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映画「すずめの戸締り」評 存在と時間

映画「すずめの戸締り」評 存在と時間


新海誠監督のアニメーション映画「すずめの戸締り」は、劇場公開処女作「ほしのこえ」から数えて8作品目であり、「君の名は。」「天気の子」の大ヒットに続く東宝配給による3作品目である。
九州の静かな街で暮らす岩戸鈴芽(声:原菜乃華)は、ある日、宗像草太(声:松村北斗)という青年と出会う。彼は「閉じ師」として、日本各地に存在する「後ろ戸」を閉め鍵をかける旅をしているという。「後ろ戸」からは災いが訪れるというが、思いがけずそれを開いてしまった鈴芽は、草太と共に次々に開いていく扉を閉める旅に出るー。

新海誠は「君の名は。」「天気の子」「すずめの戸締り」の3作品で『災害』という大いなる存在を描いた。「君の名は。」では『彗星の衝突』、「天気の子」では『異常気象』、そして今作「すずめの戸締り」では『地震』である。
「君の名は。」では彗星の衝突によってひとつの街が消し飛び、世界線にずれが生じ、巻き込まれた主人公たちが時間軸を超えたそのパラドックスをどう無かったことにするかが描かれ、それはそのまま大きなトリックとなって観客を感嘆させた。「天気の子」では異常気象による大雨が世界を壊そうとし、主人公たちは自分たちの犠牲によってそれを止めることができたにも関わらず、犠牲を払わず自分たちの存続を優先し抗うことをやめた結果、実際に世界が壊れてしまう様を描いた。そして「すずめの戸締り」では、地震という災害そのものが扉から出てくる竜のような物体として可視化され、主人公たちは神出鬼没なその竜(作中ではミミズと呼称)を旅をしながら扉を閉めていくことで対処していく様が描かれる。
我々日本人にとってこれら3作品の『災害』は、東日本大震災を想起させるものだ。特に今作では明確に3月11日という日付が登場し、主人公の岩戸鈴芽も被災者として描かれる。新海誠の頭の中には、2014年の7月に「君の名は。」の脚本を書いた時から、東日本大震災という一連の出来事への自分なりの決着を作品にしなくてはという考えがあったのではないだろうか。

東日本大震災で我々日本人が感じた絶望感、それはコロナ禍、侵略戦争などの世界情勢にかき消され、今や忘却されていると言っても良いだろう。また、何かが起こるたびに、人々は過去から学ばずに狼狽え、SNSではデマが叫ばれる。メディアには正義がなく、視聴率偏重の報道は偏った思想を垂れ流す。そんなものを目にするたび、私たちはそこから目を背け、考えることをやめてしまい、ついには忘却へと至る。それは圧倒的多数の『みんな』に迎合する生き方だろう。ハイデガーは著書「存在と時間」の中で、『みんな』から離れ、個人として生きよと説く。しかし、今や『みんな』に逆らうことは許されず、『空気』に押しつぶされている私たちは、そこから抜け出して個人としてどう生きるべきだろうか。
今作「すずめの戸締まり」で描かれるのは、まさにそんな、誰かが閉めてくれればいいという無責任な『みんな』として生きるのではなく、自分の責任で扉を閉めるという個人として生きる生き方だ。それは忘却されたものに再び光をあて、それらをきちんと記憶に留め、ケリをつけていくことだ。岩戸鈴芽は、被災した際に開いてしまった喪失と忘却という自身の扉を閉めることで、それらに向き合い、ケリをつける。彼女が訪れる宮崎、愛媛、神戸、富士山、東京そして宮城は、かつての大地震の記憶が残る土地であり、それは日本の龍脈をたどる旅だ。またそれぞれの土地で忘れ去られたものと出会う旅であり、そこに根付く人との触れ合いを記憶に留める旅でもある。「魔女の宅急便」のキキが自身の可能性の女性たちに出会っていったように、鈴芽も自分自身の中へと旅立っていく。自身の手で扉を閉めていくこと、それは周りに流されていてはできない、自己とどう向き合うか、ひいてはどう責任をとって生きるかを問われる旅だ。破裂した原子力発電所に幾重にも重ねた建屋のように、臭いものに蓋をしてきたこと、日本各地に眠るそんな忘却されていったものが、明日は見えるかと問いかける。しかし鈴芽は、自分自身そのものが明日だと、はっきりと観客に告げるのだ。

2011年3月11日に起こったことを、世界中の人が忘れないだろうと、少なくともあの当時は誰もが感じていたはずだ。しかし、2022年現在、誰があの時のことを語るだろう。11年という歳月が、風景を、記憶を風化させてしまった。しかしそんなわたしたちに新海誠は、忘れてもいい、だが記憶は消えない、という作品を残したのだ。チーム新海の映像は恐ろしいほどに美しく、廃墟となった街が一瞬だが蘇り、それぞれの家庭の「いってきます」の風景が描かれたとき、観客は深い感動を覚える。命はかりそめであり、死は常に隣にあることを知っている、だがそれでも一時だけ生きながらえたい。そう語る台詞に、新海誠の作品がこの世界に希望を、未来を与える光になっていると、感じられてならない。

■公開情報
『すずめの戸締まり』
全国公開中
原作・脚本・監督:新海誠
出演:原菜乃華、松村北斗、深津絵里、染谷将太、伊藤沙莉、花瀬琴音、花澤香菜、松本白鸚
キャラクターデザイン:田中将賀
作画監督:土屋堅一
美術監督:丹治匠
音楽:RADWIMPS、陣内一真
主題歌:「すずめ feat.十明」RADWIMPS
制作:コミックス・ウェーブ・フィルム
制作プロデュース:STORY inc.
配給:東宝
©︎2022「すずめの戸締まり」製作委員会
公式サイト:https://suzume-tojimari-movie.jp/
公式Twitter:https://twitter.com/suzume_tojimari
公式Instagram:https://www.instagram.com/suzumenotojimari_official/
公式TikTok:https://www.tiktok.com/@suzumenotojimariofficial



私事と私見


私の新海誠ファン歴は長くて、彼の劇場公開処女作の「ほしのこえ」こそ観られなかったけれど、次作の「雲の向こう約束の場所」から「君の名は。」までは映画館で鑑賞してる。

上京してからすぐに「秒速5センチメートル」を観ては種子島に聖地巡礼に行ったり、「星を追う子ども」がめちゃくちゃコケたことに涙し、「言の葉の庭」が東宝映像事業部での配給となったことで満を辞した感で悦に浸ったうえに新宿御苑に入り浸ったり。

だけれども「君の名は。」で親方東宝の配給が決まって歓喜したと同時に有名になってしまった寂しさと作品が本当に大衆向きになってしまったことに落胆したり(まったくもって面白いし素晴らしい作品であることは間違いない)して、しばらく新海誠から離れていたのが最近までのこと。

だからといってはなんだけれど「天気の子」に至っては公開されているのも忘れていた始末で、今作が宣伝されるようになって思い出したように配信で鑑賞したのだけれど、やっぱり大衆向けなその作風に馴染めず。

なんだかなーと思って今作も鑑賞したのだけれど、いやーどうして3作品も同じテーマで映画を作れるんだろうと感心したし、けっこう普通に泣けて自分でもびっくりした。評にも書いたけれど、忘れずにこんなにしつこく東日本大震災について決着をつけるまでやめなかったのは、クリエイターとして素直にすごいことだと思う。

評に関して言えば、けっこう難産だった。2000文字にまとめようとしたらめっちゃ時間かかった。そもそも新海誠脚本はほぼぜんぶネタバレせずにうまーく伝えるには不可能に近い映画構成なので。たまたま読んでた、100分で名著の「存在と時間」回のテキストが役立って、そっち方面から回り込めたけど、サブカル方面でいったりすると怪文書になりそうだったんであぶなかった。

で、本作の重要な点は、新海誠脚本の妙でもあるサブカル発セカイ系の文脈からくる、SFとかアニミズムや土着信仰とか神道なんかのエッセンスをごちゃまぜにしてぶっ込んで構築された世界観が、それそのものがミスリードのオンパレードであって、物語を見えにくくしてて無駄な考察を連発する恐れを孕んでいるという事実だと思う。だからけっこう批判されてもおかしくないし、この映画に希望を見いだせない鑑賞者も多くいるだろうなーとも思う。特に、地震がそもそも科学として存在しないって設定は、ちょっとやりすぎだよなあ。

実際、新宿の東宝シネマで二度鑑賞してから評を書くまでに参照したネタバレありのレビューがことごとく考察考察考察だらけで、天皇について言及しているレビューとか、ほんとわけのわからないトンチンカンなのが多くて。それもけっこうメジャーなサイトのレビューでもこんな調子で、ムーとかに載せる文章じゃないんだからっていう。「閉じ師」は裏天皇のイメージって、監督本人がティーチインで言ったらしいってのはあるけど、イメージでしょイメージ。それをもとに天皇天皇って、二次創作やってんじゃないんだから。まあ監督本人が自分の脚本を元に二次創作してる感は若干あるから、難しくなってるといえる。

でもまあ映画を映画として論じなきゃいけないのに、語りたい論に無理矢理あてはめるのはやっぱりよくないなーと。まあ考察って楽しいんだよね。で、それぞれの考察をあれこれ考えているうちに、あれ、これってそもそもテーマと離れていってるんじゃね、っていうのに気づくまですごい時間がかかってしまった。

そもそも新海誠作品を面白くしてる要素っていろいろあるんだけれども、確かに脚本を変な方向に読み解こうと思うとけっこう掘っていっちゃえる感じがあって危険なんだよなーと改めて思った次第。笑顔でさらっと大嘘こくタイプの作家なので。劇場限定配布の新海誠本なんかもこの状況を煽ってるし。

たとえば、登場人物の名前とか、ダイジンサダイジンのこととか、蝶のモチーフとか、皇居の地下とか、部屋のインテリアとか、美味しそうな料理とか、祖父とか、そういうテーマとはなんにも関係ない細かいディティールを積み重ねていくのが村上春樹に絆された新海誠の特徴なので、やっぱりコンテキストを正しく解読するのって大事だよねと学んだ。

まあ考察ブームなのは、岡田斗司夫の動画の切り抜きの功罪だと思ってる。オタクの楽しみは、オタクの楽しみなので。くれぐれも。

それと、いちおう現在の福島について、環境エネルギー庁の記事があったので、こちらも載せておく。エモーショナルに考えるのでなく、現実のいまを見定めるのも大事ですよね。


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