「正義中毒」と「正論ハラスメント」について
つい最近本屋で見かけた言葉に「正義中毒」というものがありました。
この記事は『コントロール欲求という支配欲が渦巻く世界』と『飲み会に行きたくない理由を考えてみた』の派生記事になります。
「コントロール欲」も関連してくるため、上記の記事を読んでからこちらの記事を読むと、よりスムーズに読めるかと思います。
『正義中毒とは』
まず「正義中毒」から分析していきます。
「正義中毒」とは、自分が正しいと思い込んでいる時、人間は強気になり、自分の間違いを認められなくなる状況のことを言います。
宗教戦争や世界大戦もこれが原因です。人間は自分の正義のためなら狂気をも纏い、平気で他人を攻撃します。
まず、人間の脳はとても効率よく作られています。脳は自分の信じること以外の情報をいらない情報として遮断してしまう癖があります。
「5Gコロナ論」を例にあげますと、この論が世界でも広まり、ついには5G基地局が放火されるような事件も実際に起きてしまっています。
人間は心が不安定な状況で、コロナは5Gのせいだと決めつけ、5Gを廃止することが自分たちの正義だと言わんばかりに、基地局を攻撃するような行動をとったのでしょう。
このように「正義中毒」とは
「自分の信じるものがすべて正解であり、自分は正しいことをしている」と思い込んでしまうことが問題になります。
『正論ハラスメントとは』
まず、正論とはなにか。
より崇高な生き方や考え方を正論というのでしょうか。
正論をググってみました。
「有効な反論ができないものを正論と感じる」
引用元<https://townwork.net/magazine/life/59227/>
つまり、
反論すべき所がないから正論であって、正論であれば反論されないということ、ですかね。
この「正論」というものは対人関係において、非常に厄介にものになります。
この「正論」に「コントロール欲」が加わるとどうなるでしょうか。
① 正論を並べられ、反論できなくなる。
② 否定できないから話を畳み掛けられる。
③ 結果自分より崇高な思想だと思わせられて、マウントを取られる。
この3段階
反論が来ないので説教という形の「コントロール欲」を満たすのには充分でしょう。
これが「正論ハラスメント」というものです。
『他者をコントロール出来ると思ってる人』
まず、本論の結論になりますが、
「正義中毒・正論を言う人」=「コントロール欲の強い人」
という図式です。
前記事でも書きました、「コントロール欲は人間の欲の上位」ということ。
これが1番厄介で、
「正論を盾にしたコントロール欲」とでも言いましょうか。
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例えば、
「お前もそう思うよな?」って意味合いの話をしてくる人は、共感を求めています。
しかし、それは人それぞれ考え方が変わるし、それは違うと思っていても言わない方が無難です。
肯定されて安心感を得たいだけの会話に、自分の意見をぶつけるってことは相手も望んでないことでしょう。
基本的に誰かに自分の意見を言うことほど、求められてないものはないということです。
なので反論もせず、肯定もせず、「めちゃくちゃ濁す」ってのが一番かもしれません。僕ならそうします。
もし、自分の考えを話して討論をしようとしても、
相手がこの「正論を盾にするコントロール欲」を使ってくる相手だった場合、否定ができないため、討論になりません。
そしてこのパターンの人間は、話を畳みかけるために、
「考えの粗探し」を始めて、相手の考え方を否定批判してくるのが特徴です。
それはただ単純に自己の考えの中で粗探ししてるだけで、表面でしか否定は探せませんが、一度反論できなくなると、こちらは後手に回ってしまいます。
粗探しをして「お前は考えが浅い」と思わせるほど、自分の考え方の方が優れているかのように振舞います。
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これが「正義中毒+正論」になります。
自分が正しいと信じたこと以外の情報は偽物と決め、粗を探している状態と同じになります。
『飲み会に現れるモンスター』
人間とは不思議なものです。
なぜ自分が受け入れられない他人の意見を、自分は積極的に言いたがるのでしょうか。
他人が自分に従うという状態は性欲よりも快感であり、俗にいう老害がうるさいのもそのためでしょう。
「お前のために言う」という行為は、決して「お前のため」ではありません。
自分の欲を隠す建前でしかありません。
問題は建前を建前と思わず、自分の欲に気づいてないまま、おまえのためを謳って自分の意見で他人を動かそうとすることです。
このモンスターがいるから飲み会も行きたくなくなるのではないでしょうか。
上司・先輩からのあーしなさいこーしなさいを楽しく飲めなくなるのは、聞いてもない他人の意見を、自分勝手に喋り倒すモンスターがいるからなのです。
Twitterによくいるクソリプ厨と呼ばれるものもおそらくこれでしょう。
飲み会で相手にされないタイプ・一緒に飲みに行きたくないタイプです。
いくら「説教をしてるんじゃない」「否定してるわけじゃない」と言っても、相手がそう感じたならば、それは説教になります。
酒を飲むと人間もともとの倫理観が出てくるそうです。
それは先天的なもので大人になっても変えられないそうです。
まず他人の考えを批判するほど、自分の意見が優れてると思ってないと、説教などしません。
「バカかこの方がいいだろ」って言うのは、自分の意見が優れてると感じてるからです。
まさに「正義中毒」の毒牙に蝕まれているのでしょう。
これは人間の脳の錯覚です。
脳の情報の取捨選択は、自分の都合の良いものに偏る傾向があります。
自分の考えを正当化するため、自分は間違えてないと思いたいために、人間は他人を批判し、攻撃します。
その延長で自分の考えを崇高な考えと正論化し、否定・批判もされることなく、コントロール欲も満たされる
というロジックが成り立ちます。
『自己中なモンスターに気をつけろ』
まとめます。
「正義中毒」=自分が正しいという思い込み
「正論」=反論できない意見全般
「正義中毒+正論」=他人をコントロールしようとするモンスター
と、こんな感じでしょうか。
誰も聞きたくない自分と違う意見を、自分は積極的に発信したいのが人間です。すごい矛盾ですね。
コントロール欲は誰にでもあるものなので、否定はしません。
それがゲームキャラクターみたいに、人間もコントロールできると感じてしまうものなのでしょうか。
僕の結論は、
「自分をコントロールしようとする人間に対して、自分の貴重な時間を割く必要はない。崇高な考えを持ってる人間が偉いわけでも凄いわけでもない。」ということです。
人という字は、人と人が支え合って出来ていますが
コントロール欲の絡む関係を、支え合いとは言わないのではないでしょうか。
この記事の中で出て来ました、「お前のためは、決してお前のためじゃない」という話に関連した記事を書いていきたいと思います。
正論・自己投資・お前のためという言葉でカモフラージュされた人間の欲望について書いていきたいです。
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