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簒奪者の守りびと 第九章 【1,2】

第九章は8シークエンス構成です。4日連続更新。
<4,300文字・目安時間:9分>

簒奪者の守りびと
第九章 再会

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【1】

 敵兵士がその部位を晒したのはほんの一瞬のことだったが、オリアにとってはじゅうぶんな時間だった。その黒いバラクラバは、持ち主の血液と脳漿を吸うという新しい役割に従事しているはずだ。
 四階の構造はシンプルであり複雑だった。従業員たちの福利厚生を主としたフロア構成であり、大規模な部屋がひとつと、いくつかの小部屋が配置されている。メインはカフェという名の自由な空間であり、フリーアドレス制のオフィスを兼ねている。その他にはガラス張りの少人数向けミーティングルームが立ち並び、ビリヤード台のある遊戯室、簡易ベッドのある仮眠室などがある。しかしこのフロアで最も目を引くのは、カフェの空間を貫くボルダリングウォールだろう。吹き抜けになっており、三階のトレーニングジムを起点として四階の天井まで登ることができる。遠い銃声はその空間から伝わってくるものだろう。
 オリアとエマは前進することを選んだ。リラクゼーションルームでは敵を防ぎきれない。視界の広いカフェまで辿り着ければ勝機がある。三階の司令部へ向かうにせよ、五階のラドゥと合流するにせよ、当面の課題は、さして広さのないこの通路と、小部屋の並ぶ空間を無事に抜けることだ。
「離れずについてきて」
「もちろんそうするけどさ」
「役に立とうなんて思わないでいいから」
「こんな状況でそこまで無鉄砲になれないって」
 オリアのまだ乾き切っていない髪から漂う香りが、エマを安心させる。自分からも同じ匂いがしているはずなのにな、と心の中で首をひねった。
 仮眠室は無人だった。オリアは簡易ベッドからシーツを剥ぎ取ると、枕にそれを巻きつけて左手に持った。
「なにそれ」
「弾除けのお守り」
 次の遊戯室はやや広い。敵が潜んでいる可能性が高かった。ドアのない入り口に慎重に身体を近づけると、やはり気配を感じた。オリアは一瞬だけエマに視線を送る。飛び込むのも危険だが、この通路上に身体を晒しておくのも同じくらい危険だ。やはり一部屋づつ制圧するしかない。
「私の身体を使って敵の死角にいること。敵が複数いる場合は伏せる。いいね」
 エマの返事を待つことなく、オリアは〝弾除けのお守り〟を水平に投げた。シーツの裾がはためくと同時に、短機関銃の銃声が響く。射手の位置を頭に描きながらオリアは室内へ飛び込む。わずか数センチ横を銃弾が通過してゆくなか、彼女は二回だけ引き金を絞る。
 ボディアーマーに命中した一発目が銃撃を止ませ、左眼窩に飛び込んだ二発目が生命を停止させた。
 直後、もう一人の存在に気づいた。ビリヤード台に半ば隠れるようにして、銃を構えている。当たる角度だ。オリアの反射神経は飛びのこうとしたが、理性がそれを制した。背後にエマがいる。敵の射撃能力が低いことを祈りつつ、彼女は射線を定めた。須臾の差で敵が早く撃つ。不思議なことに、自分に向かってくる弾頭をオリアは認識できた。それがテーザー銃の電極であることを知覚したのと、左半身に電流が流れ込むのと、彼女の弾が敵の頭蓋骨を破壊したのは同時だった。
 とっさに駆け寄ったエマは、オリアがまだ帯電しているように感じ、触れることを躊躇った。電極のあたりはタンクトップの生地が焦げている。それを引き抜いて良いものかどうか迷い、どうにか決断したときには、オリアは意識を取り戻していた。
「……電磁調理器は苦手」
 笑顔をつくろうとして諦めたオリアは、自ら電極を引き抜いた。肘で上体を起こす。アバターにでもなったかのように筋肉の反応が鈍い。
「どのくらい気を失ってた?」
「たぶん、十秒くらい」
「そう、ならいい」
 それほど事態は変わっていないだろう。敵がテーザー銃を用いたということは、積極的に攻めてくるつもりはないはずだ。目的は捕縛であり、殺害ではない。ミハイと背格好の近いエマに対しては、誤射をおそれて慎重になるだろう。ただし、護衛要員に対してはより苛烈になるはずだ。
 カフェを制圧するという発想は改めたほうが良いかもしれない。この先はミーティングルームが三つ並んでいる。ガラス張りとはいえ、一室ごとがインテリアショールームのような造りだから、どこに敵が隠れているかわかったものではない。手指の感覚が戻るまでは、この遊戯室に立てこもって迎撃したほうが生存確率が高い。
 まだ電気信号の乱れる脳を回転させつつ、オリアがそう考えたとき、エマは敵兵士の死体から短機関銃を引き剥がしていた。
「なにを?」
「なにって、武器を」
「やめなさい。危ないから」
「立ち上がれない人がいっても説得力ないから」
「戦いは大人の仕事」
「ほら、本音が出た。言っとくけど、守ってもらうばかりで満足するやつなんて、よっぽどの臆病者だけだかんね。王宮でいい暮らししてたお坊ちゃんですら、立ち上がったんだから」
 見様見真似で銃を構えてみる。重量は予想以上だが、ポーズはさまになっているようにエマは感じた。
「こうやって引き金を引けばいいんでしょ」
 ほんの数発発射するだけのつもりだった。反動で銃身が暴れ、危険を感じた腕が反射的に筋肉を緊張させた。指を離せば止まるとわかっていながらも、身体が言うことをきかない。連続する銃声は、エマの悲鳴もオリアの大声もかき消してしまう。宇宙飛行士が推進剤を使うかのように、乱射したままエマは後退していった。通路に出たところで尻もちをつき、そのせいでより暴虐さを増した銃口が、間断なく銃弾をばら撒いた。
 通路の照明がクラッカーのように砕け散る。ミーティングルームのガラス壁には、豪雨が叩く水面のように次々と弾痕が出現した。それらが繋がりあい、滝のように一気に崩れると、キューブ状の破片が大量に床に広がった。
 弾倉をすっかり空にして、ようやくエマの右手は自由を取り戻した。

【2】

「目標は視認できていますが、いまだ捕縛できていません」
「うん。見てるよ」
 二階の警備指令センターには、各フロアの映像が送られてきている。対暴動用プログラムが発動しているいま、ビルのセキュリティシステムはこの指令センターの指示しか受け取らない。
「いいように撃退されてるね」
「お言葉ですが、あれは予想できません。跳ねっ返りもいいとこです」
 エマの乱射は、ミーティングルームに隠れていた兵士たちを一人残らず無力化してしまった。動けるようになったオリアが、兵士の頸動脈に触れて生死を確認する様子がモニターに映っている。
「元王太子はまだかな?」
「まだ非常階段のようです。あそこにはカメラがありませんので。他のフロアに現れた様子はありません」
「そっちも気をつけてね。死んじゃったら南との交渉が面倒になるから。とにかく子どもたちは捕縛第一」
「承知しました」
 三階のモニターには、小勢となったブルンザ中佐の司令部が、バリケードを盾に抵抗している姿が映されていた。
 アレクサンドロヴカ市内を戦場に変えることで部隊を分散させ、ビルを隔離することで司令部と実働部隊を切り離し、さらにフロア単位でラドゥとブルンザ隊を分断した。リャンカの戦術はここまで順風が吹いている。
「……でもなぁ。班長は簡単にやられてくれないだろうな」
 リャンカは背後を振り返った。彼女と同じく黒いアサルトスーツを身につけたゾフが、壁に寄りかかって立っている。沈黙を保ち、肯きもしなかった。

 ラドゥが慎重に開いたドアの先に、敵の姿はなかった。
 非常階段を出て四階の床を踏む。いまは無機質な通路にしか見えないが、右側は大きな窓になっているはずだ。ブラインドのせいで単なる壁に見えるが、等間隔に並んだソテツの鉢が普段の日当たりの良さを物語っている。
 さらにその先には、カウンターといくつかのテーブルが見える。カフェと名付けられたスペースだろう。
「リラクゼーションルームは反対側か」
 ともに五階から降りてきた護衛兵に問いかける。司令部付きであるトマ上等兵はこのビルの見取り図に明るい。
「ええ。いったんカフェとやらに出て、回り込まなければなりません」
 一同は通路を慎重に進んでゆく。空気が粉っぽいのは、破壊された壁材や蛍光灯が粉塵になって舞っているからだろう。
 男たちのくぐもった大声がカフェから聞こえた。それに銃撃音がつづく。ラドゥはミハイ、そしてトマ上等兵と視線を交わし、腰をさらに低くして歩みを速めた。応戦する拳銃の発砲音も聞こえる。これはオリアに違いない。
 カフェにさしかかったとき、ソファの向こうにアサルトスーツの兵士たちが現れた。銃口はすでにこちらを向いている。考えるより早くラドゥの人差し指は動いていた。上半身に二発撃ち込む。トマ上等兵はラドゥの半歩前に出て片膝をつき、小銃でさらにひとりを無力化した。
「位置を把握されていたようだ」
「誘い込まれたかもしれませんね」
「どちらにしろ通り道だ。援護を頼む」
 ワックスの良く効いた木製フローリングは、ラドゥが物陰に滑り込むのを助けた。カフェ内に観葉植物はいくつもあるが、アレカヤシの鉢は特別大きく、彼の半身を隠すにはじゅうぶんだった。
 鉢に銃弾が集中する。白い陶器はひび割れてゆくが、その内側の土は崩れない。ラドゥは腕だけを出して威嚇射撃を繰り返し、その間に、トマ上等兵がひとりを撃ち倒す。
 それらはオリアにも聞こえた。銃声にもクセがある。ともに潜り抜けた死線の数が多いほど皮膚感覚でわかるものだ。間違いなくラドゥがこのフロアにいる。不思議なものだと思いながらも、細胞の隅々までエネルギーが行き渡るのを実感した。オリアは少なくなった残弾のことなど気にするのをやめた。
 正面には大柄な体躯の敵兵士。ボディに三発叩き込む。衝撃でフラつく隙に距離を詰め、短機関銃を蹴り上げる。敵がそれを構えなおす前に懐に飛び込み、抱きつくようにして銃口を下顎に押しつけた。ほぼ直上方向へ放った銃弾が頭頂部から抜ける。その過程で頭蓋の内側を大いに攪拌したことだろう。
 崩れ落ちる敵から、バトンを受け取るようにして短機関銃を奪う。奥にいた二名を連射の暴虐で屠る。カフェまでの障害は取り除いた。
 その場に留まるようエマにハンドサインを送ったあと、オリアはカフェに足を踏み入れた。ビビッドカラーのソファと大ぶりな観葉植物の陰で、黒い兵士たちが蠢いている。自分ではない誰かと交戦しているのだ。オリアのやるべきことはひとつだけだった。
 ラドゥたちとオリアの射線は、敵中で交じり合った。交差射撃の只中に置かれた敵は、増援を呼ぶまもなく、フローリングの艶を赤く上塗りしていった。

つづく

ヘッダー画像は安良さんの作品です!Special Thanks!!

電子書籍の表紙制作費などに充てさせていただきます(・∀・)