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維新の公認落ちた!日本どうする?⑤。私と豊島区について。初めて来たのは19歳です。叔父を訪ねて東京に遊びに来て、観光で連れて行ってもらったサンシャイン60。大人になってからは、東京出張=池袋宿泊でした。

おそらくなんですが、
東京都下などの立候補者がいない地域に引っ越せば、
党の公認はあったかもしれません。
ただ、私は最初から豊島区での挑戦を希望。
第一希望は、この春の統一地方選での豊島区での挑戦。
第二希望は、2年後の都議選の豊島区選挙区からの挑戦。

面接の会話の中では、
都内の他のエリアや、私の出身県からは?などというやりとりがありましたが、
私の印象は「頑固に豊島区」に拘っているように見えたらしいです。
よって豊島区以外ならアウトな人材確定。

もう公認候補は発表されているのでしょうか。
その方々と私は比べられていたと思ってみてください。

私は東京生まれでも、東京育ちでもありません。
昔からの親戚や知人友人も支援者もいません。

ただ、東京=池袋という人生でした。

最初は東口のビジネスホテルが上宿でした。
子供の柔術の試合のために、東京入りする際も池袋宿泊。
弊社ライセンス店が越谷とフランチャイズ店が原宿にできたことと、
北陸新幹線が開通したことで、出身県からの出張が本当に楽になりました。
2015年に越谷に弊社のブランドライセンス店がオープン。
そして、東京進出のためのマーケティングと現調開始。
2016年から月の半分を都内で過ごす生活が始まります。

池袋駅からの近さを優先して、北口のホテルが上宿に。
その後に再び東口のホテルへ。
そして、2017年から事務所兼東京居住拠点としてのマンションを確保。
自社直営店舗が東京でオープン。
新しい家族も迎え入れることになり、
東京在住となりました。

池袋は、最寄駅で、生活拠点です。
5年以上、毎日池袋を見てきました。
この池袋で、コロナ禍の変化を感じてきました。

公認面接やその後の調整で、
他区での出馬の打診はなかったのは、
強い豊島区へのこだわりと愛着を感じていただいたのでしょうか。
現時点でも他区や都下で東京維新の会の候補者は募集していますが打診はありません。
そして、豊島区から離れるつもりもありません。
結果、無所属での挑戦となりました。

これから、4月23日まで、
私が思う池袋の発展や、豊島区の発展についての政策や情報発信していきます。
5年以上生活してみて、見て、聞いて、触れて、食べて、調べて、探して、暮らして、実感したことです。
私から改革すべきという点です。
区政も、国政も、私は労働生産性という観点から考えます。

私は、駅に辻立ちして、朝の挨拶などする予定はありません。
選挙カーになって、名前を連呼する予定もありません。
大物政治家が来て、応援していただくこともありません。
選挙活動、政治活動も、労働生産性を重視します。
このnoteとツイッター、フェイスブックが中心です。

短期と中期と長期の目標を発表しますので、
ぜひ皆さん読んでみてください。

豊島区で応援いただける方は、
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