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6/17/2022 ひとりごと


今日の1回目の食事は身体の声を聞いてプラントベース食。ナッツバターにたっぷり生カカオのパウダーを混ぜ込んだものを、夫の見つけてきた炭水化物不使用の怪しいトーストに塗ったものと、目の覚めるような赤紫のドラゴンフルーツとオレンジ。

6時に目覚めたと同時に軽い頭痛を感じた今朝。「あちゃ〜、またやっちまった。」と言う思いと、「なんでいつも〜。」と言う思いが交差する中、まずは深呼吸。そして、まずはキッチンに行き、毎日作っている「水素茶」をグラスいっぱい飲む。それから、右脇腹の肝臓あたりを優しくタッピング、そしてマッサージ。毒素を流すイメージを持って右下腹部をハンドプレス。最後にお腹全体を時計回りにゆ〜っきりマッサージ。「はいはい、いいよ、アタシ頑張った、頑張った。」と労いの呪文を心の中で唱えながら。(笑)

いつの頃からか、私=頭痛持ち、と言うのが自他ともに共通の認識になっていた。過去に余りの痛みに夜中に救急に行き、吐き気止め、痛み止めの注射をしてもらったこと数回。当時は痛みは嫌だったけれど、仕方ないものくらいに思って、特に対処はしていなかった。

ある時からそんな毎度の痛みが嫌になり、どうにかしたいと思うようになった。結局、「今、起きている物事には必ず原因があり、その原因は自分で作っている。」と言う事を認めざるを得なかったわけだ。

私にはとても深い罪悪感がある。休むことに対して、頑張らないことに対して、そして、楽しむことに対して。家系的にそんな価値観を受け継いで来たのだな、と言うことに気付いてから、私の自分と向き合うワークが始まった。

なぜ、休むことに罪悪感があるのか。それは、私が休んでいる間も誰かは必死に働いていると言う思いが強いから。

なぜ、頑張らないことに対して罪悪感があるのか。それは、物事は苦心して結果を得るものと信じて疑わなかったから。

なぜ、楽しむことがに罪悪感があるのか。それは、私が楽しんでいる間に誰かが困難な時を過ごしていると言う思いから。

ナント稚拙な考えを持っているのだろうか。私が必死に働いている時に誰かは休んでいるのだろうし、(と言うか、人は休まずして成り立たない。)物事は合理性を持って成されても悪くない。私が困難な状況の時に、誰かはハワイかどっかでヴァケーション中かも知れない。

結婚を機に海外に住むようになって、自分の中にあった承認欲求がムクムクと強く現れ出したのかも知れないと思ってる。要するにガッチリ他人軸で生きていると言うことだ。

ハワイに住むようになって、「外国人」として扱われる事が私を1番イラつかせた。日本人とわかるや否やスッと態度を変える人達。「日本から来た嫁」と扱う結婚先家族。なんだか仲間はずれにされた様な妙な疎外感を持っていた。だから、それを覆そうと人一倍働こうとした。何でも出来るようになりたいと思った。そして、私はいつも謙虚でいるのだと錯覚していたウマシカ(漢字でどうぞ。)丸出しの人間だった。

案の定、身体を壊した。まだ子供達が小さいと言うのに廃人に近い状態に陥った。むろん、周りに多大なる迷惑をもかけてしまった。そこまで落ちたのに、「私は事実に逆らって生きていたのだ。」と気付いたにはその後何年も経ってからと言う頭の硬さ。そりゃ海外に居りゃ外国人でしょ。私は日本から来たんでしょ。そして、誰よりもその事実を受け入れていない自分に気付いてしまったのだ。自分が受け入れていないのに、他人にそれを求める私はなんて傲慢だったのだろう。究極の構ってちゃんである。

それからは肩の力が少し抜けて生きられるようになった。不得手なことを他人に委ね、感謝をする事も覚えた。そうすると不思議な事に、周りは私を仲間外れにするどころか、もっと受け入れてくれるようになった。次第に起きられなくなるような頭痛も減っていった。頭痛は周りを引きつける私の必殺技だった訳だ。

とは言っても、私もただの人間。完璧には程遠く、悪いクセはたまに顔を出す。それが軽い頭痛となって警告してくれるのだ。今回も心当たりアリ。まぁ、その辺は可愛いじゃないの、と受け入れてやろうと思う。そして、こんな時にゆっくりと休ませてもらえる環境に感謝の気持ちをしっかり持って。

なんて、長々と文章を綴る事にも構ってちゃんビームが炸裂しているところが片腹痛い。まぁ、メンドウクサイワタシの気づきの記録として読んで頂ければ幸いです。感謝。

ありがとうございます♪


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