5/31/2022 ひとりごと
私は毎日料理をする。
趣味の欄に「料理」と書くかと問われれば、そうでもない。かと言って義務感でやっているわけでもない。
料理は私にとって、生きる基本であり、瞑想であり、実験であり、そして自己表現の場からコミュニケーションへと繋がる。
そして、毎日料理をする1番の理由は「面倒くさいから。」だ。
今や世の中はボタンひとつで用事が済む時代になった。お風呂のお湯張り、黒電話からタッチスクリーン、図書館の代わりにウィキペディア、インターネットショッピング、手帳からスマホのメモ機能に移り、洗面所の蛇口は手をかざすだけ。玄関のドアを開ければモーションセンサーライトで照明まで勝手につく。20年ちょっと前では考えられなかった世界がある。
とても便利な世の中になり、暮らしやすくなったのかも知れない。私の様に海外に暮らす者にとってインターネットはより母国を近いものにしてくれた。お金さえ出せば世界のほとんどのものを簡単に手に入れられるようになった。それはとてもありがたい事。
しかし、便利になったはずの生活なのに、何故か皆ストレスを溜め、癒しを求めて人生を模索している様に見えるのは気のせいだろうか?なんて事をふと考えてみた。
二十数年前に初めて「Eメール」と言うものを知った。それまで日本の家族や友達とは電話か手紙を書いて連絡を取り合っていた。そこへ何やらコンピューターで手紙が送れる、なんて言うハイカラな機械を手に入れた。
宛名に相手先のアドレスをクリック、件名を入れて本文を書く、と言う今では当たり前の事を順を追って見よう見まねでやっていたのを思い出す。そして本文を書くのだが、手で文字を書く様には文章が出てこない不思議な感覚を持ったのを今でも覚えている。挨拶の次に相手の近況を聞いたり、自分の近況を書いたり、などなど、何度も消しては書きを繰り返して最後に「送信」ボタンをクリック。
「え。もう届いたの?」なんてピザの宅配かなんか様な事を思ってしまう。そしてなんとも言えない不発な気持ちをどうにか誤魔化して終了。
そして相手から返事が来る。明朝体だかゴシック体だか何だか忘れたけど、そんなフォントの文字が並んでいる文章を読む。何だか公式文書みたいだな、なんて思いながら読み終わり、相手が元気な事を一応知る。そしてやはりイマイチ腑に落ちない感じでやりとりは終わる、かと思いきや、その返事の返事の返事、と白ヤギさんも真っ青になりそうなほど、その明朝体は続くのである。
でも何度も書いても返事をもらっても、情報交換の様な無機質な、手応えの無いやり取りに感じてしまうのは、やはり相手の筆跡やらインクの色やらが無いからなのかも、なんて今では思う。
料理の話からまた外れてしまった。私の悪いクセ。
つまり何が言いたいのかと言うと、ボタンを押すだけでは宝の持ち腐れであると言う事。宝とは脳みそ。蛇口を捻れば水が出る、の一連の行動をする事で脳みそは機能し、それが達成感に変わる。でも、人差し指でピッとボタンを押すだけでは脳みそ情報処理機能が刺激されずにミッションが完了してしまうのだ。そして人々が「わー、便利!」と思っている傍ら、脳みそは置き去りにされ、段々と劣化する。そして満たされない気持ちを持て余すのである。
どうやら世の中は人々にものを考えさせない様に仕向けている様に感じるのは私だけだろうか?そのうち誰かがポチっとボタンを押したら人間が勝手に動き出したりして。そんな世の中になるのでは、なんて事を危惧するなんて考えすぎだったら良いのだけれど。
古いと言われようが時代遅れと言われようがなんでも良い。私は面倒くさがらずに面倒くさい事を毎日する面倒くさい人でずっとありたい。
あ、でも便利な世の中にはお世話になっているので充分感謝しております。
ありがとうございます♪
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