見出し画像

簒奪者の守りびと 第八章 【7,8】

第八章は8シークエンス構成です。4日連続更新。
<3,500文字・目安時間:7分>

簒奪者の守りびと
第八章 アレクサンドロヴカ

前頁総合目次次頁

【7】

 ミハイの軍勢はさらに北上し、アレクサンドロヴカという都市に迫っていた。ここは行政区分上はすでに中央に位置している。四半世紀前には、小さな大学と職業訓練校があるだけのささやかな街だったが、IT産業の勃興とともに多くのベンチャー企業が拠点を構えた。いくつかの近代的なビルが建ち、中心部はまるでシリコンバレーを彷彿とさせる。しかしその煌びやかな範囲は狭く、わずか3ブロックほどしかない。その外側は、ひび割れた古いコンクリート建築ばかりが並ぶ。
 ミハイたちは、市街戦を避けるべく包囲をおこなおうとした。無論、この規模の都市が音を上げるには時間がかかるうえに、王都からの援軍と内側の守備隊とが協働するはずであり、戦術としては好ましくない。しかしミハイはあくまでもアレクサンドロヴカを戦場にすることを拒んだ。
 ブルンザ中佐が両翼を広げ、都市を半包囲する姿勢をみせたとき、アレクサンドロヴカ守備隊の動きは活発になった。射程外であることを承知で遠距離砲撃を繰り返し、その覚悟を見せつけてくる。中佐は小部隊を潜入させ、砲撃を妨害する作戦を考えた。ところが、それを実行する前に守備隊のほうが撤退してしまったのだ。
「あからさまな罠だが、拾えるものを拾わずに進むわけにもいかない」
 こうしてミハイたちはアレクサンドロヴカを無傷で手に入れた。

 ミハイ軍司令部が接収したのはIT企業が建設したビルだった。半楕円形をした五階建で、鏡面のようなガラス張りの外観が、近代化の象徴としてメディアによく取り上げられる。工兵によるチェックを済ませたあと、一同はここに入った。
「本当はホテルのほうが居住性が高いですが、王都から日帰りできる距離なせいか、簡素なものしかなくて。安全性を考えますとここがベターかと」
 経営陣の使用するミーティングルームなのだろう。毛足の短いカーペットの上に、厚みのある木製のテーブルが部屋を貫くように配置されている。その両脇にアーロンチェアが並び、視界の最奥にあたる正面の壁は、一面が巨大なモニターだった。北側はほぼ全面がガラスになっているが、木製のバーチカルブラインドを閉じているため、壁と見分けがつかない。
「これだけ広い部屋をふたりで使うのか」
 運び込まれたベッドの上にあぐらをかき、ミハイは濡れたジョンブリアンをタオルで拭っている。三階のトレーニングジムで数日ぶりにシャワーを浴びることができた。
「寂しいなら兵士を詰めさせましょうか」
 ラドゥが揶揄うと、ミハイは苦笑して頭を振った。
「エマとオリアはなにをしているだろう」
「彼女たちは同室です。四階にリラクゼーションルームがありましたので、そこに割り当てを。しかし、おそらくエマは、外で馬の世話をしているんじゃないですかね」
 トパラ村で窓から逃走したヨキ中尉は、敷地内の馬小屋に隠れようとして鹿毛馬に蹴られ、骨盤をへし折られた。敵司令官を倒したその栄誉ある馬は、村人たちによってミハイ軍に寄進され、軍籍を得ることとなった。ツヤの衰えはじめた柔らかい鹿毛を、丁寧にブラッシングしているエマの姿が思い浮かぶ。
「ブルンザ中佐たちは、三階だな」
 旧クロクシュナ守備隊を中心としたミハイ軍司令部は、三階のオフィス部分を使っている。二階と一階は一般兵士の宿舎とした。ただし、収容力が十分ではないので、近隣の教会や役所も借りている。
「いよいよ中央に入りましたね」
「まだ帰ってきたという実感はないが……」
「王宮が見えてくればそうも言ってられないでしょう」
「見せてもらえればの話だ」
 アレクサンドロヴカはもはや南部ではない。これより先は中央軍の担当地域になる。南部があまりにも順調にまとまったのは、ひとえにネデルグ一族の不人気によるが、今後を同じように見通すわけにはいかないだろう。住民に被害を及ぼさないというミハイの方針も、どこまで徹底できるかわからない。
「私がクリスチアンなら、これ以上は譲らないだろう」

【8】

 その夜の休息は、やはり仮眠にしかならなかった。爆発の引き起こす空気振動が、ふたりの鼓膜にも届いたからだ。
 ラドゥがパネルを操作し、ブラインドをわずかに開く。見える範囲に変化はないようだが、眼下の兵士たちの慌ただしい動きが、事態の到来を告げていた。
「始まったか」
「そのようですね。潜んでいた敵による破壊工作でしょう」
 次の爆発は彼らの部屋からも見えた。一角がオレンジ色に光り、闇に溶けていたはずの街路樹を、まるで影絵のように浮かび上がらせた。
「さすがブルンザ中佐。動きが早い」
 ビルの地下駐車場から次々とトラックがやってきて、エントランスから駆け出した兵士たちを収容しては進発するのが見える。その間にも爆発は絶えず起こり、手当てするべき箇所を増やしていった。
「急ぎ対処しないと犠牲が増えてしまう」
 中佐はビル内で休息していた部隊を次々に繰り出していった。戦闘が始まった以上は出し惜しみしている場合ではない。全軍が出動態勢をとった。
 一階と二階の兵士たちがすべて出払った頃、それは起きた。突如としてビルのセキュリティシステムが対暴動用のプログラムを作動させたのだ。エントランスには重量グリルシャッターが降り、厚いガラス全体を横長の格子で覆った。あらゆるドアの電子錠はロックされ、電動ブラインドによってすべての窓は役割を放棄させられた。ビルの外と内は完全に遮断された。
 誤作動ではない。ラドゥの直感はそう告げていた。
 敵の凶手からミハイを守らなければならない。彼の思考は淀みなくそこにたどり着いたが、ミハイはまた似て非なることを思考していた。
「エマが危ない」
 駆け出すミハイに追いつき、ラドゥはドアの前に立ち塞がった。いま、全てのドアは内側からしか開けられない。一度外に出ればもう戻ることはできないのだ。
「エマにはオリアが付いています」
「わかっている。だが、行かなければ」
「あなたはここにいるべきです」
「ここが安全だからか?」
「私がいるからです」
「では、やはりエマと合流したほうが良い」
「どうしてそうなるので」
「お前とオリアは、背中を預け合っているときが最も強いからだ」
「……」
 ラドゥが答えを探しているうちに、ミハイはドアを開け放った。
「出てはいけません!」
 通路に出ると、護衛兵のひとりが背中で彼に警告を発した。残りのふたりは通路の先、曲がり角の手前で腰を落としている。曲がった先にはエレベーターホールと階段がある。
「なにが起きた?」
「敵の襲撃です。詳しくはわかりませんが、三階の司令部が襲われています」
 ラドゥは左手でドアを押さえつつ、右手に銃を握った。
「戦いは我々が。あなたがたはどうか中に」
 通路の先で、ふたりの護衛兵が身構えたのがわかった。エレベーターが上昇しているようだ。彼らは身を潜めつつ、襲撃者を迎え撃つ姿勢をとった。カゴが到着し、扉が左右にスライドする。だが、乗っていたのは爆発物だけだった。扉が開ききると同時に起爆し、熱風と破片を撒き散らす。ふたりの兵士は感覚器官のほとんどを奪われ、貴重な数秒間を回復に費やさなければならなくなった。しかし、その余裕が与えられるはずもない。
 敵は階段から躍り出てきた。通常の軍服とは異なる、黒いアサルトスーツとバラクラバを身につけたそれらは、粉塵のなかではただの影のように見える。短機関銃の射撃音がこだまし、不可視の拳で殴りつけられたかのように、ふたりの護衛兵は床に崩れていった。
「どうか中にお戻りを!」
 唯一残った護衛兵は粉塵に向けて小銃を乱射する。黒い敵兵士たちは警戒して身をかがめたようだ。
「戻らない」
「なぜです!」
「四階へ行く。お前も来るんだ」
 訝しる護衛兵の肩にラドゥが左手を置いた。右手は通路の先に向けて引き金を絞っている。ラドゥの両手がここにあるということは、すでにドアは施錠されているということだ。護衛兵は思わず「なんてことだ」と呟いていた。
「その気持ちはよくわかる。護衛対象として実にやっかいだろ」
「あなたには命がいくつあったので?」
 一同は銃撃を加えながら通路を後退していった。非常用の階段が後方にある。普段は使われていないが、暴動時は避難のために出入りが自由になる。射線を交わしながら、彼らはなんとかそこにたどり着いた。


第八章 完

第九章へつづく
総合目次へもどる

ヘッダー画像は安良さんの作品です!Special Thanks!!

電子書籍の表紙制作費などに充てさせていただきます(・∀・)