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我が家感

少し前の話ですが、ひょんなことから、後輩が僕の自宅を訪れることになりました。

僕の住んでいるマンションは、エントランスから部屋まで行くのに10分ほどかかる超高層マンションというわけでもなく、良くも悪くも風景に溶け込んだ、国道沿いの少し煤けた賃貸マンションです。

後輩も、我が根城のあまりの平凡具合に「普通!」と外観を見て一言発するに留まっていました。

エレベーターで自宅の階層までたどり着き、部屋の鍵を開け後輩を招き入れました。

「あ、実家と同じ匂いがする。」

後輩は玄関でゴソゴソと靴を脱ぎながら、ボソリと呟きました。

「そうなんだ、同じ芳香剤とか使ってるのかなぁ」と一足先に室内に荷物をポンポンと置きながら僕は答えました。

「芳香剤もそうかもですが…あとは多分…あ、やっぱりそうだ、実家と同じ洗濯洗剤使ってますね。柔軟剤は違うけど。」と、断りもなしに洗濯機付近の戸棚をガチャリと開け、納得した表情を浮かべながら、再び戸棚を閉めていました。

洗面所からササっと出てきた後輩を居間に呼び寄せ、適当なお茶と菓子を差し出すと、辺りをぐるっと見回しながら

「部屋のミニチュア感やグルーブは、実家にはない、先輩オリジナルですね。個人的には85点です」と、なぜかコメント付き評点が提示されました。

なんとも反応しづらい点数ということもあり、

「それって高得点なんだろうか?」と問いかけると、後輩はまたあたりを見渡しながら、少し間を置きつつ

「過去最高は95点でしたね」と、ベッドのクッション性を確かめるように、グッ、グッと掌でベッドを押し込みながら答えました。

「でもその人の家で足りなかったのが”我が家感”なんですよね。最後まで『お邪魔しますー』って感じだったんです。やっぱり家って、『帰ってきたー!ふぅー!荷物ドサー!!』って感じがないとダメなんです」

”我が家感”。なかなか他人の家を見る上での視点としては独特だなぁ、と関心をそそられました。

「僕の家は『我が家感』はどうだったの?」

「そこが高得点の理由ですよ、だってお邪魔しますーって無意識に出ませんでしたから。部屋や家具のセンスは、正直最高得点者と比べるのが失礼なレベルですけど」と後輩はカラッと答えました。

「前半は褒めてくれてたのかもしれないけど、後半の辛口コメントが全てをかき消したね」と空いたグラスに麦茶を注ぎなおす僕の顔は文字通り苦笑が浮かんでいました。

そんな僕にお構いなしに「こうしてお茶菓子がスッと出てくるのも懐かしい感じがしますね。うん、そうだ、お茶の間にこうして腰掛けるまでの間に感じていたのは、懐かしさかもしれません」と続けます。

「両親が昨年相次いで逝きました。玄関の戸口を開けた瞬間の香りや母親の『おかえり』はもうこの世に存在しません。育った家、子供のころの勉強机がある自分の部屋、そしてそこに両親が居て、居間に座ると頼んでもないのにお菓子が出てきて…それが実家なんですよね、当たり前なんですけど」

注ぎなおした麦茶を口につけながら、後輩はポツポツと語りだします。

「最後に実家に帰った3年前のお盆休み、その時に自分の身に入った感覚が『我が家感』なんです。ちなみにその時に出てきたお菓子は、なぜか"萩の月"でした」

少しぐらついた場の空気感を立て直そうとしてか、明るく語った後輩の目は、少しだけ潤んでいました。

「なぜに仙台土産がご実家にはあったんだろうね…そして我が家には”萩の月”の用意がなくてね、あとはぽたぽた焼きか、チョコパイしかないや」

「残りのお茶菓子ラインナップ聞いてがっかりですね、75点です」と笑いながら減点するいつもの後輩に、仕事場では隠しているとてつもない孤独を感じてしまいました。

そんな後輩もあの後、すぐに結婚をして、もうすぐ第1子が生まれるとのことでした。

結婚報告の際にLINEで送られてきた写真には、”萩の月”の箱を、満面の笑みで夫婦でカメラに向けながら「”我が家”感100点の人、見つけました!(笑)」との文字がありました。

そこに続けて打たれた「先輩にも早く”100点の人”、見つかるといいですね!」と恐ろしく残酷なメッセージを消化するのに、少しだけ時間がかかりそうです。


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