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簒奪者の守りびと 第八章 【3,4】

第八章は8シークエンス構成です。4日連続更新。
<3,800文字・目安時間:8分>

簒奪者の守りびと
第八章 アレクサンドロヴカ

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【3】

 南部にはネデルグ家のような大領主は存在しなかった。中小規模の領地がモザイク状に組み合わさり、南部ソフィア地方を形成している。領主たちのなかには、クリスチアン三世に忠実な者もいないではなかったが、風見鶏が自らの尾に逆らえないのと同じだった。彼らは、民衆と軍がアルセニエの名の下に集うのを見て、少年の機嫌を伺おうとした。そんな彼らの生命と地位と財産を、ミハイは保証してやるだけでよかった。
 クロクシュナを発った軍は、北上するにつれて増えてゆく。ブルンザ中佐が指揮を執るその集団は、当初「クロクシュナ守備隊」の名称を用いていたが、実態にそぐわなくなってきたため、次第に自らを「ミハイ軍」と呼ぶようになった。ミハイ自身はそれを好まず、単に「南部軍」という呼称を提案したが、それはまるで定着しなかった。
「ソフィア地方はほとんど味方になったと言っていいでしょう」
 ブルンザ中佐は胸を撫で下ろす。南部をふたたび戦禍に巻き込むことは、最小限に抑えたかったからだ。
「あとはいくつかの小さな村だけです。問題はないでしょう」
 ところが、そのうちのひとつ、トパラ村に異変が起きていた。
 広い農地に囲まれた小さな村落。その中心には教会と学校があり、放射状に民家が並んでいる。商店はわずか二店しかない。そんな穏やかな村を守備するわずか六名の兵士たちが、銃で脅し、住民たちを学校に集めたというのだ。
「虐殺の懸念がある。不用意に軍を近づけるな」
 大地のうねりのほとんどない広大な平地に、直線的な防風林が植えられている。部隊はその線より先へ進まず、村を刺激するのを避けた。
 遠望して理解できたことがある。村人たちは小学校の建物を取り囲むように等間隔で立たされており、その背後を銃を持った兵士が巡回しているのだ。
「……人間の鎖か」
 苦虫を噛み潰したような顔で、ラドゥはつぶやく。口内に溜まった唾を吐き出したい衝動に耐えていた。
「トパラ村は誰が指揮している」
 ブルンザ中佐の問いに、部下が答える。
「ヨキ中尉です。最近やってきたばかりだそうで」
「ということは、地元出身じゃないね」
「でしょうね。おまけに、こんな田舎に派遣されてるってことは、出世の見込みもなさそうです」
「それだけに、起死回生のアピールをするつもりなのかもしれない。刺激しないほうがいい。そういう輩は派手なことをしたがる。しかし、だからとって全軍をここで留めておくわけにもね……」
 回避して進軍する手もあるが、人間の鎖が有効であると敵方に学ばせることは避けたかった。
「私の方針を伝えておこう」
 ミハイは立ち上がった。
「まずは相手の話を聞く」
「いいアイデアです。話をしてきましょう」
「いや、中佐。あなたが行くべきではないと思う。そもそも、軍の関係者は行かないほうが良いだろう」
「では、誰が?」
 神妙な顔つきで黙って聞いていたラドゥは、周囲の視線が自分に集まっていることに気づいた。

 平屋のその建物は、遠目に見るよりも小さかった。古いコンクリート壁には亀裂とシミが目立つ。屋根は煉瓦色をした低い三角形で、屋上はない。すぐ隣の敷地は子どもたちの運動場になっており、枠だけになった古いサッカーゴールが佇んでいる。校舎のすぐ隣にはニワトリ小屋と馬小屋があり、鹿毛馬が退屈そうに尾を揺らしていた。
 それらが日常と地続きの部分だとすれば、等間隔で校舎を取り囲んでいる人々の存在は、明らかな異常を示している。正面には、白い髭をたくわえた壮年の男。隣には花柄のスカーフで頭部を覆った老婦が立ち、さらにその向こうにはロゴ入りのダウンジャケットを着た青年が見える。村人たちは、家族同士が死角になる場所に立たされている。身内に累が及ぶことを恐れさせ、反抗できないようにするためだ。
 校舎から現れた上等兵が、ラドゥを舐め回すように見る。小銃の銃口は地面に向けているが、引き金から指を離していない。ラドゥは丸腰をアピールするために、薄手の白シャツ一枚しか着ていなかった。
「降伏の使者か?」
 からかうように笑う。
「交渉人だ。司令官と話がしたい」
 兵士は煙草をくわえたまま、顎で「ついてこい」と命じた。

【4】

「で、結局そちらはなにが言いたいのです」
 校長のデスクに両肘をついて、ヨキ中尉は微笑んでいた。生来、体毛が薄いのであろう。上唇のあたりと顎の先端に、ヒゲを伸ばそうと努力したあとが見える。額もやや広い。
「人間の鎖をやめろということだ。シンプルだろ」
 ラドゥは校長室の中央で、銃を構えた兵士に左右を挟まれ、立たされている。
「あなた、もっと図々しいことを言ってませんでしたか」
「なんだって?」
「通過を認めろと要求したでしょ。なんのために私が人間の鎖なんて非道なことしているのかわかってないんですか。あなたがたを足止めするためですよ」
 ラドゥは沈黙する。
「それなら『人間の鎖を解除するかわりに、進軍をやめる』というのが当然でしょ。その逆が『村人は死んで構わないから、進軍を続ける』という判断ですよ。にもかかわらず『人間の鎖をやめろ。進軍するから道を開けろ』って、なにそれ。頭になにか涌いているんですか」
 中尉は微笑みを崩さない。
「あんたみたいに筋肉が取り柄の人間とは話ができません。交渉役を交代しなさい」
「交代だと?」
「最高責任者が単独でここに来ることを要求します。つまり、ミハイ元王太子」
 ラドゥの上半身に力がこもったことを、ヨキ中尉は見逃さなかった。
「私は陛下のご意志でこの土地を代表しているわけですよ。そちらも代表者が来るべきなのは当然でしょ」
「それはできない」
「じゃあ、話は終わりです。進軍するなら村人が死にます」
「ミハイはまだ十二歳だ。大人の補佐が必要だ」
「それは認めましょう。でも、あなたではダメです」
 奥歯を噛みしめて堪える。
「もうひとりの反逆者がいましたね。たしか、オリア・シュテファネツ。彼女を帯同することを認めましょう。それ以外の人間が村内に立ち入ることを許可しません」
 ヨキ中尉は立ち上がり、デスクを回り込むと、それに尻を載せるようにしてラドゥに向き合った。両手をポケットに差し込んでいる。
「銃の名手だそうですね。どんな形式の銃でも彼女の手にかかれば従順な守護天使になると。違いますか」
「事実だ。何度も助けられた」
「私は怖い。どんなに小口径の銃でも、彼女が持っていると想像するだけで交渉に集中できそうにない。彼女が丸腰だとどう証明します?」
「俺も丸腰で来た。俺たちは騙し討ちはしない」
「それを一目でわかるようにしなさい。オリア・シュテファネツは衣類を身につけることを許可しません」
「……なんだって?」
「許すのは下着までだ。これは温情ですよ」
 中尉の口元が歪む。ラドゥの右隣に立つ軍曹の鼻息が少しだけ強くなった。
「わかってくださいよ。こんな田舎では、しわしわの年寄りと太った中年しかいないんですよ。兵士たちに少しは誇りを取り戻させてやりたい。部下を持つ身ならわかるでしょう」
 ラドゥは視線を落とした。
「……わかったよ」
「ほう、素直ですね」
「……おまえらには話が通じないということがな!」
 ラドゥは瞬間的に腰を落とすと、右の拳を軍曹の顎に叩き込んだ。強烈なアッパーを食らった男は上半身をのけぞらせ、よろめく。その間にラドゥの左足は反対側の上等兵の顔面を捉えていた。鼻梁と前歯を砕かれて、捻れるように床に倒れ込む。軍曹が持ち直し、小銃をラドゥに向けようとする。ラドゥはその銃身を掴み、力比べが始まった。
 突然の事態に動揺したヨキ中尉はホイッスルを鳴らし、応援を呼んだ。ドアから二等兵が飛び込んできたが、運に見放されていたとしか言いようがない。ラドゥたちの小銃が暴発し、彼の胸骨はあっけなく撃ち砕かれた。二等兵はやってきたスピードのまま床に転がる。ヨキ中尉は悲鳴を上げてデスクの裏に隠れた。
 銃身をぐっと引き寄せる。軍曹は奪われまいとして力を込め返す。その引く力を利用し、ラドゥは渾身のヘッドバットを見舞った。頬骨を砕かれた軍曹は、しかしそれでも小銃を離そうとはしない。ドアからさらに兵士がふたり飛び込んできた。ラドゥは揉み合いつつも軍曹のホルスターから拳銃を抜き取り、兵士たちに向けて撃った。弾丸は逸れたが、彼らは同士撃ちを恐れて反撃できずにいる。彼らの「抵抗するな!」という叫びを無視して、ラドゥは拳銃のグリップで軍曹の頬骨をさらに陥没させると、兵士たちに向けて突き飛ばした。
 ひとりがその身体を受け止め、もうひとりはラドゥに向けて発砲する。銃弾がシャツを切り裂いて脇腹をかすめた。反撃の弾丸が、兵士の頭部を過たずに射抜く。その死体が崩れ落ちるよりもはやく、ラドゥは床に身を投げた。一瞬前まで立っていた位置を銃弾が通過してゆく。ラドゥは彼らに銃口を向ける。強い仰角。ほとんど直上方向と言っていい。あとは弾倉が空になるまでトリガーを絞るだけだった。
 部下たちが殉じてゆくのを尻目に、ヨキ中尉は窓から逃走した。


つづく

ヘッダー画像は安良さんの作品です!Special Thanks!!

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