なぜクレームでないものをクレームにしてしまうのか~トラウマの投影
先週、波多さんの記事を引用して、クレームではないのにクレーム扱いしてしまうことがよくあるという話をしました。
本来なら、クレームは少ないほうがよいはずですし、お客さまとは良い関係を築きたいはずです。客側も対応次第ではずーっと腹に据えかねる思いを抱え続けることにもなれば、良い体験として前に進んでいけることにもなるわけですから、後者の対応を望んでいるはずです。
先週の記事で書いた対応に頂戴した感想を読めば、誰もそうだと思っていただけるのではないでしょうか。
それなのに、多くの企業が知らず知らず逆のことをやってしまいます。
それはなぜでしょうか。
過去の体験に目の前の客を重ねてしまう
これは、過去の経験が大きいのだと思います。
想定外の質問が来たときに、適切な対応ができずにクレームになってしまうと、それがトラウマになってしまうことがあります。
本来なら、どこでクレームになってしまったのか、ほかの可能性はなかったか、そのためにはどのように話をリードすればよかったのかを振り返ることでスキルを磨いていかなければなりませんが、それが不十分だと、「自分は悪くない、変なことを質問してくる客はクレーマーだ」と結論付けて自分を納得させてしまいがちです。そのほうが簡単にプライドを守れるからです。
この、”簡単に”というところを、次週もっと詳しく説明したいと思います。
それでは、また。
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