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中原のこれまで

東京・恵比寿にて、アスレティックトレーナーによるサポートを提供する施設「ATサロン」の開業に向けて準備をしています。

アスレティックトレーナーの中原啓吾です。

ATサロンを作って私がやりたいことを何回かに分けて紹介していきたいと思っています。

その中で、最初は私のこれまでの仕事の経歴を知っていただきたいと思ってこのnoteを書きました。

長すぎて最初はプロ野球編となりました。

お付き合いください。

福岡ソフトバンクホークス(2010-2016)

【最初はリハビリ担当】

私は大学院を中退して2010年から、福岡ソフトバンクホークスで働き始めました。当時23歳でした。

最初はリハビリ担当として仕事をスタートして、以降5年間はリハビリを中心にサポートしながら、リハビリ組のウォームアップやコンディショニング・ストレングストレーニングを計画および実行していました。

私が若くしてプロ野球につっ込んでもらっても何とかなった理由として「マッサージが出来た」ことが大きいと思います。
(国家資格を持たない私が、マッサージと表現することについてはご容赦ください。)

プロ野球はシーズンで144試合という多くの試合を戦う競技特性から、リカバリーのためのセラピストの需要が高いスポーツです。

そのことからマッサージのスキルを有していたことで最低限の仕事を担保することが出来たことから、入団に繋がりましたし、そこからコミュニケーションが生まれて多くの業務を良い循環で進めることが出来たと考えています。

【途中からトレーニング担当】

リハビリ組でのトレーニングを運営していた状況を見てチームから「トレーニング指導出来るよな?」となって、2015-2016年は2・3軍でのトレーニング担当になりました。

ソフトバンクはトレーニング担当はユニフォームを着ての指導です。
似合わないと思いながら着てましたね。

トレーニング担当の経験から監督・コーチとコミュニケーションを取る機会が増えて、チームマネジメントの経験をさせてもらいました。

ここまででプロ野球7年。
入団当初はこんなにやると思っていなかったことと、提供できるサポートが頭打ちになってきていることを感じて退団を考えていました。

東京ヤクルトスワローズ(2017−2019)

そんな時にヤクルトからお声かけをいただいて移籍。

ヤクルトでは主に2軍のチーフトレーナーとして毎日のケア、トレーニングの計画・管理、リハビリの補助、若手育成計画の運営など広い範囲で関わらせていただきました。

ヤクルトではフロントスタッフの方々とお話しする機会が増えて、組織としての方針決定に関わることを経験させてもらいました。

あとはヤクルト在籍時に中退していた大学院に復学して何とか卒業することが出来ました。テーマは「成長期野球選手の肘の発育と怪我について」

その節は色々な方にお世話になりまくりましたね。感謝しかありません。

【ヤクルトを退団】

2017-2019年の3年間ヤクルトに勤務をさせていただいて、プロ野球で丁度10年となったのを機会に退団をしました。

なんでやめたかと言うことですが、元々そんなに長くやるつもりは無かった中で10年経過してしまったというのが正直なところです。

あくまで個人的な意見ですが、野球しか、スポーツ選手にしか対応できないトレーナーは弱い、価値が低いと私は考えています。
また、スポーツ科学は発展する中で同じ人が長くやるべきではありません。

2016年に子どもが生まれたことも大きいです。
単年契約の環境で、契約に依存した生活を続けることは将来的なリスクが高いという考えが家族が出来るほど現実的に考えるようになりました。

プロ野球生活は楽しかったですし、トップアスリートの気持ちよさ、いい奴が多いことは素晴らしい価値だと感じます。

ATとして、アスリートとの関わりはこれからも必須になるものだと考えますが、プロ野球に関しては一区切りといった気持ちです。

プロ野球で得たもの

プロ野球での仕事を通して得たものは多くありますが、大きくは「コミュニケーションマネジメント」と「広い専門性」の2点だと考えています。

【コミュニケーションマネジメント】

特にホークスはプロ野球チームの中でも規模の大きい組織です。

選手は90人、監督コーチは30人、チームスタッフで50人、トレーナーだけでも20人というような組織です。(大まかに)

チームの中で、自分がどのような順序でどのようにコミュニケーションを取るべきかということが相当鍛えられました。
全ては選手のためであり、自分が最適だと思うサポート実現のためです。

私のトレーナーとしての一番の強みはこの「コミュニケーションのマネジメント」だと思っています。

【広い専門性】

プロ野球でのキャリアの中でリハビリ担当から始まり、トレーニング担当、毎日のケアまで幅広く経験しました。

しかも、私が特徴的なのは、その全てをカバーしていたのではなく、シーズンごとに役割を変えてガッツリ取り組むことが出来たという点です。

広い範囲をカバーすると一つずつの専門性が薄くなり、成長の効率も下がるのでは無いかと考えます。

私はポジションが変わりながら、一つずつの専門に時間をかけて取り組む期間があったからこそ、深い専門性を獲得することが出来たと考えています。

特に野球に関しての肩・肘の評価については中々のプライドを持っています。

学生時代に恩師の中村千秋先生から専門性を持つと良いと言っていただいたことがきっかけです。


2020年にフリーランスになってからの仕事についても書いていこうと思いましたが、長くなったのでちょっと断念。

また次回にします。

お付き合いありがとうございました。



アスレティックトレーナー 中原啓吾

@ATサロン恵比寿


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