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3月に聴きたくなる音楽の話

この季節になると、私はある曲を聴きたくなる。
特別な門出の日を思い出す、私にとっての卒業ソング。

卒業生、退場。

司会者の号令に続き、ザッと音を立てて、皆一斉に立ち上がる。
式も終盤だというのに、卒業の実感が湧いていなかった私は、前後左右のクラスメイトの顔色をこっそり窺った。

3年間通った高校が、個性豊かなクラスメイトのことが、彼らと過ごした時間が、私はとても好きだった。
多くを学んで、愉快な時間を過ごして、時に涙して、悔しさも味わって。良い思い出も苦い思い出もひっくるめて、あまりに充実した毎日だったから、「今日でそんな日々も終わり」「明日からここには来ない」となったら、式の最中に泣いてしまうのではと、ハンカチを握りしめていたのに、予想に反して卒業する実感が全く湧かず、「え?!このまま終わるの?!」という謎の焦りを感じ始めていた。

けれど、周りを見ても、わりとみんな無表情でいて平常心、という印象を受けた。
「こういうものなのかなぁ」と、一抹の寂しさを感じていた次の瞬間、体育館にピアノの音が響き渡り、ハッとして背筋を伸ばした。

聴いたことのある曲。
よく知っている曲。
だけど、まるで初めて聴くような不思議な感覚。

会場に流れたのは、スピッツの『楓』だった。

予行練習の時に音楽が流れた覚えがなくて、予想外の選曲に驚いたのと、とにかくイントロの間は、「なんで、卒業式に『楓』???」と思っていた。それまでの私は勝手に『楓』を「秋の曲」と思っていたので、なかなかピンとこなかったのだ。

けれど、退場が始まり、自分の座席の前で動き出す順番を待ちながら、じっと歌詞に耳を傾けていると、1番のAメロからもうとんでもない切なさが込み上げて来て、鼻の奥がツンとし始めた。

なんだ、この感覚。

私はさっきまでとは別の理由で焦り始めた。

ヤバい、泣くかもしれない。

そうこうしているうちに、歩き出す番がやってきた。

曲が進むにつれ、たくさんの大切な記憶が次々蘇った。楽しい思い出も、失敗した思い出も。

サビの<さよなら>の頃には、もう完全に曲に感情移入してしまって、ダメだった。
今まさに一つの「終わり」と新しい「始まり」に近づいていっているという感覚が、一歩一歩踏み出すごとに増していき、つい堪えきれず、感極まって、見事、在校生と保護者の間を泣きながら退場することになった。

まさか、最後の最後に、こんなに感情を揺さぶられることになるとは。

退場の時間が練習のときよりも長く感じられたのは、泣き顔を大勢の人に見られている羞恥心と、今日という日が終わらなければいいのに…という想いによるものだろう。

体育館の出口を抜けると、緊張が解けたのか、ふとそれまで意識の外にあったクラスメイトの様子に気づいた。先ほどまでスンッと無表情だった何人もが、目に涙を浮かべて、鼻を啜っていた。
そして、私たちの背中を押すように、見送るように、背後には『楓』のアウトロが響いていたのを、今でも覚えている。

その後、体育館から離れるまでの間、みんな言葉少なだったけれど、しばらくすると、クラスメイトの誰かがフッと笑って、
「誰、あんな名曲選んだの!完全に泣かせにかかってるじゃん!」
と、涙を拭いながら言った。

「選曲者、間違いなく卒業式のプロだね」とか、
「最後の最後にやられた〜」とか、
「ほんとに終わったんだぁ」とか。

そんな風に泣きながら笑っている仲間の顔を見て、これから別々の道に進んでも、彼らとの思い出があれば、きっと大丈夫、と思ったのだった。

あの日以来、『楓』に対するイメージはガラッと変わって、10年以上経った今でも、3月になると必ず聴きたくなる。
大人になって、一人で未来が不安なときにも、あの日の気持ちを思い出すために、聴いてみたりする。

この3月に大切な場所から卒業される方、今までに聴いたことがあるという方も、もしよければ、今、この季節に、ぜひ改めて聴いてみてください。
『楓』の新しい表情が、見えるかもしれません。