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衝撃ピープルと二本目の矢

ああっ、私としたことが…!十二分に注意していたはずなのに…という失敗を、久しぶりにしてしまいました。はーつ、時間を巻き戻したい。
漫画によくある、額に縦縞模様が入るときの状況。さーっと血の気が引いて真っ青の、あの感じ。がっくり肩を落とし両手を地につきうなだれる、あの感じ。
そしてこういう事態のあとは、しばらく悶々と思い出してしまい、数日立ち直れない。やっちまった…自分の頭をバカバカと叩きたい気分。
が、自分にはよくある、というか時々あるこうした気持ち、あまり感じない方もいるようです。
「私たちのような衝撃ピープルじゃない人が世の中にはいるんだよ」と、教えてくれた友人がいます。そうなんだ。いやなんとなく、あまり失敗に心の痛手がない人いるよなあと感じてはいたけれど。
衝撃ピープルか否か、で考えるとわかりやすいです。敏感さんかそうでないかの、ソフトバージョンといえそう。
すごい失敗をして自分なら激しく悔やむようなことでも、それほど、心に傷を負わない、衝撃を受けない人がいる。もちろん良識的な人なら、他人に迷惑をかけるような失敗には、しまった!と思うはず。でも、それを、けっして引きずらない。
羨ましい…人の悩みの多くはこの、「引きずるかどうか」に凝縮されるかと。引きずるなと言っても引きずるから厄介なのであって。
思い出すのは、確かジュディ・オングさんの二本目の矢のお話。昔朝日新聞に連載されていた、有名人のお気に入りの名言欄だったと思う。「二本目の矢は叩き落す」って言葉。
たとえば、花瓶を割ってしまったとき、しまった!と思って反省するのはよし。それは良いこと当然のこと。けれども、なぜ割ってしまったのかとあれこれ暗く考えるのはダメ。そうしたウジウジ思い悩む二本目の矢が飛んで来たら、すぐに叩き落せ!というもの。
この二本目の矢の話を、たぶん同じ衝撃ピープルと思しき友人に話したところ、気に入ってもらえたようでした。「叩き落すってことばが、バシッとしてていい」。
そう、覆水盆に返らず、です。昔々から、人々は、過ぎたことを後悔してもしょうがない変えられない、ってことを教訓にしていた。つい何度も思い出ししまい後悔を繰り返す…その生産性のなさよ。二本目の矢、強く意識したいです。
どうしても、二本目、三本目の矢に射抜かれ続ける衝撃ピープルの方に親しみを感じてしまうんですけどね。

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