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失恋した話

noteを書くのは久々になる。
年明け、抱負の一つとして、こんな記事を書いた。

昨年、社会福祉士を取得してから約1年、異動を願い出てきた。
営業事務時代に心身を壊して退職。その後紆余曲折を経て、病院の看護補助の仕事に就いた。放送大学で学士を取り、専門学校の通信課程を修了し、その間に介護福祉士を取ったり社会福祉士実習に取り組んだ。
働きながら、夜勤をこなしながら。
社会福祉士実習は有休をドカンと使い(一ヶ月も休ませてくれた職場に感謝…)、実習が終わった後も専門学校のレポートに苦しみながら、そして試験勉強に喘ぎながら、それでも体調管理最優先で、仕事は休まず概ね元気な状態で過ごすことが出来た。
約6年。私は頑張った。そう、頑張ったのだ。
だからこの6年に報いる為に、私は資格取得後の1年間、現職の介護の仕事に励みながらも、『社会福祉士の資格を活かした相談職に就きたい』というもともとの願いを叶えたくて、師長にも人事にも話をした。今年の1月、2月には、希望部署の仕事も拝見する機会に恵まれた。

結果から言うと、私はフラれた。

色々組織の事情はあるのだろう。それは分かる。社会人のはしくれなので。
それでも、私はこの性格上こう考えてしまうのだ。

ああ、私はきっと、あの場所に立つに至らない人間だったのだ。

実際、そうなのだと思う。
私はずっと介護の仕事をしてきて、その観点から患者さんを見ている。それが仕事だから。それが、私に求められた役どころだから。
自分でも、きっとソーシャルワーカーの視点とは全く違っているのだろうなという気はしていた。けれども、数年培ったそれはそう簡単に覆るものではなかった。実習の時も再三指摘され、自分のウィークポイントであると知っていたにも関わらず、だ。

介護の視点も必要だ。周囲はそう言ってくれる。
しかし組織が求めたのは、介護の視点「も」持ち合わせた、柔軟かつスピード感のある社会福祉士だったのろう。私の年齢であるなら尚の事。
若い人なら、これからいくらでも揉まれて、その柔軟性をもって伸びていける。しかし、私にはそんな時間はもうない。自分が思っている以上に先は長いようでいて、実は成長に繋げられる時間はずっと短いのだ。
だから内心焦っていたし、自分をよく見せたかったし、けれどもそうするには力量が足りなかった。相手を振り向かせるには、私の努力が足りなかったのだ。

まるで恋愛における失敗のようだ、と思う。いや私は恋愛感情というものがほぼ皆無だから、これが正しい比喩である自信はないけれど。

私を見て、私の頑張りを認めて、私の気持ちを受け入れて。

それはまるで、自己顕示欲に溺れた少女のようだ。相手が求めるものを汲み取れず、ただ認められたい、求められたいと。
そう、『ガンガンいこうぜ』である。
それでも、昔に比べて随分自信はついたんじゃないかな、と思う。
私は過去の体験からなのか性格からなのか、自己肯定感はそう高くない。
特につい最近までは、自分が女性の欠陥品だと思っていたし、自分の努力なんて他人のそれとは比べ物にならないくらいショボいもんだと思っていた。だからこそ、生来の怠け癖も引きずりながらでも新しい事に挑戦していけるのだけれど。
自分は頑張ったのだと声を張れるその日が来るとは思わなかった。
どれだけやっても、自分は他人の努力の量には及ばない。尺度が常に他者であった私が、謙遜を美徳として「私なんてまだまだ」と笑っていた私が。努力の成果を認めて欲しいと思えるその日を迎えるとは。
それだけでも、ここまでやってきた甲斐はある。

考えてみれば、いつだって私の人生、思い通りになったことなんてなかった。
入る学校も、住む場所も、そして仕事も。
自分にはこれが似合いなのだと、こうするしか生きていく道はないのだと。諦観の中で、それでも少しばかりの幸せを見付けながらやってきた。
30代も終わりに近付いた頃からようやく、自分が目指すもの、やりたい事に出会ってその為に力を注ぐ日々を得た。それはいつか夢見た未来の自分とは遠くかけ離れたものだったけれど、何もやりたい事を一つに絞ることはない。何だって出来るのだ。その力が自分にあるのだと信じられさえしたなら。
現に今、私はこうして顔も知らないあなたに気持ちを文字に乗せて吐露している。自分の想いを発信している。恐らく、死ぬまでまみえることのないあなたに。
作家でも、記者でもない、芸能人でもない私が不特定多数の知らない誰かに打ち明け話をするなんて、インターネットがここまで普及していなければ叶わなかった。

何年もかけた私の仕事への恋路は一旦ここで途絶えてしまったけれど、恋多き友人が昔よく言っていた。
「さっさと忘れて次に行く!」と。
落ち込む時間も悲しむ時間も、自分を貶める時間も惜しい。その時間は自分を磨く為に使おうと思う。

他人とも仕事とも、相思相愛になれること自体が奇跡だ。
奇跡を享受できるのは、その資格があるのは、きっとひたむきに自分の為に、他人の為に、道を切り開いて行ける人。軸を揺らさず、信念は曲げず、心を折らない。

おや、私の事では……?

そう思える今の私は、きっといつか、仕事と相思相愛になれる気がするのだ。


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