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Stay Homeな現在だからこそ、『方丈記』のお籠りマインドに触れる

鴨長明(かものちょうめい)が書いた『方丈記(ほうじょうき)』を読んだことはあるだろうか?

かく言う僕は、2日前まで読んだことはなかった。

もっと言うと、『徒然草』『枕草子』とならぶ「古典日本三大随筆」に数えられるていることすら知らなかった(学生の頃に教わったかもしれないが、とうに記憶から抜け落ちていた)。

思い返せば、学生時代の僕は「古文」が嫌いだった。ただでさえ英単語やら歴史の用語やら覚えないといけないものが多いなか、社会に出てから特に役に立たないであろう古文単語をなぜ覚えないといけないのか……。そんな後ろ向きな気持ちで古文と接していたので、受験後は「二度と触れるものか」と、無意識に避けていたのかもしれない。

だが、今の僕は鎌倉時代に記された『方丈記』こそ、この新型ウイルスによって、社会に不安が広がるなか読むべき一冊かもしれない思っている。

なぜか? それは鴨長明が生きた時代は、竜巻、地震、飢饉など災厄のオンパレードで、世の中の「無常」を身を以て体験せざるをえない時代だったからだ。そんな世界で、心安からに生きるために、必要な心得とは何なのか? それが、方丈記には書き記されている。

また、『方丈記』の「方丈(ほうじょう)」とは、晩年の鴨長明が俗世間をのがれて静かに暮らしていた山中の庵(いおり)のことであり、そこかで書き記した記録であることから「方丈記」と名づけられたそうだ。

つまり、鴨長明は世俗と「ソーシャル・ディスタンス」をはかり、庵および山中に「Stay Home」していたのだ。方丈記の後半では、お籠り生活の詳細が語られ、いかに充実した「おうち時間」を過ごしていたかが見て取れる。こう書くと、なんだか鴨長明に親近感が湧いてこないだろうか。

今回は、読んだことがない人にも伝わる『方丈記』の魅了と、僕が考える「鴨長明スタイル」について紹介したい。


平野啓一郎さんのオススメからはじまった。

そもそも古文嫌いの僕が、なぜ『方丈記』に手を伸ばしたのか?

それは、小説家の平野啓一郎さんが『Stay Home with Books!』と題したYoutube生配信で、「こういう時期だからこそ、自宅で読むことをオススメする一冊」として、『方丈記』を紹介したことがキッカケだった。

以前から僕のnoteを読んでくださる方なら知っていると思うが、僕は熱心な平野さんの読者だ。「平野さんは、何の本を紹介してくれるんだろう?」と楽しみにしていたのだが、まさか鎌倉時代の本をピックアップするとは全く想像していなかったので、はじめは驚いた。

だが、先述したように、鴨長明は厄災の時代を生きた人物であり、お籠り生活のパイオニアであることを平野さんから聞いているうちに、興味が惹かれていったのだ。

そして、平野さんは「方丈記は描写が美しい」と言う。

平野さんと言えば、その文章の美しさ。平野さんが褒め称えるのなら、一度は味わってみたい。こうして、人生で一度も関心のなかった『方丈記』を読みはじめたのだった。


天変地異の連続で、諸行無常すぎる平安末期。

さて、僕が『方丈記』を味わい、解釈する上で参考にさせてもらった本は、コチラの『すらすら読める方丈記 』だ。

方丈記に関する解説本は数多く出版されるなかで、Amazonのレビュー内容がよかったので選んだのだが、とてもオススメ。原文と現代語訳がセットで載っていて、何より中野孝次先生の解説が理解しやすい。

『方丈記』は6つのパートに別れていて、ざっくり言うとこんな感じだ。

【1】この世は「無常」といった序文
【2】鴨長明が被災してきた厄災の記録
【3】生きにくい世の中への嘆き
【4】鴨長明が方丈生活に入るまでの経緯
【5】お籠り生活の全貌
【6】自身に対する戒め

『方丈記』を読みはじめて、まず驚くのが、【2】で語られる鴨長明が遭遇した厄災の数々その悲惨さ

23歳の時に都の3分の1が焼失した「安元の大火」。26歳の時に「治承の竜巻」。27歳頃に都の左半分だけで4万人以上の死者がでた「養和の飢饉」。31歳の時に「元暦の地震」と、自らが経験した天変地異を書き記している。

また、当時は平安の末期で、平清盛による福原遷都も行われていた。これにより、京の都は大混乱。結局、遷都は取りやめになったが、相次ぐ天災で荒れていた都により一層の荒廃を招くことになってしまった。

これでは、この時代の人々が強い「無常観」にとらわれたのも当然だとわかる。法然、親鸞、一遍、日蓮、栄西、道元といった仏教界のスーパーレジェンドたちが鎌倉時代に続々と登場するわけだが、こういう時代背景ゆえに多くの人は信仰に安らぎを求めたのだろう。

有名な平家物語の冒頭の「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という一節だが、これは平家の栄枯盛衰を意味するだけでなく、当時の世の中全体のムードを表現しているのだと思う。超越的な自然の力や、予期せぬ政治の力で、積み上げてきたものが瞬間的に崩れていく。そんな世を生きる人にとって、平家物語の冒頭は時代を反映するキャッチコピーのように感じたのではないだろうか。


鴨長明の「無常観」を表す名文

【2】を読んだあと、【1】を読むと、言葉の印象が全く変わると思う。

『方丈記』で最も有名なのが、この冒頭だろう。

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、栖(すみか)と、またかくのごとし。

(現代語訳)河を見ていると、水は流れ流れて絶え間がないが、それはむろん同じ水ではなく、常に新しい水が流れているのだ。河のよどみに浮かぶ泡もまた、出来ては消え、消えては新しく生れ、同じ泡が久しくとどまっているためしはない。この世に在る人間とその住居も、思えばこれと似たようなものだ。

存在するいかなるものも一つの同じ状態にいることはなく、自然も人事も万物は必ず変化し流転してゆく。すなわち、無常

そして、【1】の最後の一節がこちら。

知らず、生ま死ぬる人、何方(いずかた)より来たりて、何方へか去る。また、知らず、仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その主(あるじ)と栖(すみか)と、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異(ことな)らず。

(現代語訳)私はどうにもよくわからないが、たえず生まれたり、死んだりを繰り返しているこの人間というもの、これはいったいどこから来て、死んでどこへ行くのだろうか。また、所詮はこの世の仮の宿に過ぎぬ住居を、いったい誰のために立派に造りあげようと苦労したり、またどこをどう造ったといっては喜んでいるのか。どうな見事な住居を造ったところで、そこに住む主人も屋敷も、生老病死の因果の律を免られず、生まれては死に、造っては壊され、たがいに無常を競いあっているさまは、たとえていえば朝顔と露の関係にほかならないではないか。

次から次へとくる天変地異や政変を経験し、人間の無力さや儚さを目の当たりにしてきた鴨長明が口にするからこそ、重みと深みのある言葉だ。

どんなに懸命に何かを築いても、崩れる時は一瞬で崩れる。何かに成功しても、その成功は長くは続かない。どんな幸せも、いつかは消える。人はどんなに努力をしても、生老病死の因果から逃れられない。そんな世の儚さを嘆く文章である。

【1】だけを読むと、言ってることはカッコいいが、単に現実逃避している世捨て人のような印象も受ける。だが、【2】の記録を読んだ後に読み返すと、そう嘆かざるを得ない鴨長明の切実な心境が伝わってくるではないだろうか。

そして、【3】では、生きづらい世の中への嘆きが書かれるのだが、最も印象的なのが締めの部分だ。

財あればおそれ多く、貧しければ恨み切(せつ)なり。人を頼めば、身、他(た)の有(ゆう)なり。人をはぐくめば、心、恩愛(おんあい)につかはる。世にしたがへば、身、くるし。したがはねば、狂せるに似たり。いづれの所を占めて、いかなる業(わざ)をしてか、しばしもこの身を宿し、たまゆらも心を休むべき。

(現代語訳)財産があれば失いはすまいかとして心配事が多いし、貧乏ならば恨み心が強い。人を頼りにすれば、自由を失って、この身は他人に所有されたも同然になる。人を慈しんで世話すれば、心は恩愛に囚われる。世のしきたりに従えば、この身が苦しい。ただ、従わないなら、狂人と見られてしまう。どんな所に住み、どんなことをしていたら、この短い人生をしばらくも安からに生き、少しの間でも心を休めることができようか。

何かを得ると、失うのを恐れたり、何かに頼れば、自分を失って苦しくなる……などなど、八方塞がりな様子がツラツラと書かれているのだ。

生きにくい世を耐えながら、心を労し続けて約30年。【4】では、物事が全く期待通りにいかないまま迎えた50歳の春に、鴨長明は意を決して遁世を遂げ、山の中に「方丈」を建てる様子が書かれる。

ここまでが壮大な前振りであって、ここからが『方丈記』の最大の見所、鴨長明流「おうち時間」の過ごし方が描かれるのだ。それが【5】のパートである。


誰のためでもなく、「心」のままに暮らす日々。

【5】では、方丈暮らしの楽しみが、これでもかと語れる。

鴨長明の暮らす方丈とは、四畳半よりちょっと大きい程度の住居ながら、法華経がのせられた経机があったり、阿弥陀仏の像が飾ってあったり、琴と琵琶があったりと、なかなか風雅なしつらえだったそうだ。

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▲ 京都の下鴨神社には鴨長明が暮らした方丈が再現されている。鴨長明は下鴨神社の神事を統率する禰宜の一家に生まれた。写真はWikipediaより。

この周りに誰もいない環境で、鴨長明は全ての時間を自分のものにしたかのような生活をはじめる。誰に遠慮することなく、自分のしたい時にしたいことをし、したくないならやらない。そんな記述が次々と登場する。

もし念仏ものうく、読経まめならぬ時は、みづから休み、みづからおこたる。さまたぐる人もなく、また、恥づべき人もなし。

(現代語訳)もし念仏をするのが億劫で、読経に身が入らぬ時は、自分で勝手に休み、勝手に怠る。それをいけないといって妨げる人もいないし、また恥じねばならぬ人もいない。

山に篭るというと、仏門の修行のように身を戒める厳しいイメージがあるかもしれないが、鴨長明の暮らしは全く違う。彼は、些細なことに楽しみを見出し、このお篭もり生活を最大限にエンジョイしているのである。

歌いたい時に歌い、唱えたい時に念仏を唱え、風景や季節の移ろいを眺めては昔の名歌を思い出して趣深いと感動する。とにかく、些細なことに喜びを見出すプロなのだ。

鴨長明をちょっとカワイイと思ってしまうのが、山の麓に住む10歳の少年と山で遊び回るエピソードだ。世俗的な人間関係に辟易している彼は、たとえ年齢が遠く離れていても、楽しむ心があれば両者に差はないと述べている。

そうした方丈の暮らしの末、鴨長明が辿り着いた境地がこれだ。

それ、三界は、ただ心一つなり。心、もし安からずば、象馬(ぞうめ)・七珍(しっちん)もよしなく、宮殿(くでん)・樓閣(ろうかく)も望みなし。今、さびしきすまひ、一間(ひとま)の庵(いおり)、みづからこれを愛す。

(現代語訳)さて、仏の教えに、三界はただ心一つなり、とある。この世界は心の持ちよう一つで決まるのである。心がもし安からにならないならば、象馬とか七珍といわれる財宝があっても何にもならず、宮殿や樓閣も望むところではない。今、わたしは閑寂な住居、一間の廬に住んで、心からこれを愛している。

全ては「心持ち」と鴨長明は言う。よくある自己啓発本でも、心持ちが大事と書かれるけど、この常人とは程遠いライフスタイルを実践し続けている鴨長明の言葉だけに、とても説得力のある響きを感じる。


鴨長明の「中途半端」な生き方にこそ味がある!

そして、ラストとなる【6】では、一転して、方丈での暮らしに自ら疑問を投げかける内容となっている。

お経を唱え、阿弥陀仏像を拝み、仏の道に沿いながらも、自分が暮らす方丈を愛し、閑寂を愛してしまっている。これは仏教で説かれる「執着を捨てる」教えと矛盾しているのではないかと考え出すのだ。

仏の教へ給ふおもむきは、事にふれて、執心(しゅうしん)なかれとなり。今、草庵を愛するも、とがとす。閑寂(かんせき)に着(じゃく)するも、障りなるべし。

(現代語訳)仏の教え給うところを聞けば、大事なのは、何事であれ、事に触れて「執着心を持つな」という事である。それならば、わたしがいま、草案を愛するのも、閑寂に執着するのも、これもやはり執着の一種であって、往生の障りとなるのであろうか。

この自分のスタイルに急に自問をはじめる【6】に対する、中野孝次先生の解説が非常に面白い。

これまで山中独居の暮らしを散々賞賛してきた人物が、一転して、それが往生の障りとなると主張しはじめることこそ、大いに矛盾していると中野先生は言う。もし障りになろうとも、そんなことは重々承知の上で、あなたは草庵への愛や閑寂の魅力を語って来たのではないか?……と。

中野先生曰く、【6】は山に篭り好きなことをやり続ける自分への世間の目を意識し、弁明として、あえてなげかけた疑問であり、つまるところ鴨長明の演技だと指摘する。

ここに『方丈記』の最大の特徴がある。

『方丈記』は、一見すると、災厄や世俗のしがらみに疲れ、山に篭り、心の安寧を求めて「悟り」の修行をはじめた男の物語のように見える。

だが、鴨長明は心穏やかに全くなっていない。むしろ、自分のやりたいことを自分のやりたいようにできることになったことで、楽しい!嬉しい!大好き!な日々を送っているのだ。だから、草庵への愛や執着が生まれている。

鴨長明は、ある種、中途半端な男だ。脱俗出離しているが、仏道一筋ではない。音楽も文学も捨てきれず、しかし仏道にも惹かれる。ただ、自分が楽しいのだから、それでOKと、中途半端な自分を全面的に肯定する。全ては心のおもむくままにだ。

社会から評価されたいとか、人から気に入られたいとか、そんな余計なことは一切気にしない。ただ自分はこう見る、自分はこれが好きだ、自分はこうしたい、と自分の心が感じるままに生きるのが「鴨長明スタイル」なのだ。

世俗にとらわれず、澄んだ心をもって、自分が良いと感じるものへ心を寄せること。これを鴨長明は「数寄(すき)」と唱えたらしい。山中での暮らしで、数々のものに、心を寄せた鴨長明。まさに数寄という言葉にぴったりな生き方をしている。


自分の暮らしに「草庵」を持ちたい。

僕は、この「鴨長明スタイル」にすごく惹かれるし、鴨長明をカッコいいとも思う。世間の目を気にせず、好きなことをやり続けるのは実に難しい。他者評価が欲しいと思う心はどうしても捨てきれないし、それがないと収入を得ることも難しいからだ。

実際、鴨長明も世俗との繋がりを完全に断ち切っておらず、時たま都に出ることもあったようだ。『方丈記』のなかに、こんな記述がある。

おのづから都に出でて、身の乞丐(こつがい)となれる事を恥づといへども、帰りてここに居る時は、他の俗塵(ぞくじん)にはする事をあはれむ。

(現代語訳)たまに都に出たときはこの身が乞食並になったことを恥じるけれども、帰ってここにいるときは、人々が俗塵の中であくせくしていることをあられむ。

都に行くと自分が乞食のようになったことを恥じる気持ちがあると、鴨長明が書いているのを見て、僕はすごく励まされた気持ちがした。自由人としての悟りの境地に達したかのように見える鴨長明でさえ、世間からの目(評価)を完全にシャットアウトできていないのだ。

だが、草庵に帰ってくると、心が落ち着くと書いてある。だからこそ、彼は草庵を愛していて、それに執着しているのだ。もっと言えば、草庵にいる時の自分(分人)を足場に生きているのだろう。

僕も、草庵を自分の暮らしに築いていきたいと思った。

自分の「数寄」を発見し、誰のためでもなく、自分のために楽しむ。そういう自分だけの草庵を持っている人が、何が起こるかわからない世界の中で、心穏やかに暮らせるのではないか。

もちろん、いきなり山に籠るとかそういう話ではない。ちょっとでもいいから、世間の評価を気にせずに、自分の心のおもむくままに、自分が”いい”と思うものに、心を寄せる時間をとること。これが僕の考える「現代の草庵」だ。ある意味、自分が読んだ文学作品について感想を書き綴るこのnoteは、草庵のひとつかもしれない。

また、誰かのエクストリームな「数寄」は、他人に伝播するものでもある。何だかよくわからないものに、異様に興味を惹かれている人を見ると、その興味の出どころを人は探りたくなるのではないだろうか。『方丈記』が何百年も語り継がれて、今日まで残っているのは、鴨長明のハイパーエクストリームな生き方に多くの人が惹きつけられたからだと思う。

毎日が忙しすぎて、草庵どころではないという人もいるだろう。でも、それも心ひとつだと思う。一日、数分でもいいから、自分の「数寄」に心を寄せる時間があるだけで変わる気がする。また、自分の草庵を大切にすることと、同様に他人の草庵も大切にしたいと感じた。

世捨て人のように見えて、誰よりも世を楽しんでいる鴨長明。

あなたにとっての草庵とは何なのか? 

そんな問いを投げかけてくれるのが『方丈記』なのだ。

・・・

あとがき

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

本文中にも書きましたが、古文に全く興味がなかった僕なので、平野さんのオススメがなかったら、『方丈記』を一生読まずに人生を終えていた可能性もあります(大げさかもしれませんが)。

今回、『方丈記』を読んで、日本の古典文学の面白さに目覚めたので、『徒然草』『枕草子』など、他の有名作品も読んでみようと思います。

『徒然草』なんて、「つれづれなるままに〜」という出だしの部分は知っていますが、つれづれなるままに何をしたのか全く知りません(笑)。

読んだら感想記事を書いていこうと思うので、よかったら、また遊びに来てください!

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井手 桂司

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フリーランスのブランド・エディター。一人ひとりの持っている物語を、言語化し、発信し、届ける手伝いをしてます。 IKEUCHI ORGANIC、Oisix ra daichi、コルク…などのメディア編集を担当。noteでは好きな小説についての感想を書き綴っていきます。