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「ジムは怖そう・・」 いいえジムは本屋さんとほとんど同じです


「ジムに行くと怖いマッチョなお兄さんだらけで行く気になれない」「ダサい目で見られそう」このような思い込みによってジムに行くことを選択しない人が少なからずいると思う。かつての私もそうだった。こんなガリガリの私は必ずジムでマッチョなお兄さんにダンベルで殴られるに違いないと。ものすごくジムに行くことを躊躇していた。

ところが、今年の冬から恐る恐るジムに行ってみると。そこには年配の方が多く、また女性の方も多くトレーニングを行なっており、イメージとはほど遠い景色だった。

だがそこにはそのような年配の方や女性の方以外にも、ダンベルで今すぐに殴って来るだろうムキムキに仕上がった、ゴリゴリマッチョも同様にトレーニングを行なっていた。

「トレーニングを行うと絶対彼らムキムキ族からダサい目で見られるに違いない」私はそう確信して、引き腰でトレーニングを開始した。


しかし、トレーニングを実際開始して気づいたことだが、彼らは決してそのような私の想像とは全く違い、ジムにいる人たちは、ムキムキ族、ご年配の方、女性の方どの方も同じ空間でトレーニングを行なっている皆に体系や年齢関係なく、互いに尊敬、さらには譲り合いの心が交わされていた。


みんな変わろうとしているからジムに来る


月に一万円近くの費用を払って、しかもわざわざ家から離れた場所でトレーニングを行うことを決意している時点で、皆何かしらの目標が必ずあるはずだ。その目標に対する理由は、モテたいからだとか、健康のためだとか様々なものがあると思うが、やはりその目標を達成するためのプロセスとして同様に体に変化を起こすという面で皆共通している。つまり皆変わろうとしてジムに来ているわけだ。

どんなにガリガリなやつがジムに来ても、そいつをダサい目で批判したところで自分の体に対してなんの付加価値も生み出すことができない。逆に自分よりも筋肉が肥大している人を見て、彼に負けないように、さらには彼を目標にしてもっとトレーニングに精を出す。


つまり何が言いたいのかというと、少し冷たい言い方になるかもしれないが、ジムではガリガリ族はマッチョの目にも止まらない。しかしそれは見下されているというわけではない。単純にマッチョ達からすると、ガリガリは理想の体型ではなく参考にする必要がないからだ。

また皆、一人の同じジムのメンバーとして、同じ体に対して自己投資を行なっている同種族として互いに尊敬しあい、気持ちよいジム空間を作り出すためにルールをしっかり守っている。

俺たちは自分の脳みそでただ勝手にマッチョを恐れているのだ。その考えこそが恐ろしく愚かだ。


ジムは本屋さんと同じく自己投資の場


本屋


意外かもしれないが、トレーニングと読書という二つは対立しているように見えても実は、自己投資という側面から見れば両二つは本質的に共通している。ビジネス書を読む。これはビジネスに関する知識を脳内に蓄積し、昨日とは違う自分、昨日なかった知識をこれから武器にするためのアクションである。小説も同じだ。自分の体験したことのない新しい経験や生き方を小説を通して学び、それを明日以降自分の生活の一部に取り組むことだってできる。

本は時間と費用(図書館は無料だが)を要する代表的な自己投資の一つである。

筋トレも昨日とは違う体系を手に入れるため、さらに大きな筋肉を付けるため、体に何かしらの変化を起こしたいから行うという自己投資である。もちろんジムに行くお金もかかるし、トレーニング中は多くの時間を消費する。プロテインなどを買えば費用はさらに膨らむだろう。しかしジムに行く人はそこをすべて承知であり、それでもトレーニングを行う。そんな場所でガリガリを見下してなんの意味があるだろうか?


怖がっていちゃ何も始まらない


本屋・ジムも自己投資の場所であり、二つは大きく共通しているのだから、自己投資が好きならば、ジムに行くことに対して恐れる必要はないはずだ。ジムでは皆自己投資をしている仲間だ。

そんな彼らと同じ空間でトレーニングを行うことに躊躇しているだけ時間の無駄だ。早く近くのジムに会員登録にいこう!!(コロナがおさまってからね)

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