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簒奪者の守りびと 第八章 【5,6】

第八章は8シークエンス構成です。4日連続更新。
<3,500文字・目安時間:7分>

簒奪者の守りびと
第八章 アレクサンドロヴカ

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【5】

 東岸で孤軍となったアウレリアン親王軍は、東から迫るティラスポリス軍と砲戦を交えている。工兵による架橋は、丘の向こうからのピンポイント砲撃によって再三妨害されていた。架橋が可能な位置など、スミルノフはとうに把握しているのだ。
「空軍基地の回復はまだか」
「あと半日はかかる見込みです」
 ガネア将軍はほぞを噛んだ。
 現在、航空支援はヘリ部隊に依存している。しかし、遮蔽物のない川の上を飛行するヘリはあまりに無防備だった。藪にひそんだ敵の携帯型対空火器によって、すでに二機を失っている。ガネアは小部隊を繰り出して、川沿いを捜索させるとともに、藪の伐採を命じていた。
 砲弾が彼らの近くに落ち、直撃を受けた車両が瞬時にしてスクラップになった。破片と砂礫が爆風となって飛び散り、乾いた敵意となって生き残った兵士たちの頬を張る。
「ガネア将軍、このままでは狙い撃ちの的になるだけだ。逃げる場所もない。敵からすれば兎狩りよりたやすいんじゃないか」
「坊ちゃん。わかっております。航空支援を待ってはいられませんな。今の手勢だけで攻勢に出ましょう」
「全面的に押し出すか」
「形としてはそうなります。しかし、目標は主力正面の丘です」
 遠く、やや小高い丘陵の山頂に、小さな砦と監視施設があった。斜面にはいくつかのトーチカが隠されているようだ。
「正確な砲撃は、あの丘からの観測によります。あれを制圧すれば、逆にこちらが優位に立ちましょう」
 アウレリアン親王軍は攻勢に転じた。重車両は幹線道路を進み、軽車両は農地を踏み潰しながら前進する。歩兵はそれらを盾にしてついてゆき、砲兵が間断なく丘陵に砲弾を撃ち込んで、彼らの進行を援護する。
 意気盛んではあったが、その道のりは血濡れていた。観測の優位性はティラスポリス側にある。丘の裏側から飛来する砲弾が着弾するごとに、アウレリアンの戦力は削られていった。
「怯むな! 我々に退路はない! 前進するしか道はないぞ!」
 ガネア大将の檄が飛ぶ。
 戦車部隊は砲を放ちつつ前進した。一両目が主砲を撃った直後に、反撃を受けて爆発炎上した。続く車両はその残骸を迂回して先頭に立つ。だが彼らが部隊を先導できたのも数分のことだった。鉄の棺桶になった二両目を避けて、三両目が先頭に躍り出る。
「どうだ。いけるか?」
「砲撃はきついですが、防御そのものは薄い。これはいけますぞ」
 彼らの指揮車も部隊についてゆく。が、すぐ近くの歩兵戦闘車が破片を撒き散らしながら爆発四散した。
「対戦車誘導弾だ! 自由に撃たせるな!」
 発射位置と思われる空間に一斉に砲撃を加える。斜面にあった藪や木立が捲れあがり、ほぼすべてが丸裸になったころ、対戦車誘導弾による攻撃は沈静化した。
 多量の血を流しながらも、アウレリアン親王軍は斜面の中腹に到達。とたんに、丘の裏からの砲撃が散発的になってきた。
「やりましたな。やつら、拠点を放棄したようですぞ」
 緊張をわずかに解いたアウレリアンが振り返ると、数え切れないほどの黒煙が天を炙っていた。火元は、彼の命令でここへやってきた戦闘車両と、その乗員たちだ。勝利に酔うような気持ちにはなれなかった。
「安心するのは早いですぞ。まだもう一幕ありますからな。丘を登りきれば、いよいよスミルノフの本隊が現れるでしょう」
 次の幕は確かにあがったが、それはガネアの予測とは異なっていた。丘から東側には、荒地と牧草地と森林が、ただただ編み込まれたパターンのように広がっているだけだった。
「敵の主力は……どこに?」
 アウレリアンの問いかけに、はじめてガネアは答えなかった。
 ドニエ川に沿って、南北に細長い陣を敷いたアウレリアン親王軍は、線を押し出すように東進している。それは本来、第二軍が到着することで厚みを増すはずだったが、ガネアは後続を待たなかった。さらに、火力の不足を補うために、他の部隊から砲兵を引き抜いて中央に集めている。南北は薄いカミソリのような戦線になったが、敵の主力を中央に引きつけておけば、なんら問題はないはずだった。
「総参謀長、敵の主力はどこへいった?」
 再度の問いかけに答えたのは、通信兵だった。
 南北の部隊はティラスポリスの精鋭部隊と出くわし、交戦を開始。あまりに薄すぎる布陣では堪えることも立て直すことも叶わず、つぎつぎと撃破されてゆく。大きく広げた両翼は、見る見るうちに羽を毟り取られ、無残に散っていった。
 戦線を突破したティラスポリス軍は、回り込んだのちに南北からの合流に成功。アウレリアン親王軍は包囲下に置かれた。

【6】

 クリスチアン三世は、臣下を待たせていることを思い出したが、行為を止めなかった。腕のなかの女と下半身を擦り合わせるたびに、這い上がってきた痺れが脳を揉む。それでも、期待したほど思考に靄はかからなかった。
 弟は窮地に陥っている。ティラスポリスで敵に乗せられ、第一軍を率いたままぐるりと包囲されてしまった。空軍基地は復旧したものの、すでに敵の防空網は完成されており、上空からの支援もままならない。アウレリアンが生き残るためには投降するしかないが、そうなれば彼らを包囲している敵は自由になる。それが川を渡って攻めてくる可能性がある以上、第二軍は西岸に貼りつけておかざるを得ない。ガネアのような田舎大将に、戦力の半分も預けるべきではなかった。
 それだけならまだいい。やっかいなのは南だ。
 東岸にいるはずのミハイが、いつの間にか南部に現れた。しかも現地の連中に担がれて、リーダーを気取っているらしい。もともと貿易の窓口として、陸路のドロキア地方と海路のソフィア地方はライバル関係にあった。ドロキアの領主であるネデルグ家に対して、やつらが従順であろうはずもない。そこにアルセニエの血が一滴加われば、連鎖反応が起きたとしてもなんら不思議はない。やはりミハイは殺してしまうべきだった。親父はなぜ、あんな危険因子を残しておいたのか。
 南部の軍勢は日を追うごとに強くなり、北上している。やつらがこの王都を目指しているのは間違いない。途上にいる小領主たちもどちらに転ぶかわかったものではない。いま為すべきは、全王国軍でもって南部の軍勢を粉砕してしまうことだ。だが、ティラスポリス侵攻に割いた戦力は動かせない。軍の半分は残っているとはいえ、あくまで書類上のことであり、言うことを聞かなくなった南部方面軍がそこには数えられている。つまり王が動かせる戦力は、中央とドロキアの残留部隊くらいのものだった。
 怒気と鬱憤を乗せた白濁液を女の体内に放ったあと、衣服を身につけ、家政婦に髪をなおさせる。いまさらながら、臣下をずっと待たせていたことに疚しさをおぼえ、大股で遊戯室へ移動した。
 浅緋色の髪をした女が、左胸に手を当てて立っていた。
「待たせてしまったな」
「お望みであれば何日でも」
 八角形に面取りされた遊戯用テーブル。三代前の王がチェスを楽しむために用意させたものだ。クリスチアン三世は、自らその椅子を引いて掛けると、リャンカにも座るよう促した。
「ウィスキーを飲むか?」
「いただきます。陛下」
「そう呼ぶのは矜恃に反しないのか」
「反しません。私が特殊警護班であったのは、王命によってですから」
 クリスチアン三世は頷いた。
「余はいささか困っている。おまえの先ごろまでの警護対象が、南から軍勢を率いてのぼってきている。軍事衝突となれば民の暮らしに支障が出る。なるべくそれは避けたいと思っているわけだが……」
「なんなりとお命じください」
「なにを命じて欲しい」
「エマ・スミルノワの身柄の確保です。彼女は常にミハイに同行しており、彼にとって大切な存在です。なおかつ、スミルノフの姪です。交渉用としては、あの駒ひとつで東と南の両陣営にロイヤルフォークを仕掛けられます」
「言うは容易いが、実行はどうする」
「ひとり、元同僚を呼び寄せたく存じます」
「かまわない。他には」
「兵をお貸しください。潜入訓練を積んだ特殊部隊を」
「ウィスキーをやめてワインを開けよう、リャンカ・ストラタン。フランス産の名物がある」
 クリスチアン三世は、自身の表情筋が偽物ではない笑顔をつくるのを、ずいぶんとひさしぶりのように感じた。


つづく

ヘッダー画像は安良さんの作品です!Special Thanks!!

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