マスクの日常感
「日本人は『目は口ほどにものを語る』という言葉が文化的に染み付いており、口を覆い隠すマスクを付けることにそれほどの抵抗感を示さないが、欧米人は口元の動きが相手の感情を読み解くカギとしてきたため、マスクへの抵抗感が強い」
という趣旨の記事をずいぶん前に読んだ記憶があります。欧米の風景を映し出す昨今のニュースでは、確かに装着率が芳しくないように思えますが、日本では、今やマスクを着けていないで歩いている人を見つけることのほうが稀になっているでしょう。マスクを着けていないことで、夕方のニュースになることだってあるくらいですし…
マスクはそうした意味でも、僕たちの生活の中でもかなり高い地位を占めるようになっており、空気のような存在にまで昇華しているように感じることは身の回りでも多々あります。
「やばい、マスク忘れちゃった!」
と、食事先から退出した矢先に、友人がマスクを忘れていたことに気付き、取りに戻ると、実はマスクのほかに財布も忘れていたようで、彼の中での優先度たるや、「マスク>財布」ともなっているようです。
またある日、地下鉄のホームで電車を待っている傍ら、反対方面へ向かう列車を待っている眼鏡をかけた中年の男性が、バックをゴソゴソと漁っている様子を、何の気になしに眺めていました。
彼はおもむろに取り出した水筒の蓋を開け、口に当てて水を流し込んでいました。
しかし彼と口の間にはマスクが依然として蓋をしたままになっており、マスクの高いフィルター性能はその能力を遺憾なく発揮し、無情にも水を全て弾き、目やら服やらに水が渡っていきました。
またこれは自分にもよくあるのですが、初対面の仕事の相手やパートナーとお会いするときは、終始マスクを着けたままのことがほとんどです。
今までは顔全体の特徴を捉えて記憶していましたが、最近ではマスクの柄とか着け方で覚えることが多いです。そういう覚え方をしてしまうと、いざウェブ会議越しになると
「この人誰だ…?」
となってしまうこともあります。マスクをその人の一部と認識して接しているがゆえに、記憶の中との紐づけが上手くいかないのだと思います。
皆さんにも、こんなマスクにまつわる小ネタがきっとたくさんあるんだと思います。
ただ、1年半前には「全員がマスク着けてるなんて、SF映画とか終末系のアニメでしかあり得ない」と想像もできなかった生活が目の前で毎日繰り広げられているものの、僕たちはすでにそれを日常として受け入れ、ほとんど不自由なく暮らせています。
そして「マスクを着けている人=マイノリティ」の日常が、遠のいていくにつれ、時折TVで映し出される過去の映像などで、誰もマスクを着けていない街の風景が、猛烈な違和感を伴ってきています。
僕が紹介したいくつかの笑い話も、「マイクロチップ付きマスクで、マスク忘れ防止!」とか「水だけを通すマスク」だとか「本人の口元を透過するマスク」など、技術やアイデアが、どんどんマスクを日常の中に溶け込ませようとするかもしれません。
コロナはいつか終わりを迎え、ゆっくりと僕たちはマスクのある生活から離れていき、マスク時代は非日常へと変わっていくことになるでしょう。
ただそれは、全員が一斉に抜け出せる日常では無いはずです。本文の冒頭に述べたことが正しいとすれば、日本人は口を覆い隠すマスクを着け続けることも、さほど抵抗感がないのでしょう。
コロナが収束したとしても、中には、マスク無しで外に出ることが怖くなってしまう人だとか、マスクの温もりが忘れらず付けてしまう人だとか、もはやファッションアイテム(自己表現)の一部になっている人だとか…そんな人だって少なからずいるかもしれません。
「マスク派」と「非マスク派」とが混在した世界では、一体何が起きるのでしょうか。
そんな世界の街並みで起きることを想像した小説でも書いてみましょうか…
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