うつの完治はどこなのか?「仕事辞める」から一転「やっぱりまだ残りたい」に心情が変わった
将来どうなるか分からないけど、
今思っていることを残しておく
まだ会社への復帰が決まっているわけではなく
あくまで、自分の今の思い。
自分の中に残っている少しの「Pride」
「辞める」か「残る」心の中のもやもや
このまま、なにもせずにただ「辞める」という選択肢は何か今までの自分の人生を否定してしまう気がしている。
もう一つは、自分の本当にやりたいことが見つかっていないから、とりあえず社会人としての「市場価値」を高めておきたい、という事。
コンサルティングファームなので復帰した場合に、ある程度領域は決まっているものの「絶対にこの仕事」という確約はない。
そのときの状況によって、アサインされるPJもチームメンバーも変わってくる。
だから、復帰して「絶対に再発しない」と言い切る事が正直難しい。
自分の「戻りたい。回復しました。」っていう状態と、
会社が言う「戻ってOK」には差が出る可能性がある。
憧れの集団の仲間になれた
実は今勤めている会社は自分が大学生のころから「憧れていた会社」でもある。
新卒の時は「今の自分では到底採用されない」という考えでエントリー(ESを作る前に、応募段階にすら登録していない)していない。
「無茶苦茶頭が良くて、体力もあふれる人の集団」だと思っていた(大学のOBからも聞いていた)し、実際入社してみたら、その通りだった。
周りの人達は優秀で、モチベーションが高く、体力もある人が大勢揃っている。
そんな会社になんとかご縁をいただいて、10年越しの思いと共に2018年に「入社」することが出来た。
悩みまくった日々
うつになった原因は色々あるけれど、「自分はなんて無能なんだ。」「果たしてこの会社で自分って「バリュー」を出せているんだろうか」「このまま居続けて大丈夫なのか」という思いが、コロナ渦で孤独になったときに一気に襲ってきた。
「他人」と比べた自分があまりに無力で、情けなく思えてきて、不安な感情が段々と自分を追い詰めていった。
この一年、いつも不安な感情に思い潰される日々を送った。
「他人と比べない」と「俯瞰して自分自身を見る」の矛盾
優秀なメンバーに囲まれて、いつも「なんで自分はもっと出来ないんだ」「マジで自分は無能だ」という考えで頭が一杯だった。
元々、他人と比較して「自己否定」をする癖があるし、多分それは人生単位で見ても自分にコンプレックスがあるから生まれてしまう情動なんだと思う。
そして、会社以外の日常生活でも他人と比べて「なんで自分は幸せになれないんだ」「自分の努力は無駄だったのか」という情動に流されて、マイナス思考の負の連鎖に巻き込まれることがある。
だから、今はマインドフルネス瞑想で学んだ「主客分離をしない思考(人間皆平等みたいな考え)」とか「self-compassion=今のありのままの自分を受容する」
という、思考方法をトレーニングし、
「他人との競争ではなく、過去の自分と比べて何が出来るようになって、なにが成長したかに気づく」を大切にするようにしている。
「俯瞰して自分自身を見る」
人によって価値基準は違うけれど、
今勤めている会社は社会的に「入社難関の優良企業」だと思っているし、
自分でも今の会社にいる事に対して「誇り」を持っている。
だから、「俯瞰して自分自身を見る」と、結構幸せなステータスに属しているんじゃないかと思う。
※あくまで、自分本位で「自分を大切」にするという意味で。
でも、ふっと思う。
その「幸せなステータス」って他人と比べているんじゃないか?
「他人との競争ではなく、過去の自分と比べて何が出来るようになって、なにが成長したかに気づく」
とか言いながら、自分を俯瞰して見るとき、「誰かが作った既成の価値観」に沿っていないか?
「他人と比べない」と「俯瞰して自分自身を見る」は矛盾しているんじゃないか?
「他人と比べない」と「俯瞰して自分自身を見る」を考えながら使い分ける
結局今のところ、自分の中で答えがここに行き着いた。
「自分を否定しそう」になったら、「他人と比べないありのままの自分を受容して」
「俯瞰して自分自身を見るとき(全体性で自分を捉えたとき)」は、今の自分が会社に属せていることに対する「誇り」や「幸せ度合」を冷静に観察する。
そうやって、「理想」と「現実」、(虫の目と鳥の目、ミクロとマクロ)を上手く切り分けながら生きていこうと思う。
そして、なんとか今の会社に復帰することが直近の目標。
「一日の終わり」は人の幸せを願う事を習慣にする
今でも矛盾は解決できていないし、自己都合で自分を大切にする事も大事だけど、「マインドフルネスに生きる」にはそれでは少し足りない気がしている。
そんなかんだで、日々マインドフルネス瞑想の中の一つ「慈悲の瞑想(メッター瞑想)」と呼ばれる瞑想を実践している。
すごく簡単に言うと、以下のような精神で瞑想する方法。
※結構深いので、別の記事で今後書いて行ければと思う。
慈悲のこころは仏教の基本である。これは「「生きとし生けるものが幸せでありますように」(パーリ語: Sabbe sattā bhavantu sukhitattā)という精神を基本にして行う瞑想技法である」
自分は一日の終わり、寝る前にこの瞑想を20分ほど行うようにしている。
慈悲の言葉
若干、仏教の信仰が入ってくるけど、以下のような言葉を口に出すか、心の中で唱える。
私が幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように
私が幸せでありますように(3回)
私の親しい人が幸せでありますように
私の親しい人の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい人の願いごとが叶えられますように
私の親しい人が幸せでありますように(3回)
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)
番外編:最近お気に入りの「Progress」の歌詞
ぼくらは位置について 横一列でスタートをきった
つまずいている あいつのことを見て
本当はシメシメと思っていた
誰かを許せたり 大切な人を守れたり
いまだ何一つ サマになっていやしない
相変わらず あの日のダメな ぼく
ずっと探していた 理想の自分って
もうちょっとカッコよかったけれど
ぼくが歩いてきた 日々と道のりを
ほんとは"ジブン"っていうらしい
世界中にあふれているため息と
君とぼくの甘酸っぱい挫折に捧ぐ・・・
"あと一歩だけ、前に 進もう"
スガシカオ「Progress」の歌詞より引用
結局、考えて考えて、行き着いた先はここだ。
自分の中に残っている少しの「Pride」
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