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仏教の「空」に触れる本『豊饒の海』~読書感想文#3

太宰治の『人間失格』を読んだときは、自殺という死因に違和感がありませんでした。しかし三島由紀夫が『豊饒の海』最終巻の入稿日に割腹自殺をするとは……。


三島由紀夫

この『豊饒の海』を書いたのは三島由紀夫です。『金閣寺』などのほうが有名かもしれません。

三島由紀夫というのは不思議な人です。

小さい頃はとてもかわいらしくて、男の子なのに女の子の遊びをさせられていたりとか、体が弱くていじめられていたりしたようです。そのようなことが、後にマッチョを目指したり、右翼に傾倒する一因になったのではないかと勝手に想像しています。

ではこの『豊饒の海』がマッチョや右翼っぽいかというと、私にはそれが全く感じられません。話の中に右翼が出てくる箇所はありますが、右翼思想を喧伝しているとは読めません。それどころか、作品全体からは、修行僧のような安定した静かな心持ちが伝わってきます。

これは、安定した静かなストーリーというわけでは決してないのですが、読後感として、私にはそういう印象が残ったということです。

『豊饒の海』とは何を指すのか

『豊饒の海』は、4巻からなる長編小説です。輪廻転生をモチーフにしたり、主人公が唯識を勉強したりと、仏教思想が通底していることは分かります。

しかし、ストーリーは仮にすぎません。この4巻を読み終わったとき、私たちの前には広大な豊饒の海が広がる、そういう体験をさせられるのです。

三島が題名とした『豊饒の海』とは何を考えると、自在に形を変え、数多の生命を生み出し、人間に様々なものを与え、人間を飲み込む、そんなもののことではないかと想像するのです。
無限の可能性を秘め、人間の目の前にあって見えたつもりになっているのに本当は何も見えていないもの……。

どれだけ言葉を尽くしても表現することのできない「空」、それを三島は表現したのではないかと思うのです。

なぜ「空」をここまで理解しながら、割腹自殺のような激情的なことをし得たのか。私には謎のままです。



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