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読書感想文『バリ島芸術をつくった男』

『バリ島芸術をつくった男』ーヴァルター・シュピースの魔術的人生
                        伊藤 俊治 著 
   
この本にはドイツ人の芸術家ヴァルター・シュピースが現在のようなバリ島芸術をプロデュースしていく様が、時に映像を喚起するような詩的な文章で書かれている。

シュピースはバリに心酔しバリに移住して、原石を磨き上げるように様々なバリの芸術を新しいかたちにととのえていく。シュピースはそれらの芸術や自らの存在が時に外国人観光客にミーハー的に捉えられることに戸惑いながらもバリの人々や社会や文化に強い愛着を持つ。
そしてシュピースは風紀紊乱(同性愛)のかどで逮捕されてしまう……とあらすじを書こうとしてもうまくまとまらないので、この本の全内容を通しての感想を書くことは私にはできない。

そこで、この本の中で最も印象に残った一節の感想のようなものを書くことにした。
この本の口絵になっているシュピースの絵画↓について書かれた第五章の二節「風景とその子供たち」のことを、本文(175~180ページ)を引用しながら書いてみたい。
シュピースのバリへの思いがこの節に集約されているように思えるからだ。

ヴァルター・シュピース『風景とその子供たち』1939年
 

「風景とその子供たち」は、シュピースがスラバヤの収容所内で描いた絵である。暗鬱な監獄のなか、頭にこびりついて離れないバリの光景を想い、思い起こしながら描き上げたものだ。そこから引き裂かれることで、さらに強く、激しくバリへの情愛が呼び起こされ、バリの自然宇宙の遥けさが身に押し寄せてくる。

『バリ島芸術をつくった男』より

シュピースが実際の風景を前にしてこの絵を描いたのではないことを知ると、絵の印象は初見とは全く違うものになる。

灰色の水牛が農夫にひかれ、ゆっくり、ゆっくり、通り過ぎてゆく(中略)
棚田の間を登ってゆくと風景はしだいにすがすがしく、清く澄み、透明になってゆく。まわりの水田の静止した水がまるで千の鏡のように輝き、反射し、明滅する。(中略)それらの一つ一つのバリの風景が、シュピースの身にしみいるように広がっていった。そして全身に浸透したそのイメージをもとに、シュピースは彼の心のバリを克明に描いていった。

『バリ島芸術をつくった男』より

水牛をひく農夫の姿がよりくっきりと浮かび上がり、絵の中の風景が立体感を増していく。


『風景とその子供たち』

椰子の木を通して一人の農夫が向こうの山々を見ている。彼は長男で緑がかった影と化し、上部の枝の向こうを通ってゆくもう一人の農夫は次男で、かすかな桃色を帯びている。(中略)どの農夫たちの構図も似通っていて彼らがみな家族であることを示している。同じ山々や岡や谷が繰り返し描き込まれる。時間と空間の境界が判然とせず、バリ特有の多層構造のトポスがたちあらわれてくる。

『バリ島芸術をつくった男』より

今まで絵の中に見えなかった人影が次々に見えてくる。
小さく霞んだ農夫の姿を、絵の中にみつける度に嬉しくなる。文章を読み進めるにつれて絵が奥行きを増してゆき、農夫は今にも歩き出しそうだ。
絵画と文章の見事なコラボレーション。

「風景とその子供たち」というタイトルがつけられているが、そこでは山や自然が母であり、そこに生きるバリの人々や動植物が子供たちなのだ。(中略)人々と自然が、風景をともにつくりあげてゆく。

『バリ島芸術をつくった男』より

タイトルが意味するものがここで明かされる。
でも私にとって、この絵は何か得体のしれない気配に満ち満ちている。
どんなにみつめても解くことのできない秘密がこの絵には隠されていて、その秘密が絵を魅惑的にしている。

それはシュピースがバリの芸術を再創造していく中で、彼だけが感じ取ったバリの精髄・魂なのかもしれない。
だから絵画『風景とその子供たち』はこの本の口絵を飾るのに相応しいのだろう。

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