもいるのに?」
「そもそも撤退する先なんてないだろ」
「でもここにいるよりはマシ」
 目の前で、紫紺の羽を生やしたヤツが上空高く羽ばたいた。もう鞭が届かない高さだ。
 奥歯を噛みしめたとき、銃声が響いた。一発や二発ではない。一斉射撃だ。山がそれを跳ね返してエコーのように繰り返す。その反響が終わるよりはやく、羽を生やしたヤツは落下して、地面に散った。

「よし。展開!」
 SDIRの隊員たちが機敏な動作で包囲態勢をつくっていく。
 多数の20式自動小銃から放たれる白銀弾が、次々とヤツらに撃ち込まれていく。穴から遠ざかっていたヤツほど、集中射撃を浴び、力尽きてゆく。自衛隊の白銀弾は質こそ低いが、集中運用することでその弱点を補っている。とにかく一体に対して無数の銃弾を撃ち込むのが彼らの戦術だ。
「巽ぃ」
 嫌な声がする。
「情報は共有しろと言ったはずだ。穴を黙ってたな」
「俺たちもいま知った」
 名取一佐の顔を見る余裕はない。今はまさに共闘中だ。鞭の届く範囲に、休む間もなくヤツらがやってくる。背後のヒロトを守らなければ。瑠華が俺の打ちもらしたのを丁寧に還しているから、近距離は彼女に任せよう。
「それにしては現場に着くのが早すぎるじゃないか。なあ」
「偶然だ」
 戦闘が始まれば指揮官はヒマなのだろう。やたら粘着質な口調を背中に投げつけてくる。
 しかし物量攻撃が効いている。ふたり一組みになって行動する隊員たちが、効率よくヤツらを倒してゆく。その包囲網が徐々に狭まり、ヒロトの家の敷地に足を踏み入れるまでになった。それに応じるように、俺たちも近づく。

 雲が動き、月明かりが朧げに照らした。
 砕け散った屋根の木材が散乱する、その中心を。
 地表に空いた大穴から伸びる影は、人のかたちをしている。紫紺の繊維で編んだような人のすがた。それが下半身を地中に埋没させたまま立っているように見えた。

「姉ちゃん!」
 ヒロトが声をあげた。静止したが間に合わず、銃弾が踊る中心部へ駆け出してしまった。
 紫紺の人型は、たしかに女性のような曲線をもっていた。上方で揺れ動く繊維の先端は、確かに長い頭髪のようにも見える。
「姉ちゃん! 姉ちゃん! 俺だよ!」
 飛び降りんばかりに近づくヒロトを、瓦礫が阻んだ。立ち止まったところに風船のように肥満したヤツが近づき、飲み込もうとする。すかさず三十発の白銀弾がそれを消しとばした。
「戻りなさい! ヒロト!」
 追いついた瑠華が少年の腕を引っ張るが、彼は動こうとしない。
「イヤだ!」
「ここは危ない! 近すぎる!」
 足元を這って近づいてきた紫紺の影に、瑠華が爪を突き立てて還す。
「大丈夫! あそこに姉ちゃんがいる!」
「ヒロト。あれはお姉ちゃんじゃない」
「いや、姉ちゃんだよ! わかるもん!」
「そうじゃないよ、ヒロト。あれは、もうお姉ちゃんじゃないんだ」
 接近してきた一体を四分割しつつ、瑠華が言う。
「どういうこと?」
「あれは……媒介者だよ」

 ヒロトは瑠華から視線を外し、大穴の中心を見つめた。その時だった。少年の左肩でなにかが弾け、彼はその衝撃のままに、膝をついた。
 流れ弾が命中したのだ。

つづく


この作品は、第2回逆噴射小説大賞にエントリーした「夜明けにカササギが鳴いたら」を改題し、中編に仕上げたものです。

電子書籍の表紙制作費などに充てさせていただきます(・∀・)