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きく、ことの本質を履き違えない

きく、にまつわる領域がにわかに注目されているように感じる。
コーチング、カウンセリング業界がもともとの土壌を作ってくれていた中で、cotree、mento、YELL、など、近年きくことにまつわるスタートアップも増えている印象がある。(実際、市場も伸びていると何かの記事で読んだことがある。)


「え、話をして、きくことにお金を払う人がいるの」と疑問に感じる人もいるよね。でも、きくこと、話すことに価値を感じる身としては、喜ばしい。


一方で、間違った見方や価値観から、自分が考えている方向とは全く違う方向に行ってしまうこともあると危惧もしている。




今日は危惧についての話。



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少し話が逸れるが、僕の仕事であるワークショップやファシリテーションの領域から、危惧する思いに至った背景をお話したい。



ワークショップが世の中に浸透するきっかけとなったのは、中野民夫さんの著書「ワークショップ」が一つのベンチマークだったように思う。2001年のことだ。



その頃の教育界では、これまでに詰め込み教育の見直しや一方的に教えるというスタイルから、参加型で学ぶというスタイルを模索しているような時代でした。「主体的に学ぶ」っていうことは個人的に教育の本質にあると思う。その問いに対して、エンカウンターや体験学習が模索され、ワークショップという参加型の学びのスタイルに移行していった感がある。



それから約10年後の2012年、僕は青山学院大学のワークショップデザインの基礎から応用まで学べるプログラムを受講した。ワークショッププログラムを日本の学校システムの中で、ちゃんと体系だてて学べる草分けだった。その後、地元でも「ワークショップ」という言葉を用いて、研修やまちおこしの企画。そのときの参加者のリアクションは「ワークショップってなんだ?」というものでした。



さて、2022年、ワークショップという言葉を聞いたことないっていう人の方が少なくなってきていませんか。そこそこの市民権を得ていると思うけど、どうでしょうか。段々と参加型のスタイルが定着するにあたり、下記のようなことを唱える人たちも出現してきました。


・ワークショップ形式で合意形成のプロセスを組んだり、プロジェクトのアイディアを出しても、そもそも答えありきの場を設定する人。

・参加型にすることで、なんとなく盛り上がってる感を出したい人。

・アイディアを出すというゴールだけあり、意見を出したという事実を作っ
ておくために利用する人。

・場をコントールするための技術としてワークショップを用いている人。


要は、ワークショップやファシリテーションの技術を、ある特定の人が有利になるように使用している人たちや、そのニーズが一定数あったということ。。。。


上記の人たちは、正直、ワークショップやファシリテーションが持つ本質的な世界観や倫理観とは全く違う場所にいるといっても過言ではない。



ここら辺に似たことをファシリテーターの大先輩である青木マーキーさんも言及している。もう2006年に言及してる。ファシリーテーターとしての倫理観が大事で、技術だけじゃなくて「心」も伝えていかないと大変な社会になっていくのではないかとおっしゃっている。


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話を「きく」にもどす。
最近、きくことがにわかに注目されている要因として1on1の業界やコーチング、カウンセリングの業界が台頭してきたことは言及した。


うる覚えだけど、そもそもアメリカで1on1が普及し、そこから輸入されたみたい。アメリカで1on1が当たり前になってきた背景には、企業運営が、工業化社会のパラダイムでは、うまく回らなくなったきたことがあるらしい。そのパラダイムは何かっていうのは今回は置いておいて。



従業員はコントロールするのではなく、エンパワメントする。会社に染めるのではなく、個人のニーズと会社のニーズをマッチングさせる。会社と個人がパートナーシップを組み合うようなパラダイムに移っていった。(らしい。) 


この流れは、SNSやその他のテクノロジーにより、個人の力が組織の力を上回ることができる世界が根本にあるらしい。



変な例えかもしれないけど、例えば、ハードオフ

ハードオフ久留米国分店舗の永田さんが企画・運営するチャンネルがある。彼は確か、ハードオフの一店員から、現在は店長まで上り詰めたのかな。
この久留米国分店のチャンネルだけで、22万人の登録者数がいる。(関係ないけど、ブックオフ公式は六千人だった。)



このチャンネルはほぼ、永田さんという一社員の企画力によってファンを増やしている。(みたい。)


ハードオフ本社から考えてほしい。広告など打たなくても、永田さんを自由に、パフォーマンスを最大限に発揮してもらえば、22万人、いやそれ以上の人にハードオフのブランド認知がされていく。おそらくコストも広告会社に支払うものより圧倒的に低いのではないだろうか。なんなら、永田さんの人件費以上に広告費も稼いでいると思われる。




会社としても嬉しい状態だ。個人の本当にしたいことと会社のニーズをマッチングさせるだけで、パフォーマンスが鰻登る。従業員はコントールする相手ではなく、会社のパートナーとしてのエンパワメントとすることに価値づけがなされ、その文脈が強化されていく。(っていうか、そもそもこの流れが真っ当だと思う。)


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日本でも「きく」ことの市民権を得る一方で、ワークショップとファシリテーションと同じような現象が起きてしまうのではないかと危惧する。

・部下をもっと思い通りにしたいから、コミュニケーションの練習として対話を学びたい、とか。
・合意形成を(会社の有意な方に)するために、一人ひとりの意見を引き出した上で、説得するために「きく」ことをしたい、とか。


もう、こんなようなことをいってる企業とか団体や個人が一定数いるんじゃないでしょうか。


若輩者ものの視点ですが、対話やコーチングやカウンセリングなど、話をする、きくっていうことの根本にあるのは「人間らしさ」だと思っています。特定の誰かを有利にするものではなくて、人と人が公平に繋がり合うコミュニケーションとして。時に、自分自身に出会いなおすためのものとして、ある。そもそもの倫理観が「ビジネス」ではなくて「人間」に依っている、と個人的には考えています。


なので、もし「きく」ことに上記のような理由で関心がある人は、そもそも自分がどんなパラダイムにいるのか、そして、なぜ必要なのかをもう一度、もう一度、問いなおしてほしい。



また、この領域にいるものとして、あらためて、どんな倫理観に立っているのかを常に意識することは至極大切だ、という再確認。



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