波の果て


 波の果

東岬の先端は高さ五〇メートルほどの崖になっている。 数年に一度人が落ちたという話を聞く。 学校は危険だから近寄るなと言う。 そう言われるほど行ってみたくなる。 わかるよな。 僕らは学校の帰りや休みの日はときどき東岬に行く。 東岬は北から南へと向かう、港の東側に突き出た半島だ。 松林の登り坂になっている。

岬の先端で、上から見るとほぼ真下に岩にぶつかって白く砕けた波がしらが見える。 大きな岩が三個、岬の下に横たわっている。 確かに落ちればあの岩にぶつかってグシャっとなりそうだ。 一つはお饅頭のようにまあるいので、まんじゅう岩、もうひとつは羽の開いた蝶々の様なアゲハ岩、もう一つは三角形っぽいのでおにぎり岩と呼んでいる。

僕は立ったまま下を見る勇気がない。 いや、そういうのは勇気というより無謀ではないだろうか。 想像力のない奴だけが立って見るのだ。 僕は寝転がって、少しづつ這い出していく。 崖の先端は岩が削れているので、前に行くほど、頭が下がっていく。 滑り落ちそうで這っていても怖い。 頭一つ崖から這い出すだけでもう駄目だと思う。 どういうわけか、眼鏡がずり落ちそうで怖い。 下を向いたから眼鏡が落ちたという経験は一度もないのに。

まだ、頭しか飛び出していないが、あそこが縮みあがる。 重心は臍くらいだから、何の問題もないはずだとはわかっていても怖い。 隣で吉田君が立ったまま下を覗き込んでいる。 僕は自分の手が吉田君の脚を押しそうで余計に怖い。 こいつ本当に勇気があるというか、無謀というか。

「まんじゅう岩のこっち側って穴があいていないか?」
吉田君が指さす。 僕は首を戻して下を見る。 まんじゅう岩の手前の崖が一か所黒ずんで見える。 洞窟なのか、岩の影なのかわからない。
「影かな」
僕が答える。
「海から見ようぜ」
吉田君がそういうと崖に背中を向けた。 その時、吉田君の靴が滑った。 僕の顔の横を吉田君の脚が流れる。

「わっ」
僕は思わず声を出した。 吉田君は僕と逆向きに足をつき出して倒れた。 僕は急いでバックしてから立ち上がろうとした。 吉田君の顔は特に怖がっているようには見えない。 僕は寿命が縮まった気がした。 怖くて吉田君に手を伸ばせなかった。 倒れた本人が怖がっていないのに、僕が怖がるのは意気地なしだと思って黙って立ち上がった。 吉田君も立ち上がりながら
「船で行こうぜ」
吉田君は全然怖そうじゃない。 僕は多分三年分くらい寿命が縮んだ気がする。

船とはグラスファイバー製の二人乗りボートだ。 中学生なら三人は乗れる。 いや、実際には四人乗っても問題ない。
「佐藤君と鈴木君も連れて行こうか」
僕が言うと、
「いや、洞窟だと確認出来てから皆で行こう。それまで二人で行こう」
なるほどそれもそうだねと思って首を縦に振った。

東岬の松林の尾根道を港まで戻ると、砂浜のボートを吉田君が引張り、僕が押して海にはいる。 湾の左手に東岬が三百メートルほど突き出ている。 側面は岩だが、上は松の木が生えた緑の林になっている。 湾の入り口よりも岬の先端の方が高くなっている。 ボートに乗るには本来は免許が必要なのだが、中学生は資格がない。 でも海に生きる僕らは船がないと生きていけない。 それに海では手漕ぎでは波に負ける。 だから皆承知している。

僕はスクリューを海に落とすとエンジンをかけた。 どういうわけかボートの操縦は僕が一番うまい。 岬の東側の崖に沿ってボートを走らせる。 吉田君は舳先に立つと左手の崖を見ている。 何だか宝島の船長みたいでカッコいい。
吉田君がかっこいいのは、身長が高いこと、恐れを知らない生きざま、自分を偽らないからだと思う。 かっこよく思われたいという願望がないのだ。 僕なんか、少しでも背が高く思われたいとか、かっこよく見られたいとかそういう気持ちでいっぱいなのに。

だから、崖の端っこで立って下を覗き込む吉田君がかっこいいなあと思ってしまう。 女子からどういう風にみられているのか知らないけれど、男子からは評価されている。 僕だってできるなら吉田君みたいになりたい。 でも崖の端まで立って行くなんて絶対にできない。 風が吹くかもしれない。 足が滑るかもしれない。 吉田君が押すかもしれない。 そんなことを考えてしまうのだ。

僕らは飛び降り自殺がたまにあるので、東岬の先端崖下にはほぼ行かない。 だから、岬の先端がどのようになっているのかよく知らない。 吉田君は野球帽を後ろ向きにかぶりなおした。 僕はそれを見て、正解だなあと思う。 狭いところではつばが岩にぶつかったりしてバランスを崩しやすい。 今はつばが首を隠している。
僕はスクリューの向きを微調整しながら東岬の先端を崖に沿って進めていった。 町の名物のウミネコが鳴いている。 僕らの町は海猫町だ。 もう岬の先端が見えてきた。 アゲハ岩とおにぎり岩が見える。 まんじゅう岩は影になっている。 エンジンを止めると櫂でこぐ。 崖は岩の陰で見えない。 二つ目のおにぎり岩を回ると三つ目のまんじゅう岩が見えてきた。 この裏側あたりだ。 吉田君は舳先からまんじゅう岩に抱き着くと、足場を探しながら円い岩を登って行った。

「あー、あれかなあ」
吉田君の見ている方向に船をまわす。 まんじゅう岩とおにぎり岩の陰になっている崖に割れ目がある。 まんじゅう岩の上から吉田君が船に戻ってきた。
「あの隙間に入れるかな」
僕は船をまんじゅう岩と崖の間に押し込んだ。 ガリガリガリ。 グラスファイバーの船体が嫌な音をたてる。 崖の割れ目は単にひびのように見えた。 他の部分より明るい色をしている。 吉田君が舳先に立って崖に手をつき、ひびの間に顔を差し込んだ。
「右側が開いてるぞ」

吉田君が言う。 吉田君は器用に崖の岩に足をかけると、右側に消えた。 なるほど、穴があるらしい。 僕は船を固定する方法を考えたが、円い岩にも垂直の崖にも船にある短いロープを固定する足がかりがない。 吉田君が戻るまで待つことにした。
「結構奥まで繋がってるなあ。暗くて見えないや」
声が聞こえて、吉田君の靴が見えた。 崖の岩場の足がかりを探しながら戻ってくる。
「懐中電灯とロープが必要だな」
「船を舫う方法を考えないと」
「よし、帰って作戦をたてよう」
「佐藤君と鈴木君にも声をかけよう」
「うん」

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