美しく書きたいんじゃなくて、ドキッとする字を書きたい。私が書道を学ぶ理由
・美しい
・きれい
・うまい
・かっこいい
素敵な字を形容するとき、平たくこんな言い方をする。
よく「美文字」とかいう言葉を目にするけれど、わたしには全然しっくり来ない。
むしろなんかよくわからない違和感があるなと常々感じていました。
形がきれいとか美しいとか、まるで容姿が優れている美人みたいな、そういう外見の表面的な良さ的な表現に感じてしまって、あんまり好きじゃない。
きれいな字・かっこいい字もおんなじ。
最初はわたしももちろん、「あんな風にかっこいい字を書けるようになりたい!」と思って書道を始めました。
でも、そのうち、そういうのを求めて書道をしているのではないなと気付いた瞬間があったんです。きっとみんなどこかで似たような感情になる時があるんではないでしょうか。
じゃあ、なんで書道を学んでいるのか、字を勉強しているのか。
これ以外に上手に表現できる言い換えをわたしは持ち合わせていないのだけれども、
見ていてどきっとするような字を書けるようになりたい、と思っています。
これまた抽象的で、掴みどころのない言い方。
そんな「どきっとする」感情を因数分解してみると、
それは字の緩急かもしれないし、
線質(線の質・美しさ)かもしれないし、
余白かもしれないし、
結局一周回って字形なのかもしれない。
ちなみに、わたしの中で「どきっとする字」の対義語は「だっさい」「どんくさい」だ。類義語は「叙情的な字」。
いつかわたしの字が「この人の字は見ていてどきっとする瞬間がある」そんな風に言われるようになったら、きっと幸せに感じるだろうなと想像できます。
でもね、追加でこうも思うんです。
結局は、それぞれの人が持つ「好み」の問題なのではないか、とも。
いろいろな問いと仮説をカバンに放り込んで、実験と試行錯誤をしていく。
2024.05
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