豊島区議会の本会議を傍聴してみました。政治や選挙、議員や政党が、普通の市民の生活から遠い存在になっている日本で、民主主義はどう伝わるべきか。
本会議や委員会関連を傍聴するのは10年以上ぶりでしょうか。
それらが何の集まりかはわかっていて行ってます。
今回は、どのような空気なのかを感じに。
ちなみに豊島区議会には維新議員はいません。
そして、びっくり議会早々にいきなり懲罰動議が。
どうも、ある議員の発言に、ある政党が激しく反発しているらしく、
開始15分から懲罰委員会。1時間待たされました。
その後のは坦々と続いていました。
ある種ので最終日はセレモニーですよね。
膨張しているのは実質的には私だけでした。
平日の日中に、議会を観に来る区民などいませんよね。
インターネットでは中継はされているようです。
東京人にとっての行政は、
身近なものとは感じてないと思うのです。
正直、何区民であるなんて自覚も希薄ではないだろうか。
田舎では役所は最大企業だが、
東京では民間が大きな力がある。
私が政治だ選挙だと話すと
周囲は特別視する感じがある。
いまだに東京でも、政治には距離がある。
地方に行けばなおさら。ある特殊な階級の話のよう。
民主的な国だが、民主主義でものを決めることに慣れがない。
その最もが選挙だろうが、行っても行かなくても適当だ。
多数決で決まったことが自分たちの人生や生活を左右する。
「●●をよろしくお願いします!」といまだ感情論で名前を連呼し、
「あの人と握手してたことあるから」なんて一票入れる。
感情論でコロナ対策がグダグダの日本を見ていると、
それがいかにまずかったかわかると思う。
ビジネスの世界のような弱肉強食で生きていると、
その違和感はかなりある。
そこには弱者の代表も存在するし、
言い方一つで多数になる場合もある。
そもそも議会や委員会で
物事が決まっているとは思っていない。
もっと以前から話は始まり、
根気強い交渉や勉強があって、
やっと委員会に行くのだろうと思っている。
そのプロセスや時系列を、
自分たちのことでありながら有権者は分かっていない。
付託しているといえば聞こえはいいが、
おおよそは無知なんだろう。
でも、そこにはいくらでも介入できるのが民主主義。
裁判員裁判制度で民間人が裁く立場になれるように、
もっと選挙も行政も気軽に参加できるようになるといいね。
というわけで、
令和のこの時代、
誰でも簡単に選挙に出られて、
うまくいけば当選できて、
兼業で市区町村議員活動でできるのかを探ってみたいと思います。