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noteをはじめてちょうど一年、初心を忘れずにいようと思っています

 すごい人たちが集っているあこがれのnoteに、自分が参加するだなんて、大それたことのように感じていました。

 当時、働けなくなって休職してまして、自分と向き合い続ける日々を送っていました。なぜか、私の勤務先は「休職中はSNS禁止」という得体の知れないルールがあるのです。でも、暗い部屋で体育すわりして、ヒザの塩分を舐め続けることが回復の近道になるわけないじゃないですか。

 どこかで人との交流が必要だし、自分の叫びを聞いてもらいたかったし、とにかく生き延びるために、わたしはnoteをはじめたのです。


最初は子育てエッセイを書いてました

 しかし、これがほとんど読まれなかったのです。

 子育てエッセイが読まれないというのは、自分の子育てを否定されている気がしてショックでした。

 たしかに休職前はアホみたいに働いていましたので、奥さんにワンオペを強いてしまっていました。だから働けなくなった途端に子育てパパを気取っていることを、noteのお歴々に見抜かれたような気がして、そわそわしていました。

 このころは、ダッシュボードを1日5回くらい見てました。あきらかに病んでましたね。


長時間労働で心身を壊したことに対する怒り

 これを書くようになってから、徐々に反応をいただけるようになりました。同じように現場で苦労されている方々、それに教員の方々からリアクションをいただけたのが印象深かったです。

逆噴射小説大賞との出会い

 10月、ダイハードテイルズ主催の第二回逆噴射小説大賞が開催されます。それまでパルプという言葉に馴染みがなかったわたしは、当初、この告知をスルーしました。自分には関係ないと。

 しかし、なにかがざわざわするのです。ためしに前年の受賞作を読んでみたら、感心するやら度肝を抜かれるやら。そのうち、自分も書いてみたいという欲求が、微炭酸の気泡のように心の内側をのぼっていることに気づきました。

 初参加ながら5発の銃弾を放ちました。若いころに小説を書いていた感覚が、戻ってきました。

私設賞「1200文字のスペースオペラ」を開催

 島津さんの「教養のエチュード賞」に触発されて、僭越ながら私設賞をやってみました。これも、noteに参加したときと同じような勇気が必要でした。けど本当に、やってよかったと思います。

 ここで、パルプ勢とはまた違った方々との交流が始まります。


電子パルプマガジン「無数の銃弾」の刊行

 ことの発端は「noteの読み手不足問題」という意見交換から始まったのを記憶しています。もちろん多様な意見があったのですが、ふと「なら、外に探しに行けばいい」という、ぺこぱっぽい発想が浮かんできたのです。

 そうなんです。メキシコの荒野がいかに過酷であるかを語り続けていても、読み手が増えるわけじゃないのです。じゃあ、たまには海に出てみようじゃないかと。ヘミングウェイだってたまにはバナナボート乗ってウェイしてたかもしれないですし。

 賛同してくれた仲間たちと一緒に、第一回目の航海に乗り出すことができました。もう、なんていうか。楽しいです。これこれって感じです。「創る✖︎創る」なんですよね。


noteさんに感謝

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 ここで大切な人たちと出会うことができました。たった一年前には接点がなかった仲間たち。いまでは欠かすことのできない大切な存在です。おかげさまでメンタルの不調も解消し、職場に復帰することができました。

 とにかく、noteさんに感謝です。

 感謝です。

 感謝です。

 ……ここまでは。

むしろnoteさんに心折られそうになったことが幾度も

ここから先は、note最高大好きバンザイな方には、そっとブラウザを閉じていただいたほうが良いと思っています。たぶん不快にさせちゃうので。

 noteに新たに参入して最初に直面する悩み、それは「読まれない」ですよね。いきなりバズる特異例を除いて、だいたい誰もが通る悩みなんじゃないかな、と思います。

 読まれないと、否定されている気になります。いや、宣伝は自分の責任だとわかったうえで。それが不十分だというのは承知のうえで。それでも否定されている気持ちになってしまいます。特にそれが、自分の人生を切り取ったような大事な記事であればあるほど。

 だんだんわかってきのですが、それは「読まれない」のではなく「存在に気づかれていない」なのです。

 noteは新規参入者の存在を知るスキームがほぼゼロです。

 フォローされてはじめて、誰かのタイムラインに自分の記事が表示されるわけですが、参加したてはフォロワーがいないので、ほとんどどこにも掲載されていないのですよ。つまり、魂込めて書いた記事を、noteさんはいきなりお蔵入りさせているのです。

初めての記事を紹介するしくみのほうが良くないですか

 新規参入すると、まず興味のあるジャンルを聞かれて、そのジャンルにおける有名noterをフォローさせられますよね。あれなんか怖くないですか。

「この集落に引っ越してくるなら、まずこの人とこの人には挨拶にいきなさい」

 っていう、田舎特有のあれな感じ。

 逆だと思うんですよ。

 新規参入者が最初の記事を投稿したときに「今日、初めての記事を投稿した方々がこちらです! ぜひ記事を読んでみて、もし気に入ったらフォローしてくださいね!」って、既存のnoterにお知らせするほうがいいんですよ。

 初々しい気持ちだったり、気合を入れて書いた記事こそ読んでもらいたいですよね。そしてフォロワーが増えれば、今後投稿する記事もタイムラインに表示されるわけですし。

 もちろん、ちゃんと運営に提案しましたよ。


編集部のおすすめには気をつけろ

 なかなか読まれない。頑張っているのに読まれない。人生を切り取ってまで大切なことを書いているのに、読まれない。

 そんなふうに心が弱っているとき、藁よりはちょっとマシかなと思って掴もうとするのが「編集部のおすすめ」ですよね。これに取り上げられれば、読んでくれる人が出てくるはず。わたしもすがりました。

 どういう記事が好まれるのか、傾向と対策を練ろうと思うじゃないですか。そこで編集部のおすすめを順番に読んでいくわけですよ。そこには「noteで成功するためには」みたいな記事がたくさん取り上げられているわけですよ。

 心が弱ってなかったら気づくんですが、おかしいですよね。

 高野連が「甲子園で優勝する19の方法」とか出版しないですよね。

 ノーベル財団が「受賞が近くなる206の習慣」とかやらかさないですよね。

 しかも中身が……

1. とにかくいい記事をかけ
2. 毎日更新しろ
3. 編集部からお声がかかるのをじっと待て

 ほとんどの記事が要約するとこんな感じなわけです。

4. 俺の有料サービスに入ればなお良い

 これが加わっているのもあります。

 この時点でかなりおかしいです。だって、方法論がこれしか出てこないのって尋常じゃないですよ。「甲子園で優勝する3の方法」「受賞が近くなる3の習慣」ってちょっと少なすぎでしょう。もう帯だけで済むじゃないですか。

 それ以外のことを言っている人も大勢いるはずなのに。

 要するにこの方法論を語っている記事を積極的にピックしているということなんでしょう。

 編集部のおすすめは、かなり恣意的に選ばれているのは間違いないです。選ぶのが人間だから仕方がないのですが、現状の記事投稿数に追いついていないようで、特定のnoterの記事を優先的に読んでいるきらいがあります。

 もちろん理解できるんですよ。投稿数が多すぎますから。もしこの状況下で自分が選者だったら、J1、J2、J3みたいに投稿者をランク分けして、J1の記事を重点的に読みます。次はJ1が引用したり、頻繁にスキを押しているJ2の記事をチェックします。J3はもう放置ですね。手が回らないですから。


読まれないと愚痴ったときの追い討ち

 編集部のおすすめに選ばれたくて自分のスタイルを売りさばいたのに、それでもnoteさんは振り向いてくれない。自分を裏切ってしまった後悔や罪悪感、でもそれと戦いながら立ち上がる。そしてまた見向きもされない。そんなことを繰り返していたら疲弊します。

 そしてつい愚痴ってしまいました。「読まれない」と。

 そうすると、どこからともなく飛んでくるんです。

「読まれない方が悪い」
「読まれたいと言うわりに努力していない」
「みんな苦労してここまで来たんだから自分だけラクできると思うな」
「自分は読まれたいと思ったことはない。そう感じるほうが悪い」
「嫌なら出て行け」

 すでにうっすらと解けかけていた魔法が、これで消え去ります。あこがれていたnoteの本当の姿が見えてしまうわけです。ああ、ここは村だった。


消えていく同期たち

 似たような時期に参入したひとたちと繋がりができると、なんとなく親近感を持ちますけれども、これが半年ぐらいのあいだに続々といなくなったんです。

 それにはフラグがあって「noteへの感謝の記事」が投稿されると、それほど間を置かずにいなくなるんです。

 バスケが楽しくてしょうがない人が「バスケに感謝」を綴りませんよね。釣りにどハマりしている人が「釣りに感謝」なんて書きませんよ。ただただ、無心で今日も出かけるでしょう。振り返るということは「自分は本当はnoteで何がしたかったのか」「自分の書きたかったことは本当にこれなのか」と葛藤しているってことなんだと思います。

 あと、本当は不満を綴りたかったのに、村を守る人たちの視線が怖くて、感謝文にして軟着陸させたってこともあるかもしれませんね。わたしはあります。それをしたらモヤモヤが加速しました。

ここはメキシコの荒野

 なんで一年間も続いたかというと、この言葉の影響が大きかったかもしれません。乾いた風が砂を巻き上げ、太陽が背中を炙る。癒しや安息とは無縁の荒野。心が乾燥するのはしかたがない。そもそもここには潤す水が少ないのだから。

 ときおりすれ違う旅人の顔をみれば、やはり汗の跡に砂埃がはりついている。でも生きている。そこのサボテンの根元には、もう更新されなくなった死体が転がっているが、自分たちはまだ歩いている。そんな感じです。

 そもそも荒野なので、うまくいかないのが自然なのです。生きているだけですごいのです🌵

初心を忘れないようにしたい

「前回の記事はスキが5もついたけど、今回のは3しかつかない。なにがいけなかったんだろう。ふたつの記事の違いを分析して次に活かさないと……」

 こんなことを毎日考えていました。なんていうか、ちょっと取り憑かれてますよね。

 いまならわかるんです。違いなんてないんですよ。だって、誰のタイムラインにも表示されてないんですもん。たまたまタグ検索した人の目に触れただけで、ようするに偶然なんです。

 でも新規参入したばかりってこういう心理状態になりません? そして、編集部のおすすめに選ばれるために自分自身を裏切りはじめるんです。葛藤のはじまりです。

 このときの気持ち。不安で惨めで、混乱している。このときの気持ち。これを忘れないようにしようと思っています。

 だって忘れてしまったら、村人になってしまうわけですから。



電子書籍の表紙制作費などに充てさせていただきます(・∀・)