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簒奪者の守りびと 第八章 【1,2】

第八章は8シークエンス構成です。4日連続更新。
<3,600文字・目安時間:7分>

簒奪者の守りびと
第八章 アレクサンドロヴカ

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【1】

「命を捧げる対象は、勇者アルセニエの子孫でなければならない」
 ブルンザ中佐の声明がクロクシュナの将兵に与えたものは、まず安堵であった。彼らが一様に恐れていたことは、マリア妃の遺子に銃口を向けることであり、対岸のセベリノヴカと銃火を交えることだったからだ。
「よって我々は、ただいまよりミハイ王太子殿下をお守りすることを責務とする」
 つづく言葉の意味を理解した順に、将兵たちの背筋は伸びていった。それはクリスチアン三世の王命に従わないという宣言であり、つまりは王国軍からの離脱を宣していたからである。
「剛毅な方だ」
 感心するラドゥにオリアが問いかける。
「守備隊が味方になったことは心強いですが、クロクシュナは孤立しています。勝算があるのでしょうか」
「たしかに、勝算がなくても動いてしまいそうな人ではあるな」
 ブルンザ中佐は、南部の各都市に人員を派遣しつつ、各地の守備司令官たちと連絡を取りあった。もとより、復興が後回しにされてきた小都市では、クリスチアン三世によるティラスポリス再侵攻に否定的な意見の持ち主が多かった。ブルンザ中佐は、すでにある球根に水をやるだけでよかった。
 南部出身の軍人たちの心には戦争の記憶が根を張っている。どこよりも激しく戦い、どこよりも荒廃した。だからこそ、復興がもっとも遅れた。まだ立ち直り切っていないのだ。あのとき生まれた赤ん坊が、まだ十五歳にもなっていない。彼らが自分の人生を意気揚々と歩み始めるまで、戦争が終わったとは言えないのだ。しかし、新しい君主は川の向こうへ攻め込めと言う。軍人でありながら戦いを望まないのは矛盾しているのかもしれない。だが、この大地をゆりかごとして生きてきた、ひとりの人間としての答えが、軍人としてのそれと同じとは限らないではないか。
 球根がブルンザ中佐によって水を与えられたのなら、自問自答が土に温度を与えた。
 王国の軍人は王の命令によって動く。勇者アルセニエによって建国された王国を守るのが使命であり、その王に仕えることが喜びであるからだ。私的な思いは別として、彼らはみな、現在の王クリスチアン三世に従うつもりであった。ここに、アルセニエの子孫が現れるまでは。
「ルトプ守備隊はブルンザ中佐の指揮下に入ります」
 最初に決断した小都市ルトプの司令官にとって、ブルンザ中佐が十五年前の戦友であったことは、多少なりとも決心の助けになったかもしれない。加わった戦力はわずかだが、状況に与えた影響は大きかった。球根は一握りの肥料を得たのだ。
「リサカ村はこちらにつきました」
「マクシメニから好意的な返事が届いています」
 ブルンザ中佐のもとには次々と朗報が舞い込んだ。
「ディミトロヴカのフィリプ少佐より、兵力を貸して欲しいとの要望です。なんでも、ネデルグ派のギンプ中佐を追い落とすためとか」
 クロクシュナに次ぐ中都市でも動きが起きていた。ブルンザ中佐は即座に部隊の派遣を指示した。
 ラドゥたちは、息をのむ思いでそれを眺めている。
「……素晴らしい手際だ」
「手際だって?」
 ラドゥのつぶやきに、ブルンザ中佐が反応する。
「私らはなにもしちゃいないよ」
「しかし……」
「みんな自分で決断したのさ。南部には、太陽が昇ったからね」
 中佐はその視線をミハイに向けた。
「クリスチアン三世から見れば、私らは全員反逆者です。反逆者の辿る道はひとつしかありません。途中下車はできませんが、よろしいですか」
 ミハイはブルンザ中佐の瞳から優しさを感じ取った。もし少年がイヤだと言えば、今からでも全てを取りやめて、責任を一手に背負おうとするだろう。彼女の隣にはラドゥの顔がある。相変わらず気遣わしげな眼差しで少年を見つめている。その横にはエマ。すぐにでも馬を駆って王都に殴り込みに行きかねない。さらに、オリア、ローザの顔が並んでいる。ここにいる者たちは誰も、ミハイのそばにいるよう命じられてはいなかった。
「……私は王宮へ行く。そして、クリスチアンの横暴を止める」
 いつの間にか、クロクシュナの将兵たちはみな仕事の手を止め、ミハイに注目していた。
「だが、私ひとりではできない。みな、手を貸してくれるか」
 一瞬の静寂をおいて、兵士たちの動きに活気が戻る。答えを聞くまでもなかった。クロクシュナの将兵たちは、ドニエスティアの歴史上はじめて主君を自ら選んだ臣民となったが、それに気付いている者は稀だった。
 ラドゥはただ蛍光灯を見上げたまま、動かない。

【2】

「第一軍、まもなく渡河完了です」
 部下からの報告を受けたガネア大将は、仰々しく頷いてみせた。
 すでにアウレリアン親王軍の主力はドニエ川を渡り、ティラスポリス側に上陸を果たしている。首都のある東からの反撃に備えつつ、川に沿って南北に細長い陣地を敷いた。後続の兵站部隊の到着を待ち、彼らが追いつけば、第二軍があとに続く手筈となっていた。
「少し遅れているようだな」
 王弟アウレリアンは王国側を眺めていた。総司令官の心配を拭うべく、総参謀長はその体躯をゆすりながら笑った。
「なぁに、我々が速すぎただけです。一時間も待てば兵站部隊は追いついてくるでしょう。そのあとは第二軍がやってきます。そのときこそ、スミルノフの首を取るときですぞ」
「それにしては、スミルノフの動きがなさすぎではないか」
「敵方は、我々と比較すれば戦力が足りません。首都防備が精一杯でしょう。ここまで迎撃に出向く余裕はないということでしょうな」
 自慢のヒゲをしごきながら、ガネアは言った。
「ほら、ご覧なさい、坊ちゃん。兵站部隊が到着しましたぞ」
 川の向こうに、砂埃を巻き上げるトラックの車列が遠望できた。部隊は躊躇なく石橋をタイヤで踏みつけ、アウレリアンのもとへ向かってくる。遅れを取り戻そうと急いでいるのかもしれない。だが、彼らはティラスポリス側へたどり着けなかった。
 最初に揺らいだのが大地なのか空気なのか、判断することはできない。突如として大量の粉塵が舞い上がり、これから起きることの深刻さを宣言するかのように、轟音が将兵たちの鼓膜を殴りつけた。次の瞬間には、明らかに地面の一部であったはずの土砂が空中に持ち上がり、放物線を描いてドニエ川の水面を針山に変えた。地盤を失った石橋は、皮をなくしたシュークリームのように脆かった。重力に抗うそぶりすら見せず、その背に乗せていたトラックの車列などなかったかのように、崩れ去って川底へ消えた。
「スミルノフめ!」
 ガネアは大声をあげた。
「他の橋は!」
 参謀のひとりが通信機を手に取ったが、確認するまでもなかった。次々と爆発音が聞こえてきたからだ。アウレリアン親王軍が占拠した五本の橋は、すべて川底の泥の一部となった。
「なんてことだ。事前に察知できなかったのか」
「先行部隊が渡ったあと、工兵に確認させたのです。爆発物の類は見つかりませんでした」
 スミルノフにとって、この十五年間、仮想敵は王国であり続けた。だから王国軍の越境には備えてきた。洪水が堤防を削ったある年、両岸はインフラ整備としての護岸工事をおこなったが、スミルノフはそこに軍事的な意味を足していた。護岸そのものを改造し、橋を支える地中の橋台そのものに爆室を設けていたのだ。
「これでは後続が到着できないじゃないか」
 アウレリアンのつぶやきは、不吉な未来を予言していた。補給が受けられないだけではない。第二軍と切り離され、孤軍となったのだ。ガネアの顔面は青ざめていた。川に沿って南北に細長い陣を敷いた、己の判断を後悔したのだ。
「ご心配なさるな、坊ちゃん。工兵に架橋を命じます」
「しかし、時間をどう稼ぐ」
「お忘れなきよう。我が軍には空軍があり、スミルノフにはありません」
 ふたりは視線を重ね、頷いた。だが聴覚は次の異常を感じ取っていた。遠い東の空で唸りはじめた雷鳴が、複雑な音律をともなって近づいているのだ。明らかに人為的な音だ。見上げると、二機のSu-27が視界を横切り、西の空へ飛び去ってゆく。それらが引いた四本の白い筋雲が、空に残っている。
「……まずい」
 ガネアが部下をはじき飛ばし、通信機に唾を飛ばした。
「迎撃しろ! 基地へ近づけるな!」
 敵を侮るガネアとおなじ色眼鏡を、対空火器群の将兵たちもかけていた。彼らは現状把握に時間を費やし、最大にして唯一のチャンスを棒に振った。王都ちかくの空軍基地では警報が鳴り響き、若いパイロットは生まれて初めてのスクランブルに膝を震わせた。ただし、実戦の機会は先送りとなった。格納庫の扉が開ききったときはすでに滑走路に大穴があいていたからだ。
 ドニエスティア王国唯一の空軍基地、ルクレシュティ基地は先制攻撃を受け、使用不能となった。
 アウレリアン親王軍は、その主力のみを東岸に置き、本国と完全に切り離された。


つづく

ヘッダー画像は安良さんの作品です!Special Thanks!!

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