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【小説】JK芹沢千絵理はかく語りき Op.1『復活』①

 オルフェオ・ホール。東京・銀座にあるクラシック音楽専用のホールであり、東京のオーケストラや国内外の有名アーティストによる公演が毎日のように行われる。その音響の美しさときらびやかな内装によって、音楽ファンのみならず文化人からも注目を集める施設だ。
 また、ホールの構造は「ヴィンヤード(ぶどう畑)型」と呼ばれ、段々畑のように客席が舞台を囲む形となっている。どの席からも舞台全体が見える工夫がなされているのだ。

 そんなオルフェオ・ホールの、チケットに印字された文字によれば「LA4列目9番」という席に僕はいた。舞台を真横から俯瞰する位置にある。
 東京近郊のごく一般的な家庭に育ち、地元の公立高校に通う僕が、クラシック音楽とはおよそ縁のない僕が、なぜかここにいた。
 今まで足を踏み入れたことのない空間と右隣にいる少女の存在に、僕は完全に気圧されていた。


 彼女の名は芹沢千絵理と言った。
 白百合のような、という形容はまさに彼女のためにあるのだろう。掴めば容易く手折れそうな細い四肢と透き通った白い肌。背中まで真っ直ぐに伸びた黒い髪。可憐なというよりは端整な、その美しさには道をすれ違う誰もが振り返った。加えて頭脳も明晰であり、非の打ちどころのない才色兼備である。
 それでいて、どこか冷たく人を寄せ付けない雰囲気もあった。「おはよう」の言葉もなく席に着き、静かに授業を受ける。休み時間も一人で過ごし、放課後にはまっすぐ校門へと向かう。

 初めこそクラスメイト達が、出身中学はどこだとか、好きなアイドルは誰だとか、彼氏はいるのだとか、あれこれ尋ねたものだが、まともな返答が返ってくることはなかったようだ。はなから友達をつくろうとか、誰かと仲良くしようという気はなく、人との関わり自体を避けているようである。
 それを見かねたおせっかいな者や担任教師らが世話を焼いたようだが、徒労に終わった。下心を持って近づく男子生徒もいたが、いともたやすく袖にされた。

 このように集団の中で良くも悪くも目立つことは、大きなリスクを伴う。
 ある日、彼女の持ち物が何者かの手によって破損されたり、隠されたりするという事件が起きた。
 しかし、彼女はそれに動じることもなく、翌日には段ボールいっぱいの消しゴムやらシャーペンやらを持参してきた。
 「これはなんだ?」
 「ペンです」
 「そうじゃなくて、なぜ箱で持ってきているんだ?」
 「なぜか昨日から私の文房具が知らない間に壊れたり、無くなったりするからです」
 授業中にこんなやりとりを教師と交わす始末。
 その直後の休み時間に実行犯と思しき数名の女子が直接因縁をつけた。すると、芹沢千絵理は表情一つ変えずに箱の中身をぶちまけてしまった。圧倒された彼女たちは床に散乱した消しゴムやシャーペンを箱に戻すと、大人しく引き下がってしまった。

 この一件以来、彼女を「ヤバいやつ」とみなし距離を置く派閥と、「孤高の存在」として崇める派閥に二分された。前者は「陽キャ」、後者は「陰キャ」と俗に呼ばれる者たちで構成されたが、前者の中にも密かに彼女を支持する者がいるらしい。「隠れキリシタン」みたいなものだろうか。
 当の芹沢千絵理は意に介さず、まるで「台風の目」であった。


 例年より早く梅雨が明けたころのことである。
 僕の所属するテニス部は週に3回だけ練習がある。あいにく敷地の狭いこの学校は男子と女子が同時に活動できる広さのコートがない。だから、月・木は男子、火・金は女子、水・土はそれぞれ交代で使用する決まりになっているのだ。
 コートの拡張が検討されているという話を耳にしたこともあるが、その実現可能性はきわめて低い。この部が目立つような成果を上げておらず、顧問の教師も監督責任をギリギリ守る程度の熱心さであり、この学校にはそんな部を甘やかすほど予算が潤沢にあるとは言えないのが現状だからだ。
 まあ、ガツガツ運動をするほどのやる気もなく、かといって文化部に入ったり、帰宅部となったりするのは、高校生としてなんとなく恰好がつかない気がして入った部だ。むしろこれくらいがちょうどいい。

 そんなわけで、部活がある日以外の放課後はたいていクラスの友人か部活の仲間と過ごすことになるのだが、その日は珍しく一人だった。ある者は体調を崩していたり、ある者は塾の予定があったり、ある者はデートだったり。
 たまにはさっさと帰って昼寝でもしようか、そういえばあの漫画の発売日は今日だったかな、地元の本屋に寄ろうか、といったことをぼんやり考えながら駅へ向かう。
 ホームで電車を待っていると、一つ隣の列に芹沢千絵理がいるのを見つけた。
 やはり一人だ。
 外界との関わりを一切遮断するかのように、イヤホンを耳に差し込み、なにやら難しそうなハードカバーの本へ目を落としている。
 やがて電車が到着し、乗車する。彼女は少し離れたところの向かい側に座った。その眼差しは相変わらず手元の活字へと向けられていた。

 学校でもよく休み時間に本を読んでいる姿を見かけるが、こうしてじっくりと眺めるのは初めてかもしれない。普段からミステリアスなところのある彼女だが、伏し目になるとその効果は絶大だった。殺風景な電車の中ではあるが、このまま切り取れば絵になるのではないかとさえ思えるほどだ。

 10分ほどその姿を眺めていたところで彼女は席を立った。都心へ向かう地下鉄が乗り入れるちょっとしたターミナル駅である。地下鉄のホームへと向かう階段を下り、ちょうどやって来た上り電車に乗る。やっぱり都心の良いところのお嬢様なのかな、などと考えながら、僕はすでに自分の帰り道とは反対の方向へ進んでいた。
 もはや言い訳のできないところまで来てしまった気がして、もし彼女に見つかったらどうしよう、なんて答えようとあれこれ考えを巡らせていたが、相変わらずお嬢様は本とにらめっこをしていて、こちらには気づいていない様子だった。

 何駅過ぎただろう、30分くらいは乗っていたところで、彼女がその目を上げ、本を閉じた。どうやらここで降りるようだ。
 僕は彼女を5メートルほど後ろから追いかけていく。改札を抜け、エスカレーターや階段を昇り降りしながら地下道を進み、地上に出ると、かなり大きな通りに出た。黒塗りのハイヤーが停まっているいかにも高級そうなホテルや立派なオフィスビルがあった。およそ住宅があるような場所ではない。
 たどり着いたのは四方を建物に囲まれた広場だった。噴水と円錐状のオブジェが非日常的な空間を演出している。
 
 「なにか用ですか?」
 突然、芹沢千絵理が振り返った。
 「え?」 
 「さっきから私の後をついて来ているようなので」
 「いや、たまたま見かけたから、どこへ行くのかな、と思って…」
 「…えっと、どこかで会ったことありましたっけ?」
 「いちおう同じクラスなんだけど…」
 「ああ…そういえばうちの学校の制服ですね」
 彼女と同じ教室に半年間いながら、僕の存在は認識されていなかったとは。
 「それで、どこに行くの?家…じゃなさそうだね」
 「そこですけど?」
 そう言って彼女は、正面にある黒い壁の横長の建物を指差した。
 「そこ?」
 「ええ、オルフェオ・ホール。あなたもそこに来たんじゃないの?」
 「え、まあ…」
 
 こうして僕は生まれて初めてクラシックのコンサートを聴くことになってしまった。

(②へつづく)


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