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テラスハウスの問題を見て感じたこと/現実と演出の境界線

珍しく時事ネタについて。テラスハウスに関するニュースをみて思ったことがあったので書くことにしました。

マスメディアと個人メディア

ここ10年で、インスタ、Twitter、Facebook、blogなどが普及した結果、一人の個人が一つのメディアとなり、個人が情報発信、プロモーションすることができるようになりました。個人メディアで発信した内容が、マスメディアに取り上げられ、大きなムーブメントになることも増えており、今まさに「個人の時代」を迎えています。

一方で、逆の現象も起きています。マスメディアで発信された内容に関する批判(賞賛)が、個人のメディア宛に届くようになっています。これまでであれば所属事務所、テレビ局宛でストップしていたようなものまで、直接個人に届くようになったのです。これもまた「個人の時代」のもたらしたものです。

マスメディアの影響力について、良い部分を享受する以上、負の側面を受け入れなくては、フェアではないようにも思います。しかし、現実問題として極一部の人を覗いてその影響力は桁違いです。普通の個人は、大多数の賞賛ならともかく、大多数のヘイトを受け止められません。どうしてもマスメディア側に配慮が求められると思います。

「ヒール」について

「ヒール」は、演者、観客全員が「ヒール」だとわかっているから成り立つものです。そうでなければ、ただのイジメ、リンチです。

似たような話として、脚本通り悪人を演じただけなのに、なぜか演じた俳優が所属する事務所、テレビ局宛にクレームが入るという話は昔からありますが、昨今の撮影技術、リアリティ志向の高まりにより、ますます演技とリアルの区別がつきにくくなっているように思います。

その結果、脚本上の「ヒール」という設定と、現実が混同されてしまっているケースも増えているのではないかと思います(もしかしたら、意図的にそうしているのかも知れませんが)。

ただ今回のような問題をみると、リアリティを追求するからこそ、演出と現実を区別しなくてはならないように思います。特に(本件については知りませんが)マスメディアが脚本、筋書を書いた内容であれば、その内容については、マスメディアが責任を負うのが道理ではないででしょうか。

正義感?

また、今回の騒動を見ていて感じたのが、誹謗中傷を行っている当人としては、その自覚がないことも多いのではないだろうか?ということです。
「テラスハウスは絶対に終らせなきゃいけない」という意見を目にしますし、その通りかも知れません。但し、その正義感の強さが今回の事態をまねいたのでは?とモヤモヤします。

もちろん悪意をもって攻撃していた人は論外です。ただ、その一方では周囲からは誹謗中傷に見える書き込みでも、書き込みをした当人としては、自らの主張がまっとうなものと考えているケースもあるのではないかと思います。

これは非常にやっかいな問題です。私を含め、みな自分の考えは正しいと思いがちですし、同じ内容でも受けとった人によって感じ方は違います。
明らかな脅迫、差別的な発言、ストーカー行為であれば、法的に対処できるかも知れませんが、明確に白黒がつけられないものが多いのではないでしょうか。
最近SNSのコメント欄には「書き込む前によく考えましょう」といった注意書きがありますが、個人としてできるのは、本当にそれしかないのかも知れません。

自分の何気ないコメント、ひと言がどう受け止められる可能性があるのか、想像力を働かせ続けないといけませんね。自戒をこめて。

そして何より、悪意を持って攻撃していた人は本当に許せません。

ではでは。

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