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学校って、「その形」でいいですか?

「#こんな学校あったらいいな」の募集記事を読んで、あ、いいな、何か書いてみようかなと色々考えをめぐらせたのですが。

・読者は小学生を想定しています。

というのを今更見つけて、ちょっと考えから抜けてた部分だなと思って、書くんだったら考え直さなきゃなと。
ただ、学校についていま自分なりに考えたことは、ちょっと大事だなと思いました。

自分にとっての学校とは、
校舎やキャンパス、校庭などの敷地があって
その敷地に行き、決められたカリキュラムにそって物事を学び
試験などを受けて次のグレードに行くための場所
というものでした。
いまの子どもたちも、この位置づけと似た考えを持っている人は少なくないと思っています。

昨今の状況から、「敷地に行く」という状況が一旦無くなりましたよね。学校に行けないから、配布されたプリントを使用して家で勉強したり、ワークブックを解いたりする。学校によってはオンラインでの授業も導入している。
学校が変わっていくのだろうなと思いつつ、いや、本当はもっと学校って「広い」ものになっていっていいんじゃないかなと感じました。

外出を自粛するようになったからこのような状況になったけれど、本当は様々な状況から学校に行けていない人は多いですよね。そういう人たちのために「オンライン授業」が出来ていれば、学校に行けなくても「学習はできる」という子どもがいるかもしれない。
学校に行っていない子がなんとなく「例から漏れた」「こぼれた」ような感じに思われてしまう。正直まだまだこれがあると思うのですが、改善の一つの手立てのような気がしています。

決められたカリキュラムで物事を学ぶのも、とても大事なことだと思いつつ、学生のうちにもっと見聞きしていたらいいなということもあるように感じます。
学力をしっかり付けたい人・学校に行けない人は、むしろカリキュラムに沿って基礎から身につけていくことが大事。でも数多の職業がある中で、ずっとカリキュラムに沿って学習した結果、それを知り・決定していくのが20歳を過ぎてからなのはギリギリな気がする。
もちろん子どもの頃から打ち込んできたものや確かな目標・夢があって、それに沿った進路の選び方をする人もいます。反対に、「ずっと学校の授業を受けてきて、気づいたら先の進路を決める時期になっていた」という人も少なくないはず。自分の将来を、今より少し具体的に決めたり、そのヒントになるような取り組みが、学校にもう少しあってもいいのかなと思いました。

学校ってどういう場所なのかなと思うと、自分の学びたいことが学べる環境は全て学校になり得るのかなと。教科を学ぶところだけが学校じゃなく、やりたいことが決まっている人にとっては、それを学ぶ環境が学校であるようにも思います。

今や「学校不要論」も出てきていますよね。基礎となる学力が既にあり、やりたいことにどんどんフォーカスしていきたい人には、確かにそうかもと思う部分があります。
ただ学校側でオンライン授業等の仕組みさえ整っていれば、学校に行けない子どもたちにとっては(間接的ではあるものの)、そういう仕組みがやっぱり学習する一番の「場」になるのではとも思います。ネット上に、学校の授業を聞いているかのような授業のサービスが既にあって、誰でもがそれを享受できるなら、学校側がわざわざ・・・・・・というところでもありますが。

あとは、同い年・同年代の人たちがあれだけ実際に集まる環境というのが、やっぱり学校にしかないのかなと思います。友だち作り・思い出作りがメインではないのですが、学校で出来た良い人間関係はいまも続いていることも多くて。

言いたいこともあまりまとまっていないのですが。
年齢を限らず、場所を限らず、学ぶものを限らず、学校というものが、学校という考え方がもっと今よりも広いものになればいいなと思っています。

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