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簒奪者の守りびと 第九章 【3,4】

第九章は8シークエンス構成です。4日連続更新。
<3,700文字・目安時間:7分>

簒奪者の守りびと
第九章 再会

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【3】

「状況は良くない」
 男の声は低い。
「……あら、丁寧な分析。ありがとう、大尉」
 両者はともに、二階の警備司令センターでモニターの発光を浴びている。
「四階は制圧された。やつらは当然階下に降りる。三階の部隊が挟み込まれるまえに撤退すべきだ」
 リャンカは肩をすくめる。
「陛下の御親兵にしては腰がくだけるの、はやくない?」
「いまの状況では、時間内の目標の捕縛は、無理だ」
 アレクサンドロヴカ各所での破壊工作も、すでに下火になっている。出動していったミハイ軍の部隊が引き揚げてくれば、包囲されるのは彼らだ。
「これ以上犠牲を出せない。我々は撤退する」
「いま指揮権はあたしにあるから」
「……部隊を預かる者として、撤退を進言する」
「もうちょっと踏ん張ろうよ。一階と二階の兵士は見張りを残して全員三階へ投入。エマ・スミルノワの捕縛が無理でも、ブルンザ中佐を殺しておく価値はある。なにか質問は?」
 大尉は自分のバラクラバを毟るようにとった。こめかみに稲妻のような筋が浮かんでいる。
「……血を流すのは我々だけか?」
 リャンカが言い返そうとする。だが大尉はそれを許さなかった。
「俺たちは命令に従うが、よろこんで死ぬわけじゃない。そんなこともわからないやつが指揮を取ろうなんて思うな。あんたのそのアサルトスーツはファッションか? たまにはペンを銃に持ち替えてみろ」
 大尉は立ち去るついでに、ゴミ箱を蹴り飛ばしていった。数人の兵士が彼に続いて部屋を出る。
 リャンカはゾフの視線を感じていたが、あえて目を合わせなかった。

 三階の激戦は続いている。
 ラドゥたちが到着したことで一時は優位に立ったが、それも数分間に過ぎなかった。階下から押し寄せる敵の増援を、完全に食い止めることはできない。
「明らかに戦い方が変わったな」
 ラドゥの言葉にオリアは同意する。敵は、こちらを制圧するつもりで来ている。捕縛を天秤にかけるような小細工はやめたようだ。
「子どもたちを四階へ置いてきたのは正解でしたね」
 トマ上等兵とさらに護衛兵を数人つけて、ミハイたちをカフェに留めておいた。
「敵はそれも承知の上だろう。だからこそ躊躇しないのさ」
「それならば、こちらも遠慮はいりませんね」
 三階は大半がオフィス構造だ。大型モニターの乗ったデスクがいくつも並ぶ様は、近代的な工場を彷彿とさせる。しかしそれも、いまは倒され、積み上げられ、バリケードとしての機能だけが求められていた。ラドゥたちからは左手の奥にブルンザ隊が見える。
 四階へ続く階段はラドゥたちの背後にある。幸運なことに、この階段の起点は三階だ。敵に背後をつかれる心配はない。隣接するエレベーターもすでにその機能は失われている。だがそのかわり、正面に大階段があった。メインエントランスから直接つながる、ガラスの手すり壁を備えた美しい開口部だ。敵はそこから、次々と増援を送り込んでくる。
「さすがに、ティラスポリスのヤクザとは格が違うな」
 砕けたモニターの破片が、伏せるラドゥの頭に降り注ぐ。跳弾がオリアの肩をかすめてカーペットを穿った。
「顔を出すことすらできないな。敵の位置が把握できない」
 ラドゥが頭を振ると、鋭角にとがった破片が転がり落ちた。破片のなかで、オリアと目があう。ふたりは同時に思いついた。
「……なるほど」

「あまり吹き抜けに近づかないでください」
 トマ上等兵が汗をかく。
「どうしても気になる」
「やめてください。流れ弾でもあたったらどうしますか」
 ミハイとエマの残る四階のカフェには、ひとつ特徴があった。壁面にボルダリングウォールの吹き抜けがあるのだ。スタート地点は三階。コースは彼らの目の前を、半円形の手すりに囲まれた吹き抜け空間を通り、天井まで伸びている。いまはそのコースを使う者はいない。途切れることのない銃声や、怒号のような叫び声を四階に届けるための、巨大な伝声管でしかなくなっていた。
「エマ、何を考えている」
「あんたと一緒じゃない? だいたい」
「そうなのか」
「いつだって『安全になるまで待ってろ』って言うんだよね。みんな」
「待つことで事態が好転するときばかりじゃないからな」
「そう。そうやって王太子の椅子から転げ落ちたやつもいるし」
「武器密売組織に失脚させられそうになったお人もいるな」
 ふたりは声を上げて笑った。
「あれってさ。ものすごく重そうじゃない?」
 指差す先にはアレカヤシの鉢植え。ここにはそれがいくつもある。
「良いと思う。ロープもここにあるし」
 予備のクライミングロープを納めた箱が、足元に転がっている。
「じゃあ、そういうことで」
「うん」
 トマ上等兵はまた汗を拭った。どうやら護衛対象たちは、額が乾くひまを与えるつもりはないらしい。彼は半ば自暴自棄になりながら「なにを手伝えば良いので?」と問いかけた。

【4】

 それは、縦に折ったイチョウの葉のような形をしていた。ツヤのある表面は当然のように周囲の景色を写し込んでいる。高級なモニターを保護していたガラスコーティングの一部だ。
 床に尻をつけたラドゥは、上半身をデスクに押しつけ、破片を掲げるようにして持ち上げる。オリアは片膝を立て、身体の一切を敵に晒さないようにして、銃を持った右手だけをデスクの上に置いた。
「もうちょっと上です。位置じゃなくて角度のほう」
「こうか」
「それじゃ床しか見えないです。角度を浅くしてください」
 敵の銃撃が激しく、直接照準をつけられない。ならば、破片をミラーにして間接照準をすればいい。
「これでどうだ」
「いい位置です。そのままキープで」
 ラドゥたちが大人しくなったせいか、敵の意識はブルンザ隊に向いているようだ。ミラーのなかで、黒い装束が見え隠れしている。
 発砲。障害物の隙間を縫うようにして、弾丸が敵兵士の側頭部を撃ち抜いた。
「お見事」
「ちょっとだけ右に傾けてください」
「こんなもんか」
 目の前で同僚を殺された敵兵士は、短機関銃に怒りを乗せた。だが彼は二秒しか引き金を引くことができなかった。喉に侵入したオリアの銃弾が気管を破壊し、彼の肺がふくらむ機会を永久に奪ったからだ。
「次」
 姿の見えないスナイパーは脅威だ。敵がラドゥたちへの警戒心を高めたのは自然だと言えるだろう。しかし、ブルンザ中佐もまた隙を見せて良い相手ではなかった。
 ブルンザ隊は犠牲を出しながらも、いったんは放棄した二列目のバリケードを奪還した。それは、襲撃者たちに位置の変更を強いることとなり、遮蔽物から出ざるを得ない者もいた。彼らはひとりづつ、オリアの銃弾によって倒されていった。

「そろそろいいんじゃない?」
 ボルダリングウォールの吹き抜けを、エマとミハイが覗き込んでいる。
「もうちょっとじゃないか」
「欲張らないほうが良いと思うけど」
「それもそうだな」
 ふたりの合図を受けて、トマ上等兵たちはアレカヤシの巨大な鉢を転がした。その質量はガラス製の手すりを容易に砕き、引力のままに落下を開始した。
 ヤシの根本にはクライミングロープの端が縛り付けてある。もう一方の端は、天井の配管を通じて、三階の床に垂れ下がっていた。その先端は広い輪にしてある。カウボーイが使う投げ縄を巨大にしたものだ。
 ラドゥらに押される敵部隊は、ちょうどそのデスクの列を新たな防衛ラインにしようとしていた。破片と薬莢の転がる床に、真新しいロープが広がっていることに違和感を覚えた者がいたかもしれない。だが、彼らは銃撃から身を守ることに集中していた。
 アレカヤシの鉢が落下すると同時に、ひとりの兵士が悲鳴をあげた。足首に食い込んだロープが彼の身体を持ちあげ、吹き抜けの中間に吊りあげたのだ。
「うまくいったぞ。次いこう」
 ふたつめの鉢が落ち、またひとり宙吊りになる。三人目はパニックに陥り、自陣に銃弾の雨を降らせた。
 この混乱を見逃すブルンザ隊ではない。バリケードから一斉に躍り出て、敵兵を屠ってゆく。ラドゥとオリアもそれを援護し、敵はたちまち恐慌状態となった。
「ひょっとしてベストタイミングだった?」
「軍略についてはエマの伯父上から薫陶を受けているからな」
 ミハイは鼻をこすった。
「なんか自分の手柄にしてない?」
「違うのか」
「あんたは決断しきれなかったのに。背中を押したのはあたしでしょ」
「決めたという意味では一緒だと思うが」
 トマ上等兵が割って入る。
「どちらにしても膠着状態を破ったのは事実ですから。胸を張りましょう。我々は司令部を救いました。とはいえ、まだ仕事は途中です」
 彼は小銃を構えると、視界の下で宙吊りになっている三人に銃弾を撃ち込んだ。
「どうして?」
「グレネードホルスターに指をかけていました。生かしておけば味方に被害が出ますので。相手に戦闘意欲がある以上、終わったと思ってはいけません」
 敵部隊は撤退戦の姿勢をとりつつ、大階段を二階へと降りてゆく。

つづく

ヘッダー画像は安良さんの作品です!Special Thanks!!

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