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介護職から撤退を決めた話

昨年の6月から、異動でデイサービスの生活相談員兼介護職員として勤務していた。
たった一年の勤務だったけれど、私は今月末をもってこの職場を辞める。
更に、介護の仕事そのものからも退くことにした。

理由はいろいろある。

・入職早々管理者から人格否定をうけたこと
・生活相談員としての業務がほとんどなく、あったとしても業務時間終了後に着手するのが当たり前だったこと
・腰痛の悪化、それに伴い十分な介助が出来なくなったこと

管理者の言動に対しては、割と早い段階で対策していたので、途中から随分おとなしくなった。しかしほぼ初対面の段階であれこれケチをつけるような人間は上司として尊敬できない。
最初に退職を考えたのは、やはりこの管理者の発言によるものが大きい。
とは言え、後半の数ヶ月間はまるで友人のように冗談を交えて話すまでになっていたので、自分の言葉で私が受けた傷はとっくに癒えたものと思っているだろう。処世術を行使しているだけだが。

業務については、これはもう職場の風土の問題かと思う。
デイサービスは毎日色んな利用者が来られる。帰りの時間までその方々の対応をするのは職員として当然なのだけれど、他の業務を終業後から行うのは正直非効率的だし残業して当たり前という考え方は正直嫌いだ。
『今までずっとこうだったから。慧さんがこれからどんどん変えていってね』とは先輩の言葉だが、冗談ではない。あなた方の尻ぬぐいを何故来たばかりの私がやらねばならないのか。

そもそもこの職場、新しい職員に対しての指導の体制が全く整っておらず、これまでも『放置されて寂しかった』という理由で辞めていった人が複数いたらしい。
私自身、先輩から『教え方が分からない』『私は教えられない』『教える暇がないから見て覚えて』と初日から言われ続けていた。
それなりに介護職としての経験は積んでいたものの、所変われば仕事内容も変わるし常識も変わるのである。
教育係は病院で経験していたので先輩方の言う事も理解していたけれど、『新人の自主性に依存したやり方だけではなぁ……』と悶々としていた。
相談員の仕事がしたくて異動したのに、結局それらは管理者が『俺がやらないと誰も分からないんで~』などと言いながら行っていた為、私は介護職員としての仕事が9割だった。
正直、他の相談員の肩書を持つ人達もやることは介護職のそれで、担当者会議に行くこともなければ新規契約の手続きをすることもない。それらは管理者が全て行っている。
正直、自分がここに来た意味が最後まで分からなかった。恐らくは、相談員の人数合わせだったのだろうが。

退職理由としてはここが最も切実。
介護職員なら誰もが経験するであろう腰痛だ。
私は10代の頃に腰椎椎間板ヘルニアを発症している。その後長いことなりを潜めていた憎いあいつ。
数十年の時を経て、遂に復活したのだ。
整形外科の医師曰く、『腰痛って完治するもんじゃないんだよね』とのこと。
それはそうだろう。姿勢や体の使い方等、根本的な問題を解決しないと何度でも繰り返すのが腰痛である。
仕事を減らすようにと再三言われていたものの、出勤した以上はそれなりの仕事をせねばと思ってしまう。周りのサポートもあり何とか働いていたのだが、私は痛みに耐えかねて利用者さんを支えきれず尻餅をつかせてしまうという失敗を犯してしまう。

幸いなことに利用者さんに外傷はなかったが、ちょっとしたことで骨折するのが高齢者だ。
もしもこんな事がまた起こってしまったらと思うと、怖くてたまらなかった。
病院勤務の時も、転倒して再骨折した患者さんを何人も見てきた。
やむを得なかったケースがほとんどだけれど、私の場合は自分の体調のせいなのだ。
もしこの利用者さんが怪我をしたとして、その理由が『職員の腰痛のため』だなんて、私が家族ならきっと納得しない。

もう介護の現場は無理だと判断し、私は管理者にその旨を伝えた。すぐに人事課の担当者との面談がセッティングされたのだけれど、これがまた最悪だった。
事の経緯を話し、退職の意向は変わらないと伝えた後、こう言われたのだ。

『うちほど基本給や資格手当が多い所はありませんよ』

そんな話はしてねぇよ!!!!

声に出したいのを堪えて、笑顔で「そうですね、色々調べてるので知ってます」と返した。
確かにこの法人、介護職員に対して金銭面で手厚いのだ。
私だってお金の面で言うなら辞めたくなかった。

しかし、論点はそこではないのである。
もしかして給料を吊り上げようとしていると思われたのかも知れないが、私は一貫して『身体面の不安が大きいので介護の仕事は出来ない』と伝え続けている。人事は待遇の良さをちらつかせてくる。
互いの着眼点が異なっているのに、まともな話し合いが出来るはずもなかった。

転職先を何とか見付けて、身体的な負担も軽くなることが確認出来た翌日に、管理者に退職する日を伝えた。
すぐに法人の上層部の人との面談がセッティングされたけれど、最終的な意思確認だったようだ。改めて自分の現状と、今後介護業務を続けるにあたっての不安、リスクを伝えて、退職の意向は変わらないと言い切った。

その後、職員がコロナに罹ったりその対応で臨時休業になったりとばたばたして、今に至る。

給料の面で未練が残るのは否定できないが、このまま居続けてもきっと身体に影響が出たと思う。そして恐らく相談員なんて名ばかりで、ひたすら介護の仕事だけをしなければならなかっただろう。
そうして『給料が良いから』という理由だけでこの職場にしがみついて、腰痛が悪化してしまったら……誰が私の暮らしを保障してくれるのだろう。
そう考えた時、答えは一つしかなかった。

病院勤務と合わせると8年の介護業務。
本来、社会福祉士を取得したらすぐにでも相談職に変わるつもりだったのに、どうにもうまくいかず今日まで来てしまった。
来年の春まで頑張ればケアマネ受験にも挑戦出来たのだけれど、今となってはあまりそこに未練はない。

ヘルニアの悪化という、自分では考えなかった理由が退職の決定打になった訳だけれど、今回改めて身体を労わることの大切さが身に染みた。
足を引きずって介護業務を行うのは辛く、一人で何人も送迎に行くのが怖かった。それを訴えても、結局は出勤したからにはやらなければならないのがストレスになった。
自分を守れるのは自分だと再認識出来ただけでも良かったと思おう。
転職先では給料が半分になるので、お金の面で大変苦しくなる。これまでのようなお金の使い方が出来なくなるが、それはもう貯金を崩してどうにかせねばなるまい。
何と言っても、ずっとやりたいと思っていた児童支援の仕事だ。
非正規雇用だから、ある程度経験を積んで別の所に行くのだって悪くない。
もしかしたら挫折して、雇用期間が切れる年度末にさっさと全く違う道に方向転換するかも知れないけれど、それはそれで構わないと思っている。

誰かの意見に左右されて決めた道を進んで失敗するよりも、自分の心に素直に進んで失敗する方がまだ納得できる。
今回退職をするにあたり、周りがあれこれ言ってきたけれど、心配をありがたく受け取る一方で大きなお世話はゴミ箱に捨てた。

私は誰が何と言おうと新しい世界に飛び込むと決めたのだ。
たとえその先に挫折が待っていようと。



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