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GKではなくサッカー選手を。サッカー選手でなく自律した人を。

今回はサッカー選手ではなく自律した人を育成することの大切さについて。

サッカーとはそもそも正解のないスポーツである。

どうやって点を取ろうがどうやって守ろうが自由である。

チームの中で監督のやりたいサッカーの形があれば個々にやりたいサッカーがあるかもしれない。

ドリブルのやり方、トラップのやり方、パスのやり方、シュートの打ち方。

足さえ使っていれば自由である。

なので自分で考える力、自分でリスクを取れる力

さえ身につけてしまえばなんでもいい。

そもそも正解なんてないのだから。

自分がその時々で打開するやり方を見つけていく力。

では自律(立)とは何か?

自分で

Aを選択したらBというメリットとデメリットが存在する。

Bを選択したらAというメリットとデメリットが存在する。

これをわかった上でAを取れる力。

それこそ自律(立)である。

自分でリスクを取ったのだから自分の責任。

失敗しても誰のせいにもできない。

その「環境下」身をにおいてあげないといけない。

以前のサッカー部で指導者がこんなことを言っていた。

「センターバックがAポジションを取ったら必ずサイドバックはBポジションに動く」

これはサッカー選手を育成している。

例えば

「センターバックがAポジションを取ったことで相手はどうなるか考えてみろその時どこにポジションを取れば相手は嫌がるか相手の気持ちを考えろ」

「センターバックがAポジションを取った時どこにポジションをとってあげれればセンターバックや他の味方は親切か?相手の気持ちを考えろ」

これはサッカー選手ではなく人を育てている。

何度も言うがサッカーというのは

目まぐるしく状況が変わる。

その状況を観る力。そして自分の判断でリスクを取る力が必要である。

だから普段から自律(立)に向けた選手への関わりが重要であると考えている。

自分でリスクを取ったことに対する評価はしてあげれば良い。

自分の選択でチームを救うことも負けさせることもあるだろう。

その時にどう言うアプローチをするかが指導者のセンスだと考えている。

サッカーという教材を使って自律(立)できる舞台に立たせて欲しい。

それがまた更なる自律(立)に向かわせる。

それができればまたサッカーを上達に向かわせる。

日々の取り組みが変わる。

だからサッカー選手ではなく自律した人を育成したほうが早いと考える。

多くの指導者や保護者の方に届けばと思います。




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