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【介護】私がやっていた介護の話とお義父さんへの気持ち②

こんにちは!
keiです。

介護の話①の続きです。


私がやっていた介護は
身体的なこと以外のこと、
という話をしていました。

体に触れることはしていなかったので
何が大変なの?って思われる方も
いるかもしれません。


実際、親戚の人は思っていたと思います。
お義父さんが認知症だということを
認めていなかったのでそもそも聞く耳持たず。
(唯一妹さんだけ力になってくれました。)

見た目も行動も
一見なんの問題のないように見える。
一緒に暮らしていないと認知症だと気づかない、そんな状況だったので周りから理解されないのも
苦しかったです。

認知症の方は
昔のことはしっかり覚えているという特徴が
あります。

お義父さん自身も、
幼少期のこと、
現役サラリーマンだった時のこと、
親戚の方々との思い出など、
ものすごくはっきり覚えていました。

また、話し上手なので、
過去の話をよくしていて
その場をすごく盛り上げていました。

だから親戚の方々は
私たち夫婦がいくら伝えても
分かってくれませんでした。

あの時、
誰かがお義父さんを見守る必要があった、
と私と夫は思っています。
なので、私たちがやってきた介護は
無駄ではなかったと信じています。

親戚の人は分かってくれなかったけど、
ケアマネさんや、デイサービスのスタッフさん、
地域包括支援センターのスタッフさん、
病院の先生、同じく介護をしている友人、、、
分かってくれる人はいました。

大変だよね。辛いよね。
自分の時間はある?

と、労ってくれて本当にありがたかった。

そして介護する側のケアも大切ということを
教えてくれました。

私は自分たちの生活を犠牲にするのが
介護だと思っていた。

でも、、、


私たちは自分たちの幸せを一番に考えていい、
自分たちの時間を大切にしていい。

お義父さんが
家族以外の人から介護を受けることは、
お義父さんのためにも
私たち夫婦のためにもなるということ。

そのことを教えてもらった時に
ふーっと肩の力が抜けました。


そして
私の出産、育児を機に
お義父さんは
特養老人ホームに入ることになりました。
出産の時期に合わせたかのように
偶然空きがでました。
何年待つか分からないと言われたのにです。
これを逃したら、いつ空きが出るか分からない。

夫は苦渋の決断だったと思います。


今は、認知症がだいぶ進行し、
一人で歩行することができなくなり、
お話することができなくなりました。

もし、
特養に入らず、自宅介護を続けていたら
もっと進行は遅かったかもしれません。
コロナも重なって、
施設での催し物も一切なくなり
人と関わる頻度が著しく減ったのも
認知症が進行する要因として
大きかったと思います。

今、私たちにできることは
お義父さんに家族で会いに行くこと。
元気な姿を見せること。

娘たちを見せて「孫だよ!」と言うと
嬉しそうな表情をしてくれます。


同居していた時にはできなかったことが
できるようになったことが一つだけあります。

それはお義父さんの手を握ること。

一緒に暮らせなくてごめんなさい。
元気に毎日過ごしてほしい。
家族のこと忘れないでほしい。
ありがとう。

そんな気持ちを込めて、
ぎゅっと握ることができました。

介護していた時は、
負の感情が大きかった。


でも今は
距離を置いたことで
改めてお義父さんの
こういうところが好きだったなぁとか
介護する前の穏やかな気持ちを
思い出せるようになりました。
これからも娘たちの成長を
見ていてほしいなと思います。

長くなりましたが、
最後までお読みいただき
ありがとうございました♡

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