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これからの地方創生で参考にしたい新しい作法「逆・タイムマシン経営論」

個人的に経営のバイブルにしている「ストーリーとしての競争戦略」や「好き嫌いと経営」の著者、楠木建さんの新著。日々直面している地方創生やまちづくりの経営をダブらせながら考えました。

帯にもキャッチーなコピーであった「新聞・雑誌は10年寝かせて読め」は名言でした。確かに、10年前の記事や本を読むと、今では消滅していることも多い一方で、今も変わらずに通用する考え方があり、なるほど、それが本質なのかと理解しつつあります。

本質の一義的な特徴は「そう簡単には変わらない」こと。変わらない本質をつかむのに有効な方法は歴史的変化を辿ること。
文脈思考」はファクトから自分の仕事に役立てる実践知を引き出す上で決定的に重要。

1. 飛び道具トラップ

サブスクブームは同時代性の罠の典型。特定企業の成功事例が、その企業が長い時間をかけて練り上げて来た文脈から引き剥がされ、課金形態だけがメディアで急速に拡散。「サブスク」という言葉が一人歩きし、あたかも「新しくてすごい飛び道具」に。戦略の一要素にすぎない課金方式の選択がいつの間にか戦略や競争優位の実体とすり替わってしまう。

僕が新卒で社会に出てからの30年、思い起こせば常に「飛び道具」と揶揄されるビジネス流行用語があり、その都度、振り回されてました。だいたい、カタカナやアルファベットの略ですね。。

飛び道具が効果を発揮した事例文脈を十分に理解せずに、飛ぶ道具単体に注目し、それがあたかも「ベストプラクティス」であるかのような認識を持ちます。つまり、もともとの成功事例からの「文脈剥離」が起き、これがトラップの直接的にして最大の要因。

文脈剥離、良い言葉だなぁ。目的と手段の混同は、日々起こりがちですね。。自分の周りでも。特にデジタル関係は要注意ですね。注意しても、どうしても先に耳に入ってくるのが手段で流行り言葉風になってるとついつい飛びつきがちです。

トラップに陥りやすい人のプロファイリング ①情報に対する感度が高い人 ②考えが浅い人 ③せっかちな人 ④行き詰まっている人 ⑤視野の狭い担当者

これは耳が痛い。。①はまだしも、②③は思い当たる節ありあり。

2. 激動期トラップ

人々がいつの時代も「今こそ激動期!」と言っていて、「世の中は一変する」「これまでの常識は通用しない」となり、「時代の変化に適応できない者は淘汰される」という類の危機感をあおります。未来は誰にもわかりませんが、過去は厳然たる事実として確定しています。未来を考えるにしても、いったん近過去に遡って人と世の思考と行動のありようを冷静に見極め、そこから未来についての洞察を引き出すことが大切です。

要素がシステムに先行する、に強く共感です。一つの要素である自動車が先にできたものの、道路をはじめインフラなどのシステムが整備されるには多大な年月がかかりました。

今、都農町で、デジタル化を考える際、まずは全世帯でWiFiが使えなければ始まらず、最優先で光回線の整備を進めることにしたことが重なります。今の光回線が、昭和のまちづくりにおける道路や橋なんだろうな、と思うことが最近多いです。

SNSサービスの実際の利用状況を見ると、当初の予想ほどにはなりませんでした。2018年に総務省が実施した「ICTによるインクルージョンの実現に関する調査研究」ではツイッターで自ら情報発信や発言を行なっている人の割合は日本では7.7%にすぎず、全く利用していない人が59.7%と大勢を占めています。残りの32,6%はほとんど利用していないか、閲覧が中心。フェイスブックやインスタグラムを含めて、積極的な情報発信者は10%以下。

確かに周りを見ても、SNSで積極的に発信している人って1割切ってる感じ。ということは、本当のSNSのポテンシャルはまだまだあって、この先、何年かかけて変化していくものなのでしょうか。。

ソサエティー5.0が創造社会だとして、4.0の情報社会と特別の質的変化があるとは思えず、実態はせいぜい「ソサエティー4.1」?○○3.0というならば、その前の「2.0」が実際のところ何なのか、「2.0」と「3.0」の決定的な違いは何か。テンゼロ論は激動を錯覚させます。

もともとシンギュラリティをはじめ、デジタル化で世の中が一変するとかきたてられる感じがしてましたが、コロナショックでなおさら強まってます。ただし、本質から変わることは、実はそんなにないのかな、と。変わるのは全て手段レベルなのかもしれません。

3. 遠近歪曲トラップ

地理的に遠い海外の事象ほど良く見え、身近にある日本の事象ほど欠点が目につく、というのが空間軸での遠近歪曲です。これに対して、現時点で起きている事象ほど悪く見え歴史的な過去の事象、もしくはまだ実現していない未来ほど良く見える、これが時間軸で発生する遠近歪曲のトラップです。

これも、日頃、良く見聞きする事象です。どうしても、日本や地元地域のことを悪くいいがち。時制についても「昔はよかった」風な話は年代を問わず習慣化されて久しいですね。

明治時代から1980年ごろまでの100年間、日本では一貫して人口増加が問題視されてきました。食糧難を解決するための移民、人口抑制のための産児制限、住宅難を解決するための郊外・地方への移住。ところが、1990年代にようやく人口減少の兆しが出てくると、「人口減少は諸悪の根源!」「少子化対策は喫緊の課題」といい始めるのです。人口は増えても問題、減っても問題、これこそ遠近歪曲の最たるものです。
日本が人口7000万人規模で定常状態を迎えたとします。これは敗戦時の日本の人口です。少子高齢化は新機軸を打ち出す絶好のチャンスです。人口減少を前提に、将来の7000万人の日本のポジティブなビジョンを描く。そこにリーダーの役割があるはずです。

結局、その時の人口規模に適した戦略をどれだけ先見性を持って立てられるか、実践できるかなんでしょうね。増えること、減ることそのものに一喜一憂したり目的化しているように思います。

4. スローメディアの主役は本

新聞や雑誌やウェブサイトは「ファストメディア」です。「いつ」「だれが」「どこで」「何を」「どのように」は知ることができても、なかなか「なぜ」に注意関心が向かないのです。記事を流し読みするだけでは、論理をつかみ取れません。情報のデジタル化はそのままメディアの「ファスト化」でもあります。

確かに、毎日、スマホで流し読みする情報がどれだけ身になっているか、ほぼその場で消えてしまってるように思います。

即効性を競うファストメディアとは一線を画し、読み手に完全な集中を求める「スローメディア」と向き合う必要があります。スローメディアの主役は本です。著者の独自の視点で事象をつかみ、その切り口の上に本質的な考察と洞察を展開する良書を読む。昔も今もこれからも、読書が知的鍛錬の王道であることは間違いありません。

これからの時代、ますます国語力が問われると思います。僕ら50代、40代のコミュニケーションは「話し言葉」でした。だから、付き合いや飲み会、阿吽の呼吸が問われました。だって、電話か対面しか選択肢なかったので。

一方で平成世代以降のコミュニケーションは「書き言葉」。しかも、これだけ情報ラッシュになると要約力が問われます。ツイッターで140字、ヤフーニュースの見出しは15文字。これだけ簡潔にして人に届けるには、小手先のライティング講座などでは不可能。日頃から、たくさんの本を読み、様々な論理や行間を読み解いておかないと、なかなか難しいなと。

というわけで、本著も、いつもながら、日頃のまちづくりや経営に照らし合わせながら、深く考えせてもらえることができました。ありがとうございます!

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